米倉誠一郎さん著「イノベーターたちの日本史」を読みました。
近隣諸国が植民地支配され、戦後も長く経済成長できなかったのに対し、日本が近代・現代を形成した要因を、イノベーターつまり個人の仕事を通じて読み解きます。
徳川幕府は対外的には通商和平、対内的には無血開城を断行。明治の士族は自らの階級を廃絶したうえで殖産興業を担った。財閥は資源で劣位の日本が少数集約型の多事業主体として経済を創出した。それぞれイノベーティブ、と説きます。
ここでイノベーションとは「技術革新」という狭い意味ではなく、組織、企業、社会の組成・変化を通じて起こされる大きなシステムの革新を主軸にとらえています。
テクノロジーやデザインだけでなくマネジメントやポリシーの革新。
士族ら階層レベルのイノベーションという視線は新鮮です。
日本の奇跡の近代化にはあまたのマクロ政治経済分析が加えられてきましたが、本書は高島秋帆、大隈重信、三野村利左衛門、高峰譲吉、大河内正敏といった個人に焦点を当て、その生き様を通して近代像を紡ぎ出す手法を採ります。歴史の共有には具体リアリティーがいい。
明治の若い革命軍事政権が列強の圧力に直面し、徐々に近代国家の体裁を整えざるを得なかった、そして急速に大人びていく。
そのさまは、野球少年が巨人軍で泥まみれに成長する星飛雄馬のよう。
だがそれは決して奇跡ではなく、蓄積、鍛錬、覚悟があってのことでした。
さらに、幕藩体制の打倒は武士階級の打倒であり、新支配階級が自らを否定する行為。旧武士階級という身分を公債で買い入れ、その公債を産業資本に転換するという構想を企画・実行したと本書は解説します。
なるほど、それは今で言えばベーシックインカムを断行するぐらいの革命です。
産業イノベーションを三井や三菱が起こしたことと並び、科学者たちの創造的な対応として理化学研究所の設立と理研コンツェルンの形成を挙げます。
ここに注目するのが本書の白眉たる点だと考えます。
理研はタカヂアスターゼとアドレナリンを発見し、アメリカで成功した高峰譲吉が提唱。
日本工業は欧米の基礎研究の上に形作られており、自製が必要という強い意識。
いま耳を痛くして聞くべき。
当初、理研は長岡半太郎(物理)と池田菊苗(化学)という歴史に名が刻まれた大御所が対立していたといいます。
そのマネジメントに当たった大河内正敏所長のオープンで自由な経営手腕に注目するのも本書の面白さ。
「GM中興の祖アルフレッド・スローンを彷彿とさせる」と表されていますが、高峰譲吉と大河内正敏は、ソニー井深大と盛田昭夫、ホンダ本田宗一郎と藤沢武夫のコンビを彷彿とさせます。
「科学とビジネス、基礎研究と応用研究を融合し世界的なスケールで活躍できる人材が求められている21世紀日本において、高峰譲吉と大河内正敏ほど再評価が求められるべき人物はいない。」
実在かを疑われる聖徳太子や 山奥でものをあわれんでいた兼好法師を学ぶヒマがあったら、こっちを学びましょう。
戦後、強大化した理研は解体され、大河内は投獄されました。
GHQが統治を危ぶむほど国家の科学技術政策が成果を挙げた証左。
今ぼくは理研のAI研究をPRする役を担っているのですが、当時のスケールに思いをいたし、職に当たろうと存じます。
米倉先生、ありがとうございました。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2018年3月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。