日大アメフト問題にみるムラ社会のメカニズム --- 松原 吉彦

2018年05月24日 06:00

編集部より:本稿は日大の23日夜の緊急記者会見より前の投稿ですが、提起している問題の本質は変わらないと判断して掲載します。

NHKニュースより:編集部

日大の件は批判一色(そらそやな)、ネットでも意見考察は出尽くしているので、そこは世間の皆様に任せておいて(それらは基本的に、その通りだよねとした上で)、それでも見かけない視点で、語ってみる。

主旨は、監督やコーチもまた被害者でありうる。ということ。

今回の選手は、悪いと分かっていながら追い込まれた。加害者でありながら、被害者でもある。同様にアメフト部もまた、追い込まれてやった面があり、加害者でありながら、被害者でもある。という説(仮説だからホントのことは分からんけど)。

これは学生の方より、抽象度というか曖昧度が上がって見えにくいので、少し説明がかかるのと、感情論は一旦おいてみて。

構造:日大は来年、130周年を控えている。そんな折、低迷していたアメフト部が27年ぶりに選手権で優勝した。選手権は12月なので、今年の年末に優勝すれば、来年の130周年に花を添える。ならば、花を添えよう、添えるべきだ、添えらるよね、添えてくれ。

という周囲の期待を忖度、方法論の歯止めがなくなった説。たまたま関学戦で露呈したけど、何処が相手でも似たような姿勢だったんじゃね?という。

こうなると、ムラのために忠誠を尽くす人こそ、責任感と使命感に燃える。まして元々、イリーガルに抵抗がない人がお山の大将やってたら、パワハラも含めて暴走し、目的のためなら手段は問わない、という思想に堕ちる(これを以ってムラ人化と称す)。

これの恐ろしいところは、優勝しろなんて、指示や命令は誰もしてない。むしろみんな、悪気なく、無邪気に、場合によっては「無理しないでね」なんて思いやりの心を持って、言っていること。

そんな「悪気のない善良な人が作る空気」の積み重ねほど、怖いものはない。何が一番怖いかと言えば、言ってる本人たち自身が「悪気のない善良な人」ゆえ、自分たちが、元凶となる「追い込む構造」を作った事に、完全無自覚であること。

学生の場合は、監督やコーチの指揮下にあり、ゆえに責任も問えるけど、「空気」は指揮系統や組織図に入ってないから、見えないものだから、監督やコーチには責任を問う先がない。空気を作った人たちは「悪気のない善良な人」も多いから、自分たちの方から責任を言い出す事もない。

そう考えると、取材で責任を丸抱えし、後は何も語らない監督は、そうした無数の関係者を守ったのかもしれない。

もちろん選手の行為が免罪されないように、監督やコーチの行為も免罪されない。しかし、そもそもの構図を作った「130周年の年に優勝できたらいいよね」の空気を作った人たちは、果たして完全に免罪されるのか?

と、日大関係者じゃないので、俯瞰して見てみた。

逆に、そうじゃないと、何であそこまでして相手に怪我をさせてもいいから、って事になるのかが分からない。

日本の特徴は、私利私欲ではなく、他人のため、ムラのために、自分を捨てて尽くすこと。それは期待に応えて、ムラ人たちに認められること。そのためならば、下の人間は潰してもいい。というか、潰さないと、自分が潰される。

相手に怪我をさせることが、人間の成長に繋がる、というのも戯言じゃなくて、ムラのためなら何でもする=成長であると捉えると、もう、そういう宗教になってるんだと、いう話。

で、これは会社を含め、組織に入っている人の殆どが該当するはず。それに忸怩たる思いを持っていても、「ムラのためなら何でもする」を受け入れないと生きて行けない、家族を養えない。だから全ての会社に、同じ事が起きる可能性がある。そして、それをやってる殆どの人が、「悪気のない善良な人」だから、救いがない。

なお「悪気のない善良な人」ですら、今回の件で免罪に疑問を付ける以上、仮に学長を含む経営層などが具体的にプレッシャーを掛けていたなら、まさに批判されてしかるべきで、アメフト部の尻尾切りをやっても意味ない感。

だけど、されない。だって、そこまでやったら、日本社会が崩壊するから。誰も言えない。言う権利もない。

本来論をすれば、「なんとしても優勝しれくれ」と言われたとしても、良識に反する行為はしちゃいけない。だけど、そこでやっちゃうことを、空気で求められる。それに応えて、やっちゃう人が出世していく。

その証拠に学生の会見で、「学生の顔のアップは避けてくれ」と司会者が言っても、テレビのカメラは大きく写したままで、動きもしない。そんなところで、個人で良識を発揮したら、評価が堕ちる。いい絵を撮って来いと送り出されたら、そこに個人が良識を発揮する権利なんて、この国にはない。ムラの中にいたら、逆らえない。

だから僕らに出来ることは、せめて、ムラの外にいる時は、顔のアップを使わなかったベースボールマガジン社の投稿をRTするとか、「質問は1つ」を守ったテレ東を心のなかでGJするとか、もうあまりに微力過ぎてどうしょうもない事ばかりだけど、そういう事なんじゃないかと。

後は、自分が加害者になる可能性の自覚を持って、人を応援するときでも、「イリーガルな事をやったら評価しないからね」「それで成功しなくてもダメな奴って思わないからね」っていう、意志と態度を示すこと。

無理を要求されても、「ムラのために尽くせ」と言われても、「相手の選手を怪我させて勝っても意味がない」「そんな勝利に、何の意味があるんですか?」と、「ここから先はやりません」と、多くの人が言えるよう。

結局、これは、みんなで作り上げた総合作品みたいなもの。

選手も監督コーチも、現場の人間と言う意味では同じ人たち。そこだけに責任を求めてみても、何回だって同じ事を繰り返す。

トップや経営層も同じで、130周年で優勝すればいいですね!なんて、みんなに空気を作られて、ある意味、やはり追い込まれながら、「みんなのためにも優勝してくれよ」と空気を下に丸投げちゃったら?

そうやって、空気>空気>空気>空気と、重層的に降りてきたら?

最後の最後に現場で具現化させる時に、「相手のQBを怪我させる」と言語化されたとしても、その前の過程が異常にあるんじゃないかと。

「空気に立ち向かう人」が、あまりにいないんじゃないのかなと。

アメフト部批判一色の空気の中で、言いたくなった次第です。

そして、そんな事を言ってみても、まったく支持などされないであろうことが、特に「悪気のない善良な人」に届かないだろうなっていうのは、ここまで書いてきた事(空気に逆らったら評価されない)を再証明していくのだろうなと、思うところでもあります。

松原 吉彦(まつばら よしひこ)Code for Japan 事務局
広告会社、IT企業勤務などを経て、フリーランス。企画・取材・撮影・広報・業務改善・集客支援等を行う。2014年都知事選では家入一真氏のネット選挙をサポート。市民がITを活用し、地域課題を解決するシビックテック活動を展開するCode for Japanの事務局も務める。ツイッターは「@yoshi0426

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