オウム信者の行動メカニズムはまだ未解明とする愚論

藤原 かずえ

2018年7月6日、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚ら7人のオウム真理教関係者の死刑が執行された中、その前後で特定のマスメディアや自称知識人が、オウム事件の真相は明らかになっていないとして、司法の死刑執行を批判しています。

雨宮処凛氏 [HUFFPOST 2018年6月7日]
「あれだけの凶悪事件を起こした奴らなのだから一刻も早く死刑にしなければ」という意見の人もいるだろう。が、ここで問いたいのは、すべての裁判が終結した現在、オウム事件の動機を含めた真相、全貌が解明されたと言えるだろうか、ということだ。なぜ、地下鉄にサリンが撒かれたのか。なぜ、あれだけ多くの人の命が奪われ、多くの人が人生をメチャクチャにされなければならなかったのか。なぜ、一介の宗教団体があのような事件を起こすに至ったのか。これらの問いに裁判が答えたのかと問えば、答えは明らかにNOである。

 

想田和弘氏(TBS「報道特集」 2018年7月7日)
証言をとることもなしにこのまま殺されてしまうのではないかというのは、単純に法律の問題としておかしくないか。

 

森達也氏(TBS「サンデーモーニング」 2018年7月8日)
実行犯たちはどのようにサリンをまいたのか、まいた後にどのように彼らは逃亡したのか全部明らかになっている。でも一番肝心のなぜサリンをまいたのか。理由は指示をされたからだと。その指示をしたはずの一番のキーパーソンが何も語っていない。これでこの事件が終わりなのは僕は全く納得できない。

 

松原耕二氏(TBS「サンデーモーニング」 2018年7月8日)
振り返ると、高度成長とともに育って、物質的なものが世の中で大きな顔をして、バブルという頂点を迎えて崩壊する。そして世紀末もあった。漠とした不安が凄くあった。なぜ自分と同じ世代の人間たちが、しかも優秀な人達がこんな組織に搦めとられていって引き込まれていったのか。服従の心理なのか。なぜそのシステムが出来上がったのか。私も松本智津夫死刑囚の裁判に結構行ったが、何も語らない。結局どういうふうにして服従システムができたかが全くわかっていない。幹部たちまで今死刑にする必要があったか。裁判と言う形でなくても教訓を聴いて次の世代に活かすことはなかったのか。

このような言説に対して江川紹子氏は次のように批判しています。

江川紹子氏 [Yahoo!ニュース 2018年7月8日]
麻原が執行されたことについて、マスメディアでは、まるで決まり文句のように「真相は闇の中」というフレーズが使われる。彼は裁判中に精神を病み、心神喪失状態になって、何も語れなかったのだとして、執行は不当と訴える人たちもいる。 そういう人たちは、裁判をちゃんと見ていないし、裁判に関する記録や報道も丹念に読んでいないのだろう。裁判は、判決公判だけ見ればすべてが分かる、というものではなく、また、裁かれたのは、麻原だけでもない。彼を含めて192人のオウム関係者が起訴された。その裁判を通し、事件の動機も含め、刑事事件としての真相は概ね明らかになっていると言える。

江川紹子氏が主張するように、[麻原彰晃こと松本智津夫被告への地裁判決]をはじめとする裁判記録を読めば、真相はほぼ明らかであり、前出の雨宮処凛氏は裁判記録を全く読んでいないとしか思えません。特に犯行目的については、裁判記録に加えて、麻原彰晃が逮捕前に散々明言していたことは周知の事実です。

想田和弘氏の主張については、複数の信者から死刑に相当する証言が得られ刑が確定しているにも拘わらず、本人から証言が得られていないことをもって死刑執行を停止するのであれば、否認すれば死刑を免れることができることになります。想田氏の言説は単純に法律の問題としておかしいと言えます。論理が破綻しています。

森達也氏の主張については、なぜサリンをまいたのかといえば、武力によって国家権力を打倒し日本にオウム国家を建設して麻原彰晃自らがその王となるためです。約80名の信者の前でそのように明言したことが、裁判で明らかになっています。仮に本人がそのことに対して反論したところで、その信憑性は担保されません。

松原耕二氏の主張については、単なる感傷的な感想に過ぎず、自らの知識の範囲内でわからないを連発しているに過ぎません。そもそも20年以上も前の事件に対して、メカニズムを明らかにできていないとするのであれば、それはメディアの怠慢と言えます。

さて、事件の「真相」について明らかにされた中、しばしば「疑問」とされているのが、松原氏も一部触れている次に示すようなオウム信者の行動メカニズムです。

– なぜ優秀な人間が空中浮揚を肯定するようなオウムに入信したのか。
– なぜ優秀な人間が揃いも揃って浅はかな行動をしたのか
– なぜ優秀な人間が麻原彰晃のとんでもない命令に従ったのか。

これらはいずれも内心に関わる問題ですが、社会心理学的な見地に立てば、極めて基本的な概念を使うことで説明可能な現象に他なりません。そもそもオウム教団のような【カルト cult】の行動原理は社会心理学的に特異なものではありません。どちらかと言えば【カルト】は極端な行動が多いことから、むしろ分析しやすい対象であると言えます。以下、【同調】【集団浅慮】【服従】という社会心理学の基本概念を用いて、上記疑問に対する解を示したいと思います(冒頭写真は産経ニュース)。

同調

麻原彰晃が始めたオウム神仙の会というヨーガ教室はアット・ホームなムードであったと言われています。この段階で麻原彰晃は小規模なサークルの構成員(いわゆる「チャーターメンバー」)の信頼を十分に得ていたものと考えられます。『月刊ムー』に空中浮揚の写真が掲載されたのはこの時期に当たります。空中浮揚は物理的にあり得ない現象であることは自明ですが、この空中浮揚は後のオウムにおいても否定されることはなく、信者獲得のための宣伝に利用されました。なぜ信者は空中浮揚を信じる(あるいは外見上認める)に至ったのでしょうか。これは典型的な多数派工作に基づく【同調 conformity】によるものであると考えられます。

心理学者のソロモン・アッシュ(Solomon Asch)は【同調】の行動を調べるためにある実験を行いました。それは、被験者以外は全員サクラの状態で、ある自明な問いに対してサクラの全員が誤った回答をした場合に被験者がどのような回答をするかを調べたものです。実験の結果、被験者は高い確率でサクラの回答と同じように誤った回答をしました。被験者がなぜ誤った回答をしたのかと言えば、これはサクラへの【同調】に他なりません。

【同調】とは、【多数派 the majority】の意見や行動に個人の意見・行動を合わせる【態度変化 attitude change】のことをさします。著名な心理学者のハーバート・ケルマン(Herbert C. Kelman)ハーヴァード大学教授は、論文「意見変更の過程 Process of opinion change」において、人間が意見を変更するプロセスとして次の3つのタイプがあることを示しています。

(1) 追従
【追従 compliance】とは「説得者に好かれたい」あるいは「説得者に嫌われたくない」という動機から【同調】することを言います。説得者との友好関係の良し悪しによって利害が生じる場合に、たとえ説得者の意見や行動が正しくないと思っていても、【同調】することによる【承認欲求 need for approval】を選択して【孤立への恐怖 fear of rejection】を回避するものです。「説得者から受け入れられたい」とする影響は【規範的影響 normative influence】と呼ばれます。心の中では説得者の意見や行動に賛同していない表面上の【同調】であるため、環境変化があれば被説得者は態度を変化することになります。

(2) 同一視
【同一視 identification】とは「説得者と同じ考え方でいたい」という動機から【同調】することを言います。説得者に【対人魅力 interpersonal attraction】を感じている場合に、たとえ利害関係はなくても、個人的願望から【同調】するものです。願望による【同調】であるため、説得者に【対人魅力】を感じなくなったときに被説得者は態度を変化することになります

(3) 内在化
【内在化 internalization】とは「説得者の考え方を正しいと思った」という動機から【同調】するものです。「自分の考え方よりも正しいと考えられる説得者の考え方を受け入れたい」とする影響は【情報的影響 informational influence】と呼ばれます。正しいと思っている考えに対する【同調】であるため、その後の態度の変化は起こりにくくなります。ここで注意が必要なのは「多数派の考え方が必ずしも合理的であるとは限らない」ということであり、不合理な考え方が多数派を形成しているとき、事は深刻であると言えます。説得者が自説の誤りを認める場合か、説得者の言説が他者から論破される場合、そして被説得者が自ら説得者の言説の不合理に気づくときに被説得者は態度を変化することになります。

なお、【追従】は外面からの同調という意味で【公的追従 public compliance】とも呼ばれ、【同一視】と【内在化】は内面からの同調であるという意味で【私的受容 private acceptance】と呼ばれます。【同調】はこのようにタイプによって異なるバックグラウンドを持っていて、【追従】→【同一視】→【内在化】の順にビリーフのレベルは深まっていきます。

いずれにしても、多くの信者が非科学的な空中浮揚を信じたのは【同調】による迎合です。教団施設への軟禁と薬物の接種を受ける環境下において、教祖や先輩信者(サクラ)に好かれたい、あるいは嫌われたくないと考える【追従】、教祖や先輩信者(サクラ)と同じ考え方でいたいと考える【同一視】、そして教祖や先輩信者(サクラ)の考え方は正しいと考える【内在化】のいずれかが発動して信者となり、最終的に【同調】が【内在化】のレベルに達した時に【帰依】が完了したものと考えられます。

ちなみに、【内在化】はともかくとして【追従】【同一視】といった情動的反応は、個人に生得的に付与されている【気質 temperament】に支配されるので、学問知識や能力の優劣に関わりなく生じる【同調】現象であると言えます。「優秀」と言われる人物が【追従】【同一視】したとしても全く不思議ではありません。

ここで、教団に信者が【同調】していった背景には、【多数派】を形成するためのサクラの存在があったはずです。当初サクラは、オウム真理教で最後まで重用されたオウム神仙の会の「チャーターメンバー」でしたが、【同調】した信者自身が次々とサクラになっていくため、【多数派】はより強固になり、最後には簡単に教団に取り込まれていったものと考えられます。まさに「同化」と「繁殖」を続けるSFドラマ「スタートレック」のボーグと同じメカニズムであると言えます。孤立と薬物環境下での【多数派】による【同調】の手口に対して「抵抗は無意味 resistance is futile」であったと言えます。

集団浅慮

なぜ優秀な学歴を持った構成員の集団が浅はかな犯罪を犯したのかという疑問もよく話題になることです。ここで注意したいのは、オウム教団の意思決定はすべてが麻原彰晃の独断によるものであるかのように捉えられがちですが、実際には様々な場面で、麻原彰晃の監視の下に幹部が謀議を行って意思決定を行っていたことが裁判によって明らかになっています。基本的に重要案件の最終的な判断は麻原彰晃が行ったものと考えられますが、その判断に至るまでのプロセスにおいて、幹部の意見を麻原彰晃が参考にした可能性は高いと考えられます。

さて、これらの意思決定に際しては【集団浅慮/集団思考 groupthink bias】という心理学的メカニズムが強く関係していたものと考えられます。【集団浅慮】とは、集団の意思決定にあたって、集団の規範が優先され、個々の思考よりも劣った結論が導かれる傾向のことを言います。

社会心理学者のアーヴィング・ジャニス(Irving Janis)は、集団に【集団浅慮】が発生する兆候として次の3つのタイプを挙げています。

(1) 集団に対する過大評価
・集団は不滅であると錯覚し、過度な楽観主義とリスク選好に陥る
・行動の結果を省みない盲目的な信仰に陥る

(2) 閉鎖的スタンス
・集団への外部からの批判を無視する
・敵対者に対して偏見を持つ

(3) 斉一性の強要
・集団の方針から逸脱する思想を自己検閲する
・集団内部には異見がないと錯覚する
・集団の方針に対して疑問をもつことを不誠実とみなす

当時のオウム教団に以上のような兆候が認められていたことは言うまでもありません。

集団に実際に【集団浅慮】が発生する先行条件としては次の3点が挙げられます。

(1) 高い結束力
社会心理学では、集団の結束力のことを【集団凝集性 group cohesiveness】と言います。凝集性の高い集団では、構成員が集団の意思決定に対して意見を述べることを避け、他の構成員と議論することを避け、友好関係を保ちながら行動します。このとき【集団凝集性】は個人の表現の自由よりも重要視されることになり、【集団浅慮】が発生しやすくなります。徹底的な同調操作で、麻原彰晃の教えを盲目的に信仰しているオウム教団が極めて高い教団凝集性を持っていることは自明です。

(2) 構造的な欠陥
情報のコミュニケーションが分断されるよう集団が運営されていたり、構成員が意思決定に無関心な状況に置かれていることも条件となります。例えば集団が社会から隔絶されていたり、リーダーが不公平であったり、意思決定の手続きを規定する規範が欠如していたり、構成員の社会的背景やイデオロギーが同質であったりする場合、【集団浅慮】が発生しやすくなります。出家して社会から隔絶された環境に置かれ、麻原彰晃の教えが絶対で、意思決定における民主的な規則もなく、類似した社会的背景を持つ若者が結集したオウム教団はまさに構造的な欠陥を抱えていたと言えます。

(3) 不利な外部環境
集団に対して強い外圧や批判があると、集団の構成員は否定的な結論を最小化し、肯定的な結論を最大化するような意思決定を行います。また構成員が過去に何らかの失敗を犯した場合に自尊心が低下し、グループの意思決定に従いやすくなります。意思決定自体が難しい時も同様です。さらに、意思決定に時間的な制約がある場合、意志決定の質や確度よりも効率性や迅速性を重視することになります。以上のような不利な外部環境下にある場合、【集団浅慮】が発生しやすくなります。オウム教団は、被害者の会の批判の声に対する反発の心理である【心理的リアクタンス psychological reactance】を逆に構成員の結束に利用していたと言えます。また、世紀末が迫る中で終末思想を前提とする意思決定には時間的制約もあったと言えます。まさにオウム教団は不利な外部環境に置かれていたと言えます

以上の3条件を具備していているオウム教団は【集団浅慮】を起こしやすい集団であると言えますが、このような集団が議論を行った場合、個人よりもリスクを強く選好する結論あるいはリスクを強く回避する結論が得られることが知られています。この二極化を【集団極性化 group polarization】と言い、リスク選好の方向性を【リスキーシフト risky shift】、リスク回避の方向性を【コーシャスシフト cautious shift】と言います。

通常多くの宗教団体は、事案に対して穏健な解決を求める【コーシャスシフト】に傾きますが、【カルト】を含めた過激主義や原理主義の教団(例えばISIS)の場合には、過激な解決を求める【リスキーシフト】に傾くことが少なくありません。一般に【リスキーシフト】が生じるメカニズムとしては、議論の前にリスク選好を主導する【多数派】が既に存在して、全体がその影響を受けることによる【初期多数派主導型】のプロセスによるものと考えられています。おそらくオウム教団の場合には、過激思想を持つ麻原彰晃とそれを忖度する幹部が初期多数派を形成していて、他の幹部もそれを迎合するというメカニズムがあったものと推察されます。この場合、謀議を通して意思決定されるので、麻原彰晃が命令するよりも構成員のモティヴェイションが高まったものと考えられます。

服従

心理学者のスタンリー・ミルグラム(Stanley Milgram)は、有名な【ミルグラム実験 Milgram experiment】を通して、人間は権力や権威をもつ人物から命令されると満足感を得て不合理な要請にも服従する可能性があることを明らかにしました。すなわち、普通の人でも、命令を受けることで倫理に反する行為を実施することを許容してしまうということです。これは【権威への服従 obedience to authority】と呼ばれています。

人間は、命令されたことによって自らの責任を回避したかのような錯覚に陥ります。例えば、ナツィの大量虐殺のを指揮したアドルフ・アイヒマン(Adolf Otto Eichmann)は「命令に従っただけ」と自分には責任がないことを裁判で主張しました。このように、自らの行為が自らの倫理に反する行為であることを認知していたとしても、同時にその行動の動機は自らの倫理に従うものではないと認知していれば【認知的不協和 cognitive dissonance】に陥ることはありません。特に命令する側の人物の権威が、命令される側の人物にとって大きければ大きい程、責任回避は合理的であるかのような錯覚に陥ります。このことは自らが勝手に設定した【権威に訴える論証 appeal to authority】に騙されることに他なりません。

オウム教団の場合には、麻原彰晃が絶対的な権威であり、その教義を信仰している限り、責任回避は難しくなかったと言えます。

また、【服従】と関連して、人間は役割を与えられると、自分の価値観に拘わらずその役割を演じるようになる傾向があります。これは【役割理論 role theory】と呼ばれます。心理学者フィリップ・ジンバルド(Philip Zimbardo)は、有名な【スタンフォード監獄実験 Stanford prison experiment】を通して、人間は役割を与えられると役割に順応して【人格 personality】が変わることを示しました。

オウム教団では「省庁制」という役割制度が導入され、幹部が自らの判断で決裁を行うようになりました。例えば、自治大臣は教団内で各種取り締まりを行い、科学技術大臣は兵器開発を行い、厚生大臣は化学兵器の開発を行いました。この省庁制は、人間は直接的命令でなくとも、間接的誘導によって自発的に【服従】することがあるという【融和理論 nudge theory】でも説明することができます。

エピローグ

この記事においては、

– なぜ優秀な人間が空中浮揚を肯定するようなオウムに入信したのか。
– なぜ優秀な人間が揃いも揃って浅はかな行動をしたのか
– なぜ優秀な人間が麻原彰晃のとんでもない命令に従ったのか。

といったオウム教団の問題行動の心理やプロセスは、【同調】【集団浅慮】【服従】といったごく基本的な社会心理学の概念で説明することが可能であることを示しました。

いま、日本社会にとって必要なのは、思考停止にオウム教団の元信者の個々の行動を根掘り葉掘りエンドレスに明らかにすることではなく、【同調】【集団浅慮】【服従】といった【カルト】の行動の手口や危険性を【カルト】の標的になりやすい若者を中心に教育し、知識をもって同種の事件の再発を抑止することに他なりません。


編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2018年7月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。