移民の受け入れには社会保障の改革が必要だ

池田 信夫

ドイツの移民暴行事件(YouTubeより)

日本でも、移民問題が議論になってきた。安倍首相は先週の関係閣僚会議で、来年4月から「新在留資格」を認める方向で、制度を整備するよう指示した。従来は専門知識をもつ労働者に限定していた移民を単純労働者にも認め、技能実習のあと5年まで在留を認める方針だ。業種もこれまで検討していた介護・農業・建設・宿泊・造船の5業種から拡大する。

こういう政策には経済界だけでなく、マスコミも「開かれた日本」や「多文化の共生」などといって賛成し、それに反対する人は「閉鎖的だ」と批判されることが多い。しかし日本より先に移民が大量に流入したヨーロッパでは、各国で移民排斥を求める極右政党が台頭し、イギリスはEU離脱を決めた。トランプ大統領を生んだのも移民問題である。日本もそうなる前に、冷静に費用対効果を考える必要がある。

第一の問題は、どういう立場で移民を考えるかである。あなたが人類の一員として世界の貧しい人を一人でも多く救済したい博愛主義者なら、移民を無制限に「歓待」すべきだ。労働人口が世界に移動すると労働需給のミスマッチが解消され、すべての国で所得が上がって所得分配は平等化する。その効果は、全世界で50兆円以上と推定されている。

しかし日本国民として考えるなら、移民のメリットだけでなく、そのコストを検討する必要がある。メリットとしてよくあげられるのが「人手不足の解消」だが、これは奇妙な話だ。人手が不足する原因は賃金が安すぎるからであり、需要と供給が一致するまで賃金を上げればよい。

「賃金を上げたら経営が成り立たない」というのは経営者のわがままだ。そういう企業は、今は労働者を囲い込んで低賃金で酷使しているので、市場から退場すべきだ。そういう企業の新陳代謝が機能していないことが人手不足の根底にある。介護の場合は、低賃金を設定している介護制度に問題がある。

もう一つは、機械化の遅れである。事務労働はコンピュータで代替でき、外食やコンビニでは機械化が進んでいるので、そういう分野で余った労働者が労働集約的な分野に移ってくればいいのだが、労働市場の流動性が低いため、雇用の新陳代謝も進まない。

自民党の一部でいわれた「毎年20万人の移民受け入れで成長する」というのは錯覚である。人口が増えると成長するのは当たり前だが、豊かさの尺度は一人あたりGDPであり、それは移民で単純労働者が増えると低下するだろう。労働人口が減ると社会保障の負担が重くなるが、これは移民によって悪化するおそれが強い。

ミルトン・フリードマンは「自由な移民と福祉国家は両立しない」と述べた。労働者が全世界に移動できれば、社会保険料を負担しないで生活保護を受給し、健康保険を食い逃げできるからだ。これは移民を否定しているのではなく、政府に依存した社会保障は自由経済と両立しないという意味だ。移民を大量に受け入れる前に、社会保障の改革が必要である。

最大の問題は日本語である。特に深刻な問題は、日本語のわからない人々が母国語だけのコミュニティをつくることだ。アメリカで問題になっているヒスパニック(メキシコ系移民)も、英語を使わないため、学校で多国語教育をするなど、社会的コストが大きい。

今回の新在留資格では、日本語能力試験4級(N4レベル)が条件とされ、建設・農業ではそれ以下でもいいとされているが、これは「基本的な日本語を理解することができる」カタコトのレベルであり、文化的衝突を起こすおそれが強い。長期的な在留を認めるなら「より幅広い場面で使われる日本語をある程度理解することができる」N2レベルを必須にすべきだ。

日本にはすでに128万人の外国人労働者がいるが、今後の労働人口の減少を移民だけで埋めようとすると、その20倍以上の外国人労働者が必要になる。長期的には移民の増加は避けられないが、政府はヨーロッパの失敗に学び、文化的コストを最小化する方針を立てるべきだ。