勝利至上主義は我々の方ではなかったのか

2018年08月01日 06:00

NHKニュースより:編集部

真犯人は勝利至上主義?

少し違和感を感じている。何かと言えば、日本大学アメリカンフットボール部の「悪質タックル問題」である。

7月30日、同大学は第三者委員会の最終報告を受け、内田正人前監督と井上奨前コーチの懲戒解雇を決定した。7/27に同大学が公表した『チーム改善報告書』では、本件事件の原因として内田氏の「勝利至上主義」が指摘されており、各種報道でも真相究明・再発防止を金科玉条とし、「勝利至上主義」を身にまとった内田氏が極悪非道の人物の如くやり玉に挙げられていた。

だが、この事件の真犯人は本当に「勝利至上主義」なのだろうか。

メスが入らない命題

「勝利至上主義」にそこまでフォーカスが当たるのであれば、「なぜ、内田氏はそうまでして勝利至上主義になるのか」や「勝利至上主義を突き進めればどんなイイコトが内田氏にあるのか」が問われてもよさそうなものだが、そこにはなかなかメスが入らない。シャーデンフロイデ(他人を引きずり下ろしたときに生まれる快感)も作用して、組織の体質や権力集中といったもっともらしく分かり易いキーワードで括られ煙に巻かれてしまう。

確かに行き過ぎた「勝利至上主義」はあってはならない。それが反則行為を伴うものなら尚更である。そこに異論の余地はないだろう。だが、真相究明・再発防止を志すのであれば、内田氏を特別視せず、常人でも「勝利至上主義」に傾く可能性に目を向けても良いのではないだろうか。

予想の連鎖を辿れば…

私は、内田氏が「勝利至上主義」を選択したのは、「勝利を過大に評価する社会」がある(と、予想した)からではないかと考える。 勝利によって評価されるインセンティブがあったからこそ、勝利に邁進したのではないだろうか。

それには、組織内評価というイイコトもあれば、社会的名声というイイコトもあっただろう。そして、組織が内田氏に高評価を与える理由は、組織自体が勝利によって社会から高評価を得られる(と、予想する)からである。

つまり、予想の連鎖を辿れば、「勝利至上主義」は我々の方ではなかったのか。

パス回し問題と勝利至上主義

先のロシアW杯で、サッカー日本代表がポーランド戦で物議を醸した「パス回し問題」も、ある種の「勝利至上主義」だと考えられる。「目の前の戦いには何が何でも勝て」「やるからには勝て」「勝利こそが最上の価値」「勝利に勝るものはない」という意味での「勝利至上主義」である。

決勝トーナメント進出は大事だし、ベスト16超えも見てみたい。しかし、まず目の前の試合に正々堂々と勝て。話はそれからだ、というわけだ。

偏差値至上主義

勝利の話から逸れるが、一教育関係者として馴染み深い「至上主義」と言えば「偏差値至上主義」である。人を評する際に偏差値に勝るものはない、とするもので、本来はそうした人を揶揄する際に使われることが多い。

しかし、私たちは日常的に「ご出身大学は?」「あの人はどこ大出身だっけ?」といった会話を交わしているし、新卒採用の場面では採用担当者が上長に対して「今年は上位校出身者が多いです」と得意気に報告している会社も珍しくない。

別段それが悪いということではなく、それほどまでに「偏差値至上主義」は流布しており、教師としての不甲斐無さから偏差値を発明した桑田昭三氏の情熱とは乖離するかたちで、我々の無意識領域にまで根を下ろしている、ということであろう。

勝利至上主義の帰属先

「勝利至上主義」にしても「偏差値至上主義」にしても、至上主義は批判の対象になるケースが少なくないが、実は、至上主義は批判している我々側に帰属しているのではないだろうか。勝利を過大評価する社会だからこそ、彼の人も「勝利至上主義」に傾注する。勝利を過大評価しない社会であれば、「勝利至上主義」など儲からずやってられないはずである。

「悪質タックル問題」は、内田氏の影響力を排除したところで根治する問題ではないだろう。なぜならば、「勝利至上主義」がこちら側に帰属したままだからである。

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