災害列島ニッポンに生きる:二つの豪雨災害が交差した日

2018年08月22日 06:00

私たちは働く。
何かを得るために働く。
生き甲斐とか社会的責任とか、人間が人間たる理想のためだけではなく、生臭いことを言えば、何かを所有するために働く。
働かなければ、食べていけないから。
働くこととは、生きることなのだ。

でも、災害は、一瞬にして、それまで私たちが働いて得てきたもの、所有してきたもの、思い出すら、根こそぎ奪っていく。生きる行為、すなわち命すら奪う。私は、災害に接するたびに、人間が所有することの意味、働くこと、生きることの意味を考えてしまう。

8月20日は、4年前の広島土砂災害の日にあたる。

いま、広島県は、先月6日に起こった西日本豪雨災害という、新たな災害に直面している。しかし4年前の災害復興事業も、未だ同時並行で行われていることを知る人は少ないだろう。4年前のあの災害で、広島市内のごくごく狭い、たった5つか6つくらいの小学校区内で、77名もの人が土砂災害で亡くなった。遺族の悲しみはまだ生々しい。

あの災害は、ちょうど、私の選挙区で起こった。8月の真夏の太陽の下、防災服を着て長靴を履き、朝から夜まで足を棒にして被災地を歩き、疲弊し憔悴し切り汗だくになって黙々と作業を続ける被災者に声をかけ、まだ役所に届いていない被災地の問題点を見つけようとしたあの毎日、日暮れから22時の消灯まで避難所を回り被災者から話を聞いた毎日、被災者から怒号や懇願の声を受け続けたあの日々を思い出す。国や市や県に話をして、それがなかなか通らなかった苛立ちを思い出す。

振り返って思い出すことは、自分が成したことより、果たせなかった後悔ばかりだ。私自身が被災者の役に立てたのか、私は未だに確信が持てない。

一昨日8月20日は、4年前の土砂災害で被災した各地の慰霊式典、そして国による砂防事業のうち新たな工事が行われている箇所を、国土交通省の先導を受けて、一日かけて回って確認した。この狭い一帯に、国は250億もの巨額の投資をして、砂防と治山のダムを建設してくれた。数にして48基。県もいくつかダムを作ったので、合わせれば60基以上になる。これからも事業は続く。言い換えれば、そうでもしないと、この地には、人が住むことはできない。

写真は、4年前の土砂災害の現場のものだ。家が上下反対に傾き、誰かの車が積み重なっている。当時はあまりに生々しすぎて公開することもできなかった。私が最も胸を締め付けられたのは、家が全て流され、箪笥だけが野ざらしになっていたお宅だ。箪笥の中には、色とりどりの洋服が、その前の日と同じようにきちんと整頓されていた。

真夏のうだる陽射しの中、美しいスカートやブラウスが、かすかな風に揺れている。この洋服を買った時、この人はどんなにうきうきした思いだったろう。どこに誰とお洒落をして出かけていったのだろう。その喜びが、災害の後は、完全に悲しみに変わっていた。

私には今日も、生きること、所有することの意味がまだ分からない。

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河井 あんり
広島県議会議員(広島市安佐南区選挙区、自民党)

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