三浦瑠麗氏の危険な「徴用工」補償問題発言

宇山 卓栄

三浦氏は日本企業が賠償に応じるべきという

「徴用工」・「慰安婦」などの補償問題で、国際政治学者の三浦瑠麗氏がトンデモ発言をしている。三浦氏はFNN PRIMEのオンライン・コラム(2018年9月3日 月曜 午後6:30)で、日本政府や日本企業は、徴用工問題にどのように対処すべきだろうかという疑問を提起し、以下のように述べている。

(記事引用)
その意味で、参考になるのが三菱マテリアルによる中国の徴用工の遺族達との和解ではないだろうか。民間企業である三菱マテリアルは、非常にポテンシャルの大きい中国市場でビジネスを継続する上で、自らの経営判断として、被害者遺族と和解することを選択した。
(中略)
民間の個々のプレイヤーは、国家レベルの原理原則論とは別のしたたかな経営判断に応じて、この問題を処理していくべきだ。

この考え方は国際法や条約を根底から否定するものだ。国家と国家がその国民を代表して、或いは国民の総意として、条約などの約束事を取り交わす。それを個人や民間が自由に否定してよいということを言っているに等しい。

「朝まで生テレビ」より

三浦氏は自分の論考の矛盾に気が付かないのか

三浦氏は記事前段で、「17世紀に近代的な国際法の概念が生まれてから400年近くが経過する中で、確立されてきた原則が国家主導による一括した請求権の処理という方法である」と述べている。これはその通りだ。

しかし、三浦氏は国家レベルでは、そのような国際法の原則を保持する一方で、民間レベルでは違った対応があり得るという。その例が記事中の三菱マテリアルの和解だと述べている。

三浦氏は国家レベルと民間レベルを分けて考えるべきと言っているが、そもそも、そのような分け方をすることはできない。1965年の日韓基本条約のような国際条約は民間や個人の請求権も全て含んだ上で、請求権を処理している。三浦氏本人も、記事中で、補償を受けるべき個別の被害者が請求権を発していたらキリがないため、国家が一括処理すると述べている。

それにも関わらず、三浦氏は国家レベルと民間レベルを分けて、民間や個人が請求権を突き付けてくれば、日本の民間企業がその請求権を認め、個別に賠償に応じれば良いと説く。まったく矛盾しているではないか。

一つの企業が賠償に応じれば今後も

1972年、日本と中国は国交正常化に伴う「日中共同声明」を発表するにあたり、中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄した。その代わり、日本は中国にODAを通して、多額の円借款や資金援助を与えた。その総額は3兆6000億円以上になると算出されている。

韓国も1965年、日韓基本条約を締結し、日本に対する戦争賠償の請求を放棄した。その代わり、日本は総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の支援をした。この額は当時の韓国の国家予算の2倍以上の額である。

このように、中国や韓国は、民間であろうが個人であろうが、請求権が消滅している。したがって、法的に、民間も個人も請求できないし、その請求に何人も応えることもできない。

ありもしない請求権に基づいて、賠償に応じるような日本企業は大いに批判されるべきだ。日中、日韓の関係を更に悪化させ、他の企業にとって、大変な迷惑となる。三菱マテリアルが2016年に賠償に応じた後、鹿島建設が中国人元労働者と遺族によって、賠償金を払えと提訴された。一つの企業が賠償に応じれば今後も、中国と韓国で、提訴が連鎖的に発生する。

マスコミが報じない企業内左派勢力の暗躍

質が悪いのは、企業内の組合組織などに、中国と韓国の狙いに沿って連携する勢力が少なからずあることだ。彼らは日本の左派政治家や政党と結託し、企業経営を動かす力を持っている。賠償金支払いの提訴を連鎖的に引き起こし、日本企業の経営をマヒさせることが狙いだ。害悪は外よりもむしろ内にある。このような企業内左派勢力の暗躍をマスコミはほとんど報じない。

三浦氏は「民間の個々のプレイヤー」は「したたかな経営判断に応じて、この問題を処理していくべきだ」と言っている。企業内左派勢力の判断を「したたかな」と形容する三浦氏は中国や韓国にとって実に「したたかな」味方だ。

日中共同声明や日韓基本条約で、戦争賠償の請求を放棄することが取り決められた。それは三浦氏の言うような「国家レベル」や「民間レベル」という区別に関係なく、一括して放棄されたものである。日本の最高裁は2007年、日中共同声明により、国家間だけでなく個人の賠償請求権も放棄されたとの判断を示している。

三浦氏の記事中、もう1つ、気になる部分がある。

(記事引用)
国際法の大原則をひっくり返してまで個人の請求権は消滅していないとするのは、人権意識の高まりという側面もあるのだが…

全然、違う。正しくは「人権意識の高まり」ではなく、「タカリ意識の高まり」だ。「タカリ意識」に侵されている人々の大きく開いている口に餌を投げ込んでやれというのが三浦氏の考え方である。このような考え方を吹聴する「偽リベラル」が日中、日韓の関係を不健全なものにしているのである。