ルシファーが操った「誘惑の心理学」

どうか「また始まった」と思わないでほしい。当方の限られた思考力の世界に浮かんだ考えやアイデア、特に、ヴィジョンを雑事の中で忘却しないためにコラムの中にアウトプットしたいからだ。

▲オイゲン・ドレヴェルマン氏の大書「悪の構造」パートⅠ

▲オイゲン・ドレヴェルマン氏の大書「悪の構造」パートⅠ

旧約聖書の「創世記」の中に記述されている「失楽園の話」を再度、考えたい。蛇がエバを誘惑し、神の戒めを破らせる話は神話や伝説といって片づけるのにはあまりにも人間の心理の世界を克明に描写しているのだ。

以下、聖母マリアの処女生誕を批判してカトリック教会から追放された著名な独神学者オイゲン・ドレヴェルマン氏(Eugen Drewermann)の大著「悪の構造」(Strukturen des Boesen)から得た内容に当方の解釈を加えたものだ。

「失楽園」に登場する人物は3人、アダムとエバ、そして蛇だ。舞台は「エデンの園」。そこには2本の木、「命の木」と「善悪を知る木」がある。主なる神はアダムとエバに「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし、善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」という戒めを与えた。

そこに蛇が登場し、エバに「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」と尋ねる。エバは神の戒めを伝えると、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開き、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」と述べる。エバは言われるままに「善悪を知る木」の実を取って食べる。そして傍にいたアダムにも与え、アダムもそれを食べる。すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることが分かったので、イチジクの葉を綴り合わせて、腰に巻いた。これが「失楽園」の大まかなストーリーだ。

この「失楽園」を読んだ多くの人は「取って食べるなと言われた神の戒めをエバはどうして簡単に破ったのか」という疑問を持つ。そこで、エバ、そして蛇を象徴するルシファーの心理の世界を覗いてみる。

ルシファーは「明けの明星」と呼ばれた大天使だ。すなわち「光」だ。神は創造の初めに、「『光あれ』といわれると、すると『光があった』」という。「光」が創造される前、「神」は「やみが淵のおもてにある」光のない世界(夜)におられたことが想像できる。この創世記の個所から「夜の神」は「光のルシファー」(昼)を創造したと解釈する神学者もいる。また、ルシファーは神の弟だったと主張する学者もいるほどだ。

興味深い点は、「エデンの園」にあった「善悪を知る木」の「知る」は性的結合を意味するが、同時に「啓蒙」を意味する。そこから「善悪を知る木」は「知の天使」と呼ばれたルシファーを意味していた、という解釈も成り立つわけだ。

エバとルシファーのやり取りを振り返ってみる。ルシファーはエバに「神は本当にとって食べたらダメ」と言われたのですかと聞く。エバの確信を揺るがし、不安を覚えさせる。エバは「取って食べたら死ぬといわれました」と答えるが、「死ぬ」と言われた神の戒めを思い出し、神から恐怖を感じる。「愛の神」からエバは初めて恐怖を感じた瞬間だ。

不信と不安に陥り、恐怖を感じるエバを見ながら、ルシファーは「神は取って食べたらあなたがたも神のように善悪を知る存在になること知っておられたのです」と囁く。神に対し、エバの中に批判の心を呼び起こす。ルシファーは神を人間のライバルのように思わせ、自身が人間の助け手であると思わせているわけだ。

まとめると、エバは「不信」と「不安」を覚え、「恐怖」に襲われ、そして最後に「神への批判」という結実を結ぶわけだ。これは神学者であり、心理学者ドレヴェルマン氏の詳細な分析だ。同氏は、人類始祖の「高慢」が原罪のきっかけとなったのではなく、「不安」からだと主張している。

もちろん、「光の天使」ルシファーがなぜ神の計画に反する行為をしたのか、その心理プロセスを知ることはエバ誘惑の心理を理解するうえで不可欠だろう。いずれにしても、ルシファーが見せたエバへの「誘惑の心理学」は非常に啓蒙的な内容を含んでいる。

現代は「不安」と「不信」の時代と言われる。ルシファーがエバをどのように誘惑していったかをもう一度詳細に分析することは、誘惑の多い現代社会を生き抜いていくためには有益だろう(「『不安』はどこからやってくるか」2018年7月15日参考)。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年9月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。