西武百貨店・そごうのお客さんをやめました 生活者は「使わない宣言」をせよ

2019年01月04日 17:00

せっかくの、平成最後の正月なのに、私は満腔の怒りに震えている。新年の浮かれたムードに水をさすようだが、極限までに腐敗しきった日本の企業社会に私はこの檄を叩きつける。

なぜ、私が怒っているか?それは、西武百貨店・そごうの例のCMについてである。「女性の時代」「私は、わたし」というものだ。正月の日本経済新聞に全15段広告が掲載されている。

YouTubeにも動画がアップされている。

井戸まさえさんと…
再生産される「わたしは、私」

治部れんげさんが…
西武・そごう「わたしは、私。」広告に寄せられた賛否両論から読み解く「女性活躍」の複雑さ(治部れんげ) – Y!ニュース 

それぞれ解説、見解を書き、好評を博しているようなので、まずはこの記事を読んで、何が起こっったのか、何が問題なのかを把握して頂きたい。

一部、お二人と重なる部分、意見が対立する部分があると思うし、なんせ私はジェンダーの専門家ではないのだが。私なりの見解を書き綴ることにしよう。

結論から言うと、私は一市民として不愉快だったし、偽善臭を感じてしまった。女性にパイが投げられている衝撃的なビジュアルなのだが、そうか、ここまでされないと女性の時代なるものはやってこないのか、と。なるほど、先人たちが、そして今を生きる人たちがこれほどまでの苦労をしてきたと代弁するというのなら、気持ちはわからなくない。ただ、うまく伝わっていない。

広告の本文には唸る部分がなくはなかった、私が最初に読んだ際には。井戸まさえさんが指摘するとおり、この1年くらいで起きた女性が不当に扱われた事件をフォローしているのだろう。ただ、よくよく読むと、これは表面的な、男性目線での女性へのエールにも見える。しかも、ここで想定されている女性は、妄想というか時代考証が出鱈目なつくられた女性像ではないか。

女性へのエールだとしたら、当事者から絶賛の声や、よくぞ言ってくれた、「そうそう」という共感が巻き起こらなくてはならない。ただ、あくまで私の周りではだが、怒りの声はあっても、賛同の声はまったく聞こえてこなかった。その点で大失敗である。

リアルな場でこのCMについて意見を言ったり、SNSで発信する人は世の中で言うと、よっぽど前向きな人で。多くの人はだまって「そうなのか」「ふーん」と思っていたりしないか。実はいつの間にか、傷ついていたり、飼いならされていたりする。

所詮、百貨店のCMである。女性を表面的に応援していそうで、要するに買い物はウチでということなのだろう。広告とはもちろん、本来そういうものなのだが。ただ、ここに「女性活躍」なるものの、ある意味本質が出ていないか。心から応援しているわけではなく、労働力として、消費する主体として便利な存在という。

「わたしは、私」というコピーについては、90年代くらいまでならまだ許されたが、率直に古い。この「わたしらしさ」という幻想こそ、平成の世において、人々を手なづけ、振り回したものに他ならない。「わたしらしさ」幻想の果てに、人々は自分探しに疲れている。「わたしらしさ」は時に、貧しさや不自由を許容させる論理に使われる。普遍性を装った美しい言葉に手懐けられてはならない。

男性視点から、もっと言うと意地悪な視点から言うならば、じゃあ「男性の時代はあったのだろうか?」と問いかけたい。こう言うと、石がいっぱい飛んできそうだが、それはあくまで既得権としての男性の時代であり、男性が勝ち取ったものでもない。仮に「男性の時代」というものがあったとして、それは男性にとって本当に居心地がよかったのかという疑問もある。その「男性の時代」なるものが、パイを四方八方から投げられるものだったとしたならば、それは幸せな時代だったといえるだろうか。

いかにも衝撃作を狙ったつもりなのだろうが、なんせ浅かった。まあ、今どき正月に新聞を読んでいるような人には届くとでも思ったのだろうか。偽善、茶番の集大成であり、欺瞞性と瞞着性に満ちたこのCMをたたかう市民は断固として許してはならないのだ。こうした主張の錯誤については、断固たる批判をつきつけてゆかなければならない。

そこにはもう糸井重里が80年代に西武百貨店のために書いたコピーで言うところの「おいしい生活。」も「ほしいもの」もないのだ。

あまりに不愉快だったので、私は西武百貨店とそごうをもう二度と使わないことにした。意思表示として、手元にあった西武百貨店のクラブオンカードを切り刻んでゴミ箱に捨てた。絶大なる経済力で、渋谷店で買い物をしていた時期があり、数千分ポイントが溜まっていたと思うが、まあ、いい。

たたかう生活者は、このように「この会社の姿勢には賛同しない」「だから買わない」と意思表示するべきだと思う。これは営業妨害でもなんでもない。

同様に、私は経営幹部が過労死は自己責任などという持論を公に主張するZOZOでは一生買い物をしないし、中の人も含めて書き手を小馬鹿にするNEWSPICKSは利用しない。そんな意思表示をTwitterで書いたら、正月早々、大拡散していた。

西武百貨店・そごうへは憤激する市民の闘いに直面していよいよ断崖絶壁に追いつめられている。これら百貨店への怒りは燎原の火のごとく、燃え広がりつつある。この百貨店延命のあがきを糾弾し、腐敗と堕落を弾劾しなくてはならない。

これに限らず、傲慢な企業の反労働者性、反生活者性を暴きださなければならない。策謀の貫徹を、絶対に許してはならない。そして、生活者はもっと主張していい。それは、「買わない宣言」「使わない宣言」から始まる。

私はたたかう生活者として、反西武百貨店・そごう、反ZOZO、反NEWSPICKSという旗幟を鮮明にするとともに、魂を戦闘的に高揚させたのだ。私には仲間が必要だ。君も私に続け。私の闘いの檄は、荒ぶる生活者を熱く鼓舞してやまないのだ。

Taylor Swift の”We Are Never Ever Getting Back Together”を聴きながら。書斎にて。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2019年1月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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