田原・細野の彦根東と私の膳所:ライバル校物語①

八幡 和郎

細野豪志の二階派入りが話題になっている。自民党が野党から選挙に強く、また、政権党としても使い物になりそうな政治家をスカウトすることは、健全な二大政党の育成のためには賛成でない。

しかし、保守二党論を実践しようとしていた細野氏にとって、希望の党をめぐるドタバタ劇と最近の国民民主の自由党との統一会派結成とか立憲民主党の旧社会党化を見ていると、自分に忠実な選択だったのであろうという意味では賢明な選択だったのかもしれない。

ところで、細野豪志は私と同じ滋賀県で育ち、田原総一朗と同じ彦根東高校出身だ。私は守山市本籍で大津市生まれ、田原総一朗は彦根生まれで、それぞれ地の人間だが、細野は京都府綾部市出身の父親が日本IBM野洲工場に勤務していた関係で近江八幡市に住み、彦根東高校に通っていたと聞く。

田原氏、細野氏(公式サイト)八幡氏(BS朝日より)=編集部作成

昨年末に、「日本の高校 ベスト100」(啓文社書房)という本を出したが、そのなかでもライバル校といわれる高校をたくさん取り上げている。それをアゴラでも何回かに分けて取り上げてみようと思うが、私の膳所高校と田原・細野の彦根東はその典型としてよく取り上げられる組み合わせだ。

とくに、昨年は両校がそろって春の選抜大会で甲子園出場を果たしたので、話題になった。

滋賀県では旧彦根藩士に中学校設立の希望が多かったので、県庁所在地の大津でなく、彦根に一中ができた。庶民のあいだで進学熱が高まったのは明治でも後半になってからで、各府県の中学を一校に統合することになった明治中期には、彦根にしたほうがよいということになったのである(ほかにも弘前、松本、姫路などの例がある)。

彦根東高校(Wikipedia:編集部)

ただし、彦根東では、1876年(明治9年)に「第三大学区第十一番中学区彦根学校(共立)」が開校され、これをもって創立とし、それが、大津にあった滋賀師範学校の分校となった時期を経て、1887年(同10年)、滋賀県尋常中学校となったとしている。

彦根藩藩校の系譜をひくという人もいるが、組織的にも内容的にも連続性はない。

のち、滋賀県県立第一中学校、彦根中学校、彦根高校などを経て、1952年(昭和27年)に現在の校名になった。彦根城の旧二の丸にあって、堀を渡り城門を通って通学する。

彦根藩の伝統を引き継ぎ、「自主自律」、「文武両道」の精神と、先駆者精神「赤鬼魂」の校風を継承するとしている。京都大学に毎年10人程度、旧帝大に合計40人程度を入学させ、同志社・立命などには大量に合格させている。

卒業生には、弘世助太郎(日本生命中興の祖)、石田退三 (トヨタ自工)、中村邦夫(松下電産)、田原総一朗(評論家)、川端達夫(衆議院副議長)細野豪志(代議士)中江滋樹(株式投資家、誠備事件)、原口伊織(歴史作家)などがいる。ライバルの膳所高校に比べ政治家が多いのが一中らしさだ。世耕経産相の夫人になった元民主党参議院議員の林久美子も卒業生だ。

膳所高校が滋賀県第二中学校として創立されたのは、1898年(明治31年)のことだ。比叡山延暦寺のお膝元である坂本も候補になったが、交通が不便だというので、かつて本多氏6万石の城下町だった膳所に置かれた。旧藩校遵義堂とのつながりは、跡地を利用して設立されたというだけだ。

膳所高校(Wikipedia:編集部)

1908年(明治41年)に「滋賀県立膳所中学校」と改称され、戦後は、大津市内にあった中等教育機関が統合され、滋賀県立大津高等学校となった。それが膳所中学のあとの大津東高校と県立第一女学校のあとの大津西高校(現大津高校)に分割されたのが1952年(昭和27年)で、その4年後に膳所高等学校と改称した。

通学区域は、戦後の一時期は大津市内に限定されたり、その後、草津周辺や旧甲賀郡を含む県南全体に広げられたり、大津市外からは少数に限定されたりしましたが、現在では自由化されている。

卒業生の針路では、京都大学(昨年は61名で第4位)、同志社大学、立命館大学に大量の合格者を出している。京都大学が多いのは、地理的な近さと、教師陣に出身者が多いことに影響されるところもある。京都大学の多さに比して、東京大学は少ない。

京都大学との高大連携、イギリス研修に毎年20人ほどを派遣するなど受験には直結しない活動も重視している。昨年の選抜高校野球大会に四度目の出場を果たし、データを駆使した守備体系も話題になた。ボートやヨットでは全国的名門だ。

京都大学の教授の出身校として最大勢力だったこともあり、長尾真が総長をつとめた。政治家では、滋賀県知事の三日月大造、代議士では公明党代議士の佐藤茂樹がいる。自民党参議院議員の小鑓隆史は、京都大学工学部大学院で物理工学専攻。

芸能マスコミでは、B’ZやZARDを育てた音楽プロでユーサーの長戸大幸、野村正育(NHKアナウンサー)、井上和彦( 軍事ジャーナリスト)といったところ。学園紛争時代には活動家が多く、若林盛亮(よど号ハイジャック犯人)や坂東國男(元連合赤軍幹部で海外逃亡中)も卒業生だ。