今こそケインズ:ルールが無ければ自由は存在しない

君子豹変

彼の有名な言葉に「状況が変わったのになぜ考え方を変えないのか?」というものがある。確かにその通りである。

特に社会科学においては、考え方を変えることは「悪」とみなされがちで、同じ主張を繰り返すことが「終始一貫」していて好ましいことだと評価されがちである。

しかし、自然科学の世界では全く違う。新しい証拠が発見され状況が変われば、理論が変わるのが当然である。ニュートン力学はアインシュタインの相対性理論によって大きく改変されたし、そのアインシュタインが生涯否定的であった量子論は、現在の物理学の主流になっている。

だから、ケインズが考え方を現実に合わせて変えたのは自然科学的手法とも言える。

ケインズ(1883〜1946、Wikipedia:編集部)

名医は机上の空論で治療しない

ケインズをもう一つの側面から分析すれば、彼は象牙の塔で机にかじりつく学者では無かったということである。

第1次世界大戦後の平和条約締結やブレトンウッズ体制の構築にも関わった(大蔵省の)官僚・役人でもあった。経済政策の結果がもののみごとに跳ね返ってくる「現場」にいれば、机上の空論にこだわって頑固な態度をとるバカらしさも良くわかったはずである。

また、彼は名医にも例えられるであろう。経済を患者とすれば、政治家、官僚・役人は医者である。医学・生理学のノーベル賞を受賞するほどの素晴らしい研究者であっても、個々の患者の治療の腕前はまったく別である。

患者の病状を把握し適切な治療を行う医療行為は言ってみれば経験と勘に裏打ちされた職人芸であって精緻な「医学理論」はあくまで補助的役割である。

ケインズは、研究熱心な医者であったといえるし、彼の評価もその観点から行うべきであろう。

真の自由にはルール・規制が不可欠である

ジョン・ロックの市民政府論にもあるように、「他人が自分を殺す自由」を持っている無政府状態では、本当の意味の自由は存在しない。政府が「他人が自分を殺す自由」を取り上げてこそ、本当の自由社会が出現するのだ。

経済政策においても同様である。レーガンやサッチャー以前、あるいは現在のように特殊利権がはびこっている社会では「新自由主義」は大いに有効な政策である。

しかしアダム・スミスが鋭く政府の重要な役割として、国防・警察以外に「商工業者のカルテルの打破」をあげていた様に、自由主義がカルテルの自由を是認し、特殊利権を生むという自己矛盾が存在する。

いわゆる「独占禁止」を行うことが政府の重要な役割である。今まさにGAFAの独占の弊害が明らかになってきている。

サッカー、野球、ラグビーどのようなスポーツでも、ルールと審判がいなければ単なる乱闘になってしまうが、社会にも法律と政府が存在しなければ単なる無法状態である。

負け続ければ誰も麻雀をやりたくない

自由競争が社会を発展させる原動力になるのは、これまでの歴史を振り返れば火を見るよりも明らかだ。

しかし、問題は競争には必ず勝者と敗者が生まれるということである。

例えば麻雀を例に挙げよう。このゲームには運・不運もあるが、概ね技術のすぐれたものが平均的には勝つから、経済活動によく似ている。

そして、麻雀が下手なものは運・不運があるにしても平均すれば必ず敗者になる。もちろん、麻雀が上達するように努力するのは自由だし、そうあるべきだが、持って生まれた才能が左右する部分も多々ある。そもそも、麻雀のルールは既に決まっていて変えることができない。

そうなると負け組の選択肢は、永遠に負け続けるか、麻雀卓をひっくり返して「革命」を宣言するかのどちらかしかない。

自由競争は素晴らしいが、そのルールは民主的手続きを経るにしても社会や政府が決定するものであり、それが有利に働く人もいれば不利に働く人もいる。

だから、弱者(敗者)は、社会や政府が決めたルールによって生まれるとも言える。

ケインズが活躍したのは、大恐慌を挟んで第一次世界大戦から第二次世界大戦の間である。この英国の困難な時期に、ケインズが純粋な自由主義に修正を加え、政府が経済を導くことを否定しなかったのは偶然ではない。

敗者や弱者を無視する社会は永続性が無いことをよくわかっていたのである。

ケインズの教え

ケインズは、加熱した景気を引き締めでコントロールできることは認めていたが、落ち込んだ景気を低金利政策で浮上させることには懐疑的であった。

現在、世界中の中央銀行が超金融緩和政策を行っているが、「借金漬けで消費を行う特異な文化」を持つ米国以外では、それがうまく機能していないことを見ても、彼の正しさが分かる。

また、「金本位制」の復活には否定的であったが、それは金本位制が「為替調整」の機能を消失させるからである。ブレトンウッズ体制構築の際に、固定為替レートながら「変動幅」を導入したのは、「為替調整機能」をわずかながらでも温存するためである。

現在、この為替調整機能が大問題になっているのがEUである。ドイツが大幅な貿易黒字国となっているが、黒字の大部分は対EU加盟国に対するものである。

為替調整のからくりはこうだ。例えば日本が貿易黒字を出し続けると円高になって、輸入国の実質製品価格(輸入国通貨の換算価格)が上昇し、その結果輸入量が減少し日本の貿易黒字も減る。これが「為替調整」だ。

しかし、ユーロという単一通貨を導入したEU内では、かつてのマルク高のような現象は起こりえず、統一通貨であるユーロの価値はどこの国でも不変である。したがってドイツの独り勝ちは為替調整されることなく永遠に続くのである。

今こそ、ケインズの知恵を経済政策に生かすべきではないだろうか?

※この記事は人間経済科学研究所HP記載の書評「ケインズ もっとも偉大な経済学者の激動の生涯」(ピーター・クラーク  中央経済社)を加筆・修正・編集した。

大原 浩(おおはら ひろし)国際投資アナリスト/人間経済科学研究所・執行パートナー
1960年静岡県生まれ。同志社大学法学部を卒業後、上田短資(上田ハーロー)に入社。外国為替、インターバンク資金取引などを担当。フランス国営・クレディ・リヨネ銀行に移り、金融先物・デリバティブ・オプションなど先端金融商品を扱う。1994年、大原創研を設立して独立。2018年、財務省OBの有地浩氏と人間経済科学研究所を創設。著書に『韓国企業はなぜ中国から夜逃げするのか』(講談社)、『銀座の投資家が「日本は大丈夫」と断言する理由』(PHP研究所)など。