「月刊サイゾー」から「インターネットと自由」に関連する質問がありました。
ぼくが22年前に書いた「インターネット 自由を我等に」を踏まえての問い。
答えたことを記しておきます。
インターネット黎明期当時、どのような問題が起こり、どのような規制が行われていたのでしょうか?
「インターネット 自由を我等に」を書いた頃、普及黎明期の90年代中盤、ぼくは政府初のインターネット担当となり(誰もいなかったので勝手に名刺にインターネット担当と書いた)、ネットが個人をパワーアップすることに着目して、推進する立場を明確にしました。
ただ、まだインターネットが人々を便利で豊かにするという認識が定着していたわけではない一方、電話中心の通信産業が大打撃を受ける可能性もあったことから、政府もスタンスが不明確でした。
政府としては、いずれにしろそうした通信網の基盤(光ファイバーなど)をどう格差なく整備するのか、インターネットの米国主導のヘゲモニーをどう扱うのか、といったことが関心事で、ネット規制論、特に情報内容やコンテンツに立ち入った議論はまだ強くありませんでした。
「インターネットと自由」に関する象徴的な出来事は?
- 表現:みんなが初音ミクをネット(ニコ動)で育て、世界のスターに成長させた。YouTuberが憧れの職業となった。
- 政治:2011年、連結した民衆にムバラク体制は倒され、いまトランプ氏がtwitterでマスメディアに対抗している。
- 国家:GAFAは並みの国家を超えるグローバルなパワーを手にした。一方、中国はファイアウォールを敷き、EUはGDPR(個人情報保護)やLinkTax(著作権)を持ち込む。
- 日本は海賊版を巡り、知財の保護と通信の秘密という両面の自由をどう確保するかで悩んでいる。
海賊版への規制、ダークウェブの取締り、あるいはGAFAなど大企業による独占が進んでいます。この規制/独占についてはどう感じますか?
海賊版、違法情報、巨大企業の公正競争といったことがらは、リアルな現実社会でも問題となったことがネットのバーチャル空間でも問題になっているということ。
むしろネットの大衆化により、リアル社会では何とか収まっていた問題がより先鋭的に現れて、解決が難しくなっているのだと思います。いずれにしろネットが特別の自由なパラダイスである時期は、大衆化に伴って終わりを告げました。
現時点でのインターネットの自由と制限の問題を象徴する事例は?
何といっても海賊版サイトでしょう。
海賊版は知財・著作権という「財産権」を侵す一方、政府の対策会議で議論しているブロッキングは「通信の秘密」を侵し、ともに憲法が保障する自由をはさんで対立するものです。
知財とITという、日本が情報社会に向けて寄って立つ2つの領域がバッティングし、その調整が求められています。マンガ・アニメ大国である日本が、ITの落とし子である海賊版サイトにどのような解決モデルを構築するのかが問われています。
しかし恐らくこの事態は、対立を「調整する」という構図ではよい解が得られないのでしょう。むしろ、知財とITとが共存できる領域、両方の自由がともに発展できる場をこれから「作り上げる」という態度が大切ではないか。
インターネット20年にして現れた厄介な問題ですが、こういう問題は今後も登場してくる。それに立ち向かう知恵を寄せ合う、その姿勢が問われているのだと考えます。
今後、インターネットの自由と制限については、どのような方向に進行していきますか?
ネットはPC・ケータイ+コンテンツの第一期の10年、スマホ+SNSの第二期の10年を経て、AI・IoT・ブロックチェーンの第三期に入ります。10年おきに大波があり、課題も拡大してきました。
まだゴールに辿り着いていないどころか、これからも繰り返し大波を受けるでしょう。国家も企業も個人もネットのユーザであり、ユーザが情報社会を築く努力は始まったばかりです。
グーテンベルクが活版印刷を発明し、人々が啓発され、宗教革命、市民革命、産業革命で近代を迎えるまでに3世紀かかりました。IT革命も世の中が切り替わるのにそれくらいの時間がかかるかもしれません。時間をかけてユーザが社会を作り上げていく、という覚悟が必要だと思います。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2019年2月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。