「泣き面に蜂」の文在寅よ、自業自得だ!

高橋 克己

以下は4月15日の朝鮮日報の見出しだ。なぜ朝鮮日報なのかといえば、件の「三・一運動」が起きた翌1920年に東亜日報と共に創刊された韓国の老舗新聞であり、現在も発行部数トップを誇るので、一応は韓国世論を代表しているはずと考えるからだ。

・【寄稿】ワシントンの桜、そのルーツを知るべきだ

・米朝双方から圧力、追い込まれた自称「仲裁者」文在寅大統領(4月15日)

・【社説】文大統領に味方になるよう露骨に要求した金正恩委員長(4月15日)

・金正恩委員長が文大統領を批判「出しゃばりな仲裁者のように振る舞うな」(4月15日)

・金正恩氏が韓国に圧力「行動で誠意を示せ」(4月15日)

・金正恩氏の演説 きょう文大統領が立場表明=特使派遣にも言及か(4月15日)

・対北制裁免除を求める韓国統一部の嘆願書、米国は拒否(4月15日)

・韓米首脳会談:非核化巡り異なる発表、立場の差を再確認する形に(4月14日)

韓国大統領府サイト:編集部

予想通り徒労に終わった訪米で右頬を殴られ、帰国するなり頼みの金正恩に左頬も殴られるという、まさに泣き面に蜂を絵に描いたような文大統領の慰めになる記事はさすが見当たらない。自業自得だから仕方がないのだが、【寄稿】「ワシントンの桜、そのルーツを知るべきだ」(シン・ドンウク)の中に文在寅がこうなった理由を探るヒントがあった。

題から察するにさては「桜=韓国ウリジナル」の話かと思ったらそうではなかった。むしろそうであった方が韓国にとって傷は浅かったのではなかろうか。というのも筆者はシン氏がこの寄稿の中で二つの大きな思い違いをなさっていると考えるからだ。(太字は筆者)

一つ目。彼が知るべきだというルーツは1905年7月の「桂・タフト協定」だった。当時の日米首脳による「米国は日本の韓半島支配を容認し、日本はフィリピンを米国に渡すという」協定だ。その「数年後、日本は3000本の桜を米国に贈り、植樹された。当時の米国大統領はかつて東京に渡って密約を結んだウィリアム・タフト」だから韓国の胸が痛むという。

が、そんなことがルーツか?この種のことなら古くは15世紀末にポルトガルとスペインが世界を半分こしようとしたトリデシリャス条約から、最近なら習近平がオバマに「太平洋は二大国を受け入れるに十分広い」といった話まで大小五万とある。帝国主義とはそういうものだと知らない訳でもあるまいし。

しかもシン氏はその数行前に極めて重要なことを書いているではないか。それは次の一文だ。

日露戦争の戦雲が濃くなっていた1904年初め、高宗は両国間の紛争に対して厳正な中立の立場を守ると宣言した。しかし、この宣言は弱い大韓帝国の没落を予告する『自己告白』に過ぎなかった。

筆者は2月28日の投稿で、李朝高宗に何度も謁見した英国の女流旅行家イザベラ・バードの描く高宗の意志薄弱振りを引用した。中に次のくだりがある。

最良の改革案なのに国王の意思が薄弱なために頓挫してしまったものは多い。絶対王政が立憲政治に変われば事態は大いに改善されようが、言うまでもなくそれは外国のイニシャチブの下に行われない限り成功は望むべくもない

また3月5日の投稿では当時の両班について、呉善化拓大教授の次の記述を含む一文を引用した(筆者は、両班とは貴族階級といわれるがその実態は、良くいえば高等遊民、悪くいえば社会の寄生虫と考える)。

総人口に占める両班の比率は1690年に7.4%だったが、1858年にはなんと48.6%にまで増加した。人口の約半分が支配階級の身分などという国がどこにあっただろうか

何をいいたいかといえば、韓国の胸痛む過去のルーツとは「桂・タフト協定」のあった20世紀に入ってからのことなどではなくて、19世紀半ばからの西欧列強による、阿片戦争に代表されるアジア蚕食への備えを朝鮮が怠った、或いは対処法を間違えたところにあるということだ。

ポータハン号に乗り込んで洋行を試みた吉田松陰やまんまと渡米した福沢諭吉のような人物がなぜ朝鮮に出なかったか、福沢が支援した金玉均や朴泳孝らの改革派をなぜ活かせなかったのか、1904年からの三次の日韓協約をなぜ避けられなかったか、1910年の日韓併合条約をなぜ結ばざるを得なくなったか。

それらの原因は当然にそれ以前にあるのだから、ルーツはそれ以前に遡らねば求められまい。また遡っても自己への反省なしに、あいつが悪いだこいつが悪いだというばかりでは、何の進歩もなくまた同じことを繰り返す。1945年8月15日から朝鮮戦争を経て今日まで続く内輪揉めは、決して東西冷戦のせいだけでなかろう。

二つ目のシン氏の思い違いは次の一文だ。

文在寅大統領の頭の中は今、非常に複雑な状態にあると思う。ベトナム・ハノイで行われた米朝首脳会談の決裂後、北朝鮮の非核化に対する米国の見解は完全非核化と「ビッグディール」に転換、韓国政府の立場が難しくなっているためだ。

筆者も何度かこのことを投稿しているが、国連制裁決議は完全非核化を求めている。なのでトランプがその一存でハードルを下げることはない。だのに日本のメディアや識者の中にも、米国がハノイ会談で突然「ビッグディール」を持ち出したようにいう向きがある。だからといって、火中の栗を拾おうとしている文在寅までそこを読み違えるなど、考えが甘いも良いところだ。

4月14日の「日曜報道 THE PRIME」で李相哲龍谷大教授は下記の趣旨を述べた。自らの研究結果を断言する潔いコメントだ。仮に外れても筆者はこの人に信頼を置く。

金正恩はトランプ大統領さえ口説けば問題解決すると読んでいたようだが、アメリカの方針というのはトランプ大統領がひっくり返してハードルを下げるというのは、もはや無理なんです。

他方、4月7日の投稿で筆者があまり期待しないと書いた三浦瑠璃氏は下記の趣旨を述べた。予防線の張られたありきたりのコメントは予想した通りだ。超党派議員がこの問題で2度も決議しているではないか。

北朝鮮問題は米国では関心は低いが大きな問題。民主党からどんな候補が出て来るかにもよるが、トランプはこの問題を手柄にしたいタイプ。…日本人としてはこれから先、何らかの妥協があるかも知れないということを忘れてはならない。

李相哲教授は金正恩のいう自力更生についてもこうコメントした。

自力更生は無理です。食料は毎年一カ月分足りない、油は一滴も出ない、鉄鋼石はあるがコークスがないから鉄も作れない。この国は70年間一度も自力更生出来たことがない。

「東アジア『反日』トライアングル」(古田博司)には、先軍政治の前奏曲としての北朝鮮の自力更生に触れた一文がある。李・古田両教授の見立て通り自力更生など出来っこない。まして北朝鮮がこの姿勢では、制裁は強まりこそすれ弱まることはない。

50年代から続けられた全国一律トウモロコシ栽培による土地の荒蕪化と70年代から開始された粗放な段々畑の造成が農業を危機的状況に追いやっていた。石垣と暗渠を書いた段々畑からは大量の土砂が河に流れ込み、河床を上げて洪水の原因を作ると共に樹木を失った山では、雨水の浸水する坑道が絶えず落盤し炭鉱業を危険な職種へと変えていった。・・この時代を北朝鮮では「苦難の行軍」時代といい、2000年10月に終結が宣言されるまで続き、多くの餓死者を出した。

シン氏は寄稿を次の一文で結んでいる。

20世紀の米国は、東アジアの大国に囲まれた韓半島の運命に何度となく介入してきた。そして、その歴史は韓国人にとって胸を痛める過去として残っている。日本の韓半島侵略を容認し、韓半島の分割統治でソ連と合意したのも米国だった。一方、命を懸けて韓半島の共産化を阻止した戦争の惨禍の中で、韓国が再び立ち上がれるよう助けてくれたのも米国だった。文在寅大統領の今回の訪米に期待と懸念を同時に抱くのは、韓米間の愛憎の歴史の中で、「北朝鮮の核」が再び韓半島の胸を痛める出来事として繰り返されることのないよう望んでいるからだ。

事ここに及んでなお他者を当てにする韓国、自ら出来ることがいくらでもあろうに。呆れる外ない。

高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。