「年金返せデモ」の参加者が理解していない公的年金の仕組み --- 向井 洋平

老後の収入の柱となる年金を土台としたうえで、資産形成を考えることの重要性を訴えた金融庁の報告書。「2,000万円不足」が独り歩きし、土台であるはずの年金制度に対する不信や批判の声を招くという、全く意図しない状況を生んでしまいました。しかし注目を集めているこの時期こそ、公的年金制度についての正しい理解を広めるまたとない機会だといえます。

babel’s artworks/写真AC(編集部)

公的年金は保険である

年金には大きく分けて公的年金と私的年金があります。公的年金は全国民を対象として国が主体となって実施する年金制度、私的年金は企業や個人が任意で実施(加入)する年金制度です。つみたてNISAのような資産形成のための制度も、広い意味では私的年金の1つと捉えることができます。

私的年金は基本的に現役時代に積み立てた掛金を引退後に取り崩すという考え方で運営されていますが、公的年金にその考え方を当てはめるのは適切ではありません。現役世代が納めた保険料(公的年金では「掛金」ではなく「保険料」という)は、同じ時代を生きる老後世代の年金給付に充てられます。また、家計を支える働き手を亡くしたり高度障害により働けなくなった人には、遺族年金や障害年金が支給されます。

つまり、公的年金は、老齢、死亡、障害といった理由により働いて収入を得ることが難しくなった場合に備え、みんなでお金を出し合うという「相互扶助」の考え方が基本になっています。「年金返せ」と主張している方々は、その点を理解していないのでしょう。

公的年金の支給額は保険料の納付実績に応じて計算されるために「積み立てている」という感覚を持ってしまいがちです。しかし本当のところは、現役世代から老後世代(働いて収入を得ることが難しい人たち)への「仕送り」を国民全体で行うことでリスクを分け合っている保険制度なのです。

「強制保険」の公的年金と「任意保険」の私的年金

公的年金の給付水準はどこに設定すべきでしょうか。老後世代の生活を豊かにするために現役世代の保険料負担を重くしすぎて生活が苦しくなってしまうようでは本末転倒です。

全国民が加入する「強制保険」である公的年金は、現役世代が無理なく負担できる保険料水準で、老後世代が日常生活に必要な最低限の給付を確保するというのが妥当な考え方でしょう。それを上回る給付を確保するための手段が「任意保険」である私的年金です。この関係は自動車保険に置き換えると理解しやすいかもしれません。

強制保険とも呼ばれる自賠責保険は交通事故の被害者救済を目的としたものであり、加害者の支払能力に関わらず最低限の補償が受けられるようになっています。一方で加害者のほうは自賠責保険による補償を大きく超えるような賠償責任を負う可能性があります。この部分をカバーするのが任意保険であり、加入の有無や補償の範囲、金額水準は各自の選択に委ねられます。

今回の金融庁の報告書が言っているのは、「今の高齢者は平均するとこれくらいの金額の任意保険に入っているけど、現役世代がこれから走る道はより長くなり、行先も運転する車の種類も人それぞれだから、自分に必要な任意保険がどういうものなのか、今のうちにしっかり考えておきましょうね」ということです。そのためには、まずベースとなる強制保険をしっかりと理解しておかなければなりません。

金融教育の前に社会保障の教育を

報告書が訴える資産形成のためには金融教育も重要ですが、今回の騒動からはそれ以前に公的年金を含む社会保障制度についての教育が必要であることを痛感させられます。メディアが不安を煽るような記事を書き、政治がそれに流されてしまったのも、公的年金に対する理解が十分に浸透していないからでしょう。それによって、報告書が本来訴えたかったことがかき消される結果となってしまったわけです。

とはいえ、若い人たちに対して遠い将来に受け取る年金の話に関心をもってもらうにはどうしたらいいでしょうか。

収入のすべてを年金に頼る祖父母がいたとして、もしその年金収入がなくなったとしたら、生きている限り両親がその生活費を工面する必要が出てきます。そのしわ寄せで本人は学業をあきらめ、働かなければならなくなるかもしれません。年金制度は高齢者のためだけにあるのではなく、若い世代が安心して教育を受けるためにも必要なものなのです。

公的年金を含む社会保障制度がなぜ必要なのか、まずは今の生活に直接関わるところから考える機会を設けることで、世代に関わらず「自分ごと」として捉えられるようになることが大切でしょう。そのうえで制度の仕組みや考え方についても理解が深まり、よりよい制度にしていくための建設的な議論ができるようになっていくことを望みます。

向井 洋平 株式会社IICパートナーズ 常務取締役 年金数理人
京都大学理学部卒業後、第一生命保険を経て現職。200社以上の退職金・企業年金制度についてコンサルティングや数理計算の経験を持つ退職金専門家。著書に『確定拠出年金の基本と金融機関の対応』など。