韓国による皇室への不敬に対する正しく賢い反撃

2019年09月02日 11:32

韓国人の言うことで日本人が一番腹が立つのは、皇室に対する不敬だろう。天皇陛下を「日王」と呼ぶのは極めて失礼だ。文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が、現上皇陛下を「戦争犯罪の主犯の息子」と呼ぶなど、非常識の極みだ。

文氏公式サイト、宮内庁サイト(編集部)

サッカーワールドカップ(W杯)日韓大会のとき、当時の天皇陛下が、桓武天皇の母が百済王室に連なるという「ゆかり」を話されたら、韓国マスコミは「日王が百済王室の末であると認めた」と曲解したが、父である光仁天皇の側室が百済王家の子孫だっただけだ。

もう少し詳しく紹介するとこういうことだ。文議長がいったのは、「 一言でいいのだ。日本を代表する首相かあるいは、私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるだろう」ということだ。

アメリカのマスコミにそう話して、自分はそういう言い方はしていないと弁解したが、録音を取られていた。

その前には、2012年8月14日に、当時の李明博大統領が「(彼らが言う日王について)痛惜の念などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない」「(日王が)『痛惜の念』などという良く分からない単語を持ってくるだけなら、来る必要はない。韓国に来たいのであれば、独立運動家を回って跪(ひざまづ)いて謝るべきだ」と謝罪を要求する発言を行った。

曲解が重ねられた天皇家のルーツ

「痛惜の念」とは、現上皇さまが、1990年5月24日に訪日した盧泰愚大統領を迎える宮中晩餐でのおことばにある表現であった。

桓武天皇(Wikipedia)

桓武天皇の母親についていえば、高野新笠と呼ばれる生母は、百済の武寧王の子孫である帰化人で下級官吏だった和乙継(やまとのおとつぐ)と、土師朝臣真姝(はじのまいも)の娘であった(土師氏はのちに大江朝臣と改称する)。

天智天皇の孫でそれほど序列が高くない皇族のひとりだった白壁王の妻妾となりのちの桓武天皇を生んだ。白壁王はのちに聖武天皇の井上内親王を正妻に迎えてメジャーな皇族となり、そのお陰で他戸親王を儲けた。

称德天皇(孝謙天皇が重祚)が崩御したのち、他戸親王への中継ぎのかたちで光仁天皇となった。ところが、井上内親王は他戸親王への早期の譲位を望んで呪訴したと疑われて親王とともに失脚し、桓武天皇の即位となった。

そもそも、百済が復興すれば王位につくべき百済王家というご本家の当主でも鎮守府将軍陸奥守とかいったあたりが出世頭で、これが当時の日本と百済の力関係を表しているのであるが、韓国人はそれを天皇家が百済王家の分家であるがごとき受け取り方をするのだから困るのである。

もちろん、古代にあっては、百済も新羅もこうした力関係は正しく認識しつつ、新羅などはなんとか、日本の従属国家から脱して対等の関係となりたいと模索していたのであるが、唐からいじめられると、日本に膝を屈していたのである。

ところが、戦後になると、江上波夫とかいう東京大学の先生が「騎馬民族説」とかいう東京大学教授がいうのでなければ誰も相手にしない粗雑な珍説を唱えて、応神天皇が半島から渡ってきたなどと唱えた。

それをまた曲解に曲解を重ねながら、「天皇家は朝鮮半島から来た」と小沢一郎のような有力政治家までもが、韓国人に諂いたいために韓国での講演で話したりするものだから、「『日本書紀』や『古事記』に書いてある皇室の由来はうそで本当は韓国人、それも王家などではない出自だ」と言う妄想にとりつかれることになる。

しかし、新羅の国王には日本人もいたと、朝鮮半島最古の歴史書『三国史記』という正史にまで書いているのに対し、古代日本の支配者が半島から来たとは、日中韓の史書はおろか民間伝承にもなく、戦後、突然生まれた妄想である。

縄文人も弥生人も大陸からやって来ただろうから、皇室の先祖もその中にいただろうが、記憶にない遠い昔の話だ。

まあ、百田尚樹さんのような愛国者でも万世一系を否定して、応神天皇は熊襲でないかとか言い出すのだから、韓国人がそのくらいいうのも、ありかもしれないが、ともかく、日本人がなんで韓国人のファンタジー史観に同調し舞い上がらせようとするのか私は理解できない。

保守派も過剰な反応は避けるべき

ただ、保守系の人たちが「不敬」とかいって騒ぐのはよろしくない。外国の君主に対して一定の敬意を払うのは当然だ。しかし、そういう一般的な原則を超えて日本の皇室に対する敬意を求めることはできない。

それに、昭和天皇の戦争責任についての議論を蒸し返して、韓国と喧嘩して日本にとっても皇室にとってもいいことがなにかあるのだろうか。

愛知のトリエンナーレをめぐっても、昭和天皇の肖像を焼く作品について「不敬」であり許されないという人も多い。たしかに、人の肖像を燃やすのはよろしくない。ただ、公的な人物に対してでもいあり表現の自由の範囲内である。

許されないのは、公的な助成まで入っている展覧会でしかも表現の自由と絡めた展示をすることである。

それを「不敬罪」が必要だといわんばかりの主張が多く見られ、それは世界に対して日本が戦前と同じ天皇絶対主義の国だという誤ったメッセージを発するし、それは、韓国の国会議長らの「不敬」についても同様である。

もちろん、日本の世論が韓国の非常識に厳しく反応するのは当然だ。しかし、それを皇室や政府が感情的に取り上げてもなんら生産的な意味はない。慇懃無礼に皮肉を言ってあとは「丁寧な無視」をするだけで十分だ。あとは、この議長が訪日したいとか、韓国の要人が日本に来ても皇室関係者には会わさないとかいうことでいいのである。

天皇訪韓の最低条件

ただし、天皇陛下を日王などと呼ぶのは、これは許されない。現在の世界で、君主の肩書きは、その国の自己申告の通り各国が呼ぶのが慣習だからだ。

それから、いつの日か、日韓関係が成熟した象徴として天皇訪韓は必要なことだと私は思う。しかし、慌てる必要はない。

少なくとも、日王とか政府はもちろん、マスコミが呼ぶようではダメだ。また、天皇陛下であれ皇族であれ象徴なのだから、韓国政府からあらかじめ一歩進んだお言葉など期待していないという明確な約束が必要だ。

昭和天皇の場合には、象徴天皇としてのほかに、明治憲法下における天皇だった時期があるのだから、その立場においてやや踏み込んだご発言があっても仕方ない面があったが、平成の陛下以降にあっては、絶対に政治的発言はありえないのである。

それでもいいと韓国世論が納得しているということが、天皇訪韓の最低の条件になる。

日韓の関係に似ているということでいえば、イギリスとアイルランドの関係が参考になるかもしれない。アイルランド大統領が、初めてイギリスを公式訪問したのは2014年のことで、1922年に自治が認められてから92年目のこと(正式独立は1937年)。2011年のエリザベス女王のアイルランド訪問に続くこの訪問で、両国は歴史的和解の一つの段階を迎えた。

アイルランド大統領はアイルランド人兵士も多く祀られているウェストミンスター寺院の無名戦士の墓に詣でたが、これは韓国大統領が靖国神社に参拝することに匹敵するものだった。

そういう意味では、戦後まだ70年余り。慌てる必要はない。もうすぐ天皇陛下となられる皇太子殿下が在位されている間、あるいは終戦後100年あたりには実現できるといいと願うばかりだ。その実現を目標に、両国が慎重に条件整備を進めて行くとすれば素晴らしいのではないか。

しかし、ああいう国会議長の発言があるともう1世紀はダメだという気がする。

八幡 和郎
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑