カタール首長の豪邸購入がスペインで話題になった歴史的理由

2019年09月27日 06:00

中東カタールのタミーム・ビン・ハマド・サーニ首長(以後サーニ、39歳)がスペイン・グラナダのアルハンブラ宮殿を見下ろすことのできる豪邸を7月下旬に購入したことがスペインのメディアで話題になっている。

話題になる理由というのは、スペインでイスラム統治が行われていた時のその最後の王家「ナスル朝」の残した宮殿がアルハンブラ宮殿で、サーニ首長がその宮殿の近くに豪邸を購入したということは歴史は繰り返すのごとくイスラムがまたスペインに領土回復に乗り出したのではという話題性があるからである。

スペインにイスラムが到来するのは西暦711年。その後、スペインでイスラムの統一が確立されるのがアル・アンダルス(現在のアンダルシア地方)のコルドバを首都にした「後ウマイヤ朝」が956年に成立してからであった。イスラム文化の象徴の一つとしてグラナダのメスキータ(モスク)を見ることができる。

その後、スペイン北部地方からキリスト教徒による国土を回復しようとする動きが生まれ、それが現在のスペインが誕生する礎になっている。

1232年に「後ウマイヤ朝」が崩壊すると地方の群雄割拠の中でグラナダを中心にした「ナスル朝」が1238年に誕生。それがカトリック両王(アラゴン王国のフェルナンド2世とカスティーリャ王国のイサベル1世)によって崩壊させられた1492年まで250年間続くのであった。アルハンブラ宮殿が建造されたのは「ナスル朝」統治の前半であった。

余談になるが、このイサベル1世がコロンブスの航海を支援し、それがスペインがラテンアメリカに根を下ろす切っ掛けをつくったのである。

サーニ首長は2013年6月に父親ハマド首長から政権を譲渡される以前にスペインを訪問してグラナダそしてアルハンブラ宮殿に魅了されたという。サーニ家が所有するフレンチ・プロパテイーズ・マネージメント傘下の不動産会社を介して購入したこの豪邸というのは敷地5941平方メートルの中に邸宅800平方メートルに10部屋を備えたカルメン・デ・サン・アグスティン邸である。

買収に払った金額は1520万ユーロ(18億2400万円)だという。15年程アルバイシン地区で不動産を手掛けているセルヒオ・ガルシアの説明によると、彼が把握している中で今回の売却が最高額だそうだ。

所有者側では税務署への250万ユーロ(3億円)の負債もあって、当初3000万ユーロ(36億円)での売却を望んでいたという。(参照:elindependiente.com:下記 YouTube)

この豪邸は2001年に亡くなったマリア・ドローレス・アングロが遺産として受け継いだもので、6人の子供の所有になっていた。彼女の夫ラファエル・ペレス・ピレはスペインで乳製品のトップメーカーのひとつプレバの社長を務めた人物であった。彼も2016年に逝去。

今回の売却以前に、この豪邸が話題になったのは2012年から貸した先のアバデス・グループがそこを結婚式やパーティの会場にしたのであるが、その為に必要な営業の認可を市役所から受けていなかったというのが発覚。また、そこから出る騒音に近所の住民は苦情を警察に訴えていた。そのため、警官が頻繁に現場に赴く場合が往々にしてあったそうだ。駆けつけた警官を前に内輪のパーティーだという言い訳が常であったという。

しかし、問題が表沙汰になったのは相続人の娘のひとりがアバデス・グループとの契約内容に同意できないとして検察に告白したことであった。

結局、今回の売却で6人の相続人は税務署への負債も返済でき、売却金も分担できることになった。(参照:elespanol.com

この地区アルバイシンには売りに出されている邸宅は40余りあるという。サーニ首長がこの豪邸を気に入った理由はアルハンブラ宮殿、その北に位置するヘネラリフェ、ダロ川の川床などが一望できる場所にあることや、ネバダ山脈を展望でき、サクロモンテの丘やアルバイシン地区を東の方に見ることができるという見晴らしが非常に良い位置にあるということ、その上、家が聖地メッカの方に向かって建てられていたということが、購入を決める重要な要因になったという。

(以上参照:granadahoy.comgranadahoy.comelindependiente.com

スペイン国土の大半が7世紀の間イスラムの統治下にあったという特異な歴史もあって、イスラム諸国の指導者はスペインに非常に親近感をもっている。その関係からスペイン王家とは親密な関係を維持している。

サウジアラビアの歴代の国王はスペインで夏休みを過ごすことが慣例となっていた時もあった。サルマン国王がバケーションをスペインで過ごしたのは今のところ2015年が最後になっている。従者を多く従えるのでその地域の観光業者は大盤振る舞いの恩恵に授かるのが常となっていた。

(参照:elpais.com

そのサウジと現在犬猿の仲にあるのがカタールである。カタールはアラビア半島に突起物のような半島の国だ。日本の秋田県にほぼ相当する国土11586平方キロメートルに人口220万人であるが、原住民は30万人しかいない。

特にカタールの動きが注目されるようになったのは1990年にクウェートにイラクが侵入した時からであった。ロシアと並ぶ天然ガスから挙げる収入をもとにサウジに影響されない独自の外交を展開して行くのである。この天然ガス田は海底でイランのそれと繋がっており両国は協力関係にある。サウジの思う通りにならないカタールの政権を転覆させようとして封鎖に踏み切った時に真っ先にカタールに食糧物資の提供をしたのがイランであった。

エジプトで「アラブの春」の旋風が巻き起こった時にムルシー前大統領を支えたムスリム同胞団を支援したのもカタールであった。その縁もあって、トルコがカタールに接近するようになった。また、トルコがロシアの戦闘機を撃墜してロシアから物資の輸入が出来なくなった時に支援の手を差し伸べたのもカタールであった。

その関係からトルコはサウジの攻勢からカタールを守るためにカタールにあるトルコの軍事基地を強化した。イスラム国にも武器や資金を提供して来た。

カタールの外交は小国が中東のサウジとイランの両雄の間にあって独立を維持して行くには変幻自在の柔軟外交を展開して行くことであるというのがサーニ首長の父親の代に確立されたのである。

何はともあれカタールが今後も独立国として維持して行けるのは父親の代に米国を説得してアル・ウエイドに中東で最大規模の米空軍基地を建設したことである。現在この基地から米空軍は中東、北アフリカ、中央アジア、南アジアの動きを監視し、空路そして空輸のコントロール、更に空爆もこの基地から戦闘機が離陸することになっている。

この基地の建設は1990年代から開始され、総工費のおよそ10億ドル(1080億円)は全額カタールが負担した。米国は2002年からこの基地を利用している。(参照:bbc.com

カタールはこの基地を通して米国を人質として取っているようなものである。現在、米国が中東での勢力を維持するにはこの基地が必ず必要となっている。当初トランプ米大統領の扇動でサウジがカタールを孤立化させようとしたが、米国にとってこの基地が地政学的に重要であると理解したトランプはその後サウジのカタール封鎖に消極的になった。米国はカタールを見放すことができないのである。

また、カタールの存在感を示してるのがアルジャジーラ放送局の開局である。アラブ語と英語での放送内容に差はあるが、英語での放送はイスラムの政治を批判することも憚りなく行っており、サウジやアラブ首長国連邦、更にイスラエルにとって煙たい存在になっている。

このような背景を持っている外交匠なカタールの首長がスペインにより接近して来るのは中東におけるスペインの存在感を示す一つの手段になるであろう。

白石 和幸
貿易コンサルタント、国際政治外交研究家

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