望ましかったオリンピック開催時期の見直し

岡本 裕明

1964年、東京オリンピックが開催されたのはご承知の通りですが、その時の開催日は10月10日から24日までの15日間でした。10月10日が体育の日になっているのはその名残であります。

その後、いつの間にかオリンピックには夏と冬という冠が付き、夏のオリンピックだからと7-8月開催が当然のようになりました。なぜ、夏になったのか、といえばテレビ業界の都合と申し上げましょう。夏にはメジャーなスポーツイベントがないからという理由なのですが、どちらかといえばほかの時期にメジャーなスポーツイベントが目白押しになるから、というのが正しい説明かと思います。

夏でも野球やゴルフなどはツアーやトーナメントが開催されているわけでイベントがないわけではありません。むしろ、夏の良い時期にテレビにくぎ付けになるのはもったいないと考える方がナチュラルなのですが、アメリカの放送局はそう考えません。秋は野球のプレーオフ、ゴルフもまだあるし、アメフトやアイスホッケーもシーズンが近くなります。欧州はサッカーもあります。こうなると消去法的に夏になったとみられています。

では酷暑のさなかでスポーツ選手は耐えられるのか、という点において開催中のドーハの世界陸上がその状況を克明に伝えています。気温32度、湿度7-80%ですから東京の真夏と同じような気象条件かと思います。女子マラソンは68人中28人が棄権、男子50キロ競歩は46人のうち18人が棄権といった具合でタイムよりも完走すら危ういという状況であります。

谷本観月選手が7位入賞を果たした一方、酷暑で4割が途中棄権したドーハ世界陸上の女子マラソン(NHKニュースより:編集部)

女子マラソンはスタート時間がなんと夜中の12時1分前。そんな時間ですら棄権者続出の状況の中で大会はまだ続いていますが、いったいどんな結果をもたらすのでしょうか?そして東京五輪開催組織委員会にとって夏の強行開催が致命的な問題となり、将来オリンピックそのものを否定するかもしれないリスクすら抱えるかもしれません。

オリンピックをショーとするのか、スポーツの祭典とするのか、はたまたもともとのコンセプトの一つである経済復興援助のためなのか、改めて考えてみる必要があります。ドーハの状況からすれば記録も史上最低レベルが出るなど選手の能力を引き出すことに難しさがあることがはっきりしています。

私が心配するのは日本人のメンタリティであります。どんな酷暑でもどんな悪コンディションでも開催国として日の丸を背負っているという気負いがあるでしょう。その時、選手らが限界を超えたチャレンジをすることは大いにあるわけでそのコントロールは選手の判断力にすべて担うことになります。

夏のオリンピックで日本人選手が必要以上に無理をしやすい状況にある点は大いに留意すべきです。考えたくもないですが、死者でも出せば夏のオリンピックの将来の開催は選手によるボイコットという動きすら想定できてしまいます。

この先、オリンピックの開催時期については地球温暖化を含めどこで開催しようと似たような問題を抱えることになると考えています。私は一つの対策として春開催もありかと思うのです。5月ごろです。その時期はアイスホッケーの決勝が絡みますが、気候的には優れています。

IOCが放送権ビジネスに縛られてしまったという点で判断の自由度をなくしてしまったことは大きな間違いであったと思います。さまざまなスポーツの世界大会が年中開催されている中でオリンピックの在り方はもう一度ゼロから検討される時期になってきたと思います。

東京もこの数日、ようやく秋の気配を感じられる心地よさが戻ってきました。選手も観客も我慢を強いられるのは勘弁してほしいというのが本音ではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年10月1日の記事より転載させていただきました。