台風19号:田中康夫元知事や民主党政権への批判は妥当か --- 井上 孝之

2019年10月20日 06:00

今回の台風19号の被害を受けて、かつての長野県の田中康夫知事や民主党政権が批判されていますが、それは妥当でしょうか?

試験湛水中の八ッ場ダム(10月13日朝、国交省サイトより:編集部)

私の技術的な専門分野に「防災」が含まれているので、防災にかけるコストを考えるうえで参考になる「総費用最小化の原理」という考え方を紹介します。

この考え方は下記のグラフに集約されます。

横軸を「構造物の防災性能」とします。川の堤防や津波対策の防潮堤の高さ、ダムの貯水量、地震対策の耐震強度のように大きくするほど防災性能が高くなるものがこれに該当し、グラフの右に行くほど、防災性能は高くなります。

縦軸は防災施設の建設費用または災害時の被害額の金額とします。

青線は防災施設の建設コストを表し、コストをかけるほど防災性能は高くなるので、左下から右上に伸びるグラフとなります。

また、緑線は災害が発生したときに生じる被害額(厳密には、発生する被害額×災害が発生する確率=災害によって生じる被害額の期待値)を表し、防災性能が高いほど発生する被害は小さくなるので、左上から右下に伸びるグラフとなります。

結局、構造物の所有者(堤防のような公共物の場合はその地域の住民)は、防災設備の建設時に建設コスト(青線)を負担し、災害時には復旧費用(緑線)を負担する(あるいは災害の被害を被る)ことになるので、この合計値(赤線)が構造物の所有者が構造物のライフタイムで負担するコストの総額ということになります。

赤線を見れば分かる通り、このグラフは下に凸であり、このグラフの最小値のところが「経済合理性から考えた最適な(ちょうどいい)防災性能」ということになります。

防災性能がこの最適値よりも小さければ災害時に過大が被害が生じ、大きければ防災施設への過大投資(無駄遣い)ということになります。

もし、この「最適な防災性能」を超える災害が起これば、その施設は「壊れる」ことになりますが、無限に頑丈な施設を造ることはできないし、また、防災対策にだけお金を使うわけではないので、このレベルの性能で割り切る以外にはありません。

このグラフは、あくまでも概念を示したものなので、この最適値は方程式を解けば出てくるような単純なものではありません。時間の経過とともに価値観が変化して、「何を大切だと思うのか」が変化すれば、この最適値も変化します。また、災害によって失われる人の命も金額に換算してグラフに反映させることになります。

このグラフから読み取れることは単純で、「防災性能には最適値がある」ということです。従って、最も重要なことはこの最適値がどのくらいなのかを見極めることが防災対策の核心部分となります。この最適値を考えない人に防災を語る資格はありません。

防災施設について、災害が起こる前は「無駄遣い」と批判し、災害が起こった後は「防災意識が低かった」との批判が生じるのは、「最適な防災性能をどのように設定するのか」という思考が欠けていたからです。

今回のように災害が起こった直後には、極端に高い防災性を求め、記憶が薄れるに従って、防災性能は低くていいというように感情的に考えてしまうことも、防災にかけるコストとその結果として得られる防災効果のバランスを考えていないためです。

では、どのように「最適な防災性能」を決めればいいのでしょうか? それには、専門家が基本的な計画とコスト試算を示し、それをベースとして、関係者が「それで十分なのか、足りない事項は何か、それを実現するためにはあとどのくらいのコストがかかるのか、本当に守りたいものは何か、災害時に失われてしまっていいものは何か」等を洗い出して、計画とコスト試算を繰り返して、関係者の多数が納得できる計画にたどり着く以外にないと考えています。

洪水対策を例に考えるなら、コストをかけて堤防を高くするのか、堤防の高さはそこそこにして、洪水浸水想定区の人たちには引越支援をするのか、避難所を作って人命だけは守れるようにして、物的被害は保険金で買い替えるのか等の選択肢について、コスト試算をして、コストと効果のバランスを考えながら、関係者が納得できる計画を模索することになると思います。「最適な防災性能」とは、堤防の高さだけではなく、水が堤防を越えたときの二次的な対策も含めて検討されるべきです。

かつての自民党政権は、「雇用を生み出す」という目的のために防災性能を過剰に高くしていたと私は考えています。このことが「無駄遣いをしているのではないか」との疑念を生み出し、長野県の田中康夫知事や民主党政権を生み出したのだと考えています。

このように、「過剰に高い防災性能を設定してしまうと、揺り戻しによって防災施設への過少投資に陥り、かえって危険な状態を作り出してしまう」ということこそが今回の台風被害の最大の教訓だったのではないでしょうか?

今頃になって、田中元知事の脱ダム宣言や民主党の公共工事削減を批判している人たちは、あの当時、この最適な防災レベルについてどのような考えを持っているのでしょうか?

私は、長野県の田中康夫知事や民主党政権の誕生は最適な防災性能のレベルを考えるうえで不可避なプロセスだったと考えています。このように過剰投資と過少投資を繰り返しながら、最適値に収束していくことになると考えています。

※参考
森保宏「持続的な社会における構造設計」名古屋大学(6ページ目)

井上 孝之
長野県に田中知事が脱ダム宣言を行ってことも民主党が公共工事の見直しを行ったときも支持していたし、そのことを後悔していない技術系サラリーマン

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