星新一さんの「情報銀行」

理研・東大の橋田浩一さんが星新一「声の網」に「情報銀行」が登場するから読めという。

星新一は中学生のころ全部読んだはずだが記憶にない。
単行本を読んでみた。ショート・ショートの形式ながら、12編を1本とする長編小説。
だから記憶の枠外にしていたのかもしれない。
衝撃でした。

書かれたのは1970年。
電話が全国自動ダイヤル化されたのは1979年であり、まだ黒電話をどう整備するか、という時期。
コンピュータと通信をつなぐシステムが登場したのは1964年で、まだ赤ん坊の段階。
インターネットの商用化は20年先のことです。

登場するのは「ジュピター情報銀行」。
電話で話す。メモ、日記がわりに情報を預ける。
中央のコンピュータがデータとして蓄積、分析、加工する。
情報を指令することで資金移動も可能。
だがここまでなら驚くに当たらない。
空想力に舌を巻くのは、ネットワーク社会の展望だ。

「声の網」は描く。
電話の先にあるコンピュータは無数に存在し、全てネットワーク化された有機体となっている。
本質は「網」であるとする。
そこではネット社会の現在、ぼくたちが体験するさまざまなことが描かれます。

有益な情報も、嘘の情報も贈られてくる。
盗聴があり、プライバシーが突かれる。
全ての分散した個人情報は検索され、照合される。
ネットワークをハックして情報を流すことにより、世の中がパニックに陥る。
警察当局をもコントロールする。

本人データと、他人の関連データをコンピュータのネットワークで連結・分析・加工すれば、当人を再現することもできる。
コンピュータが普及した時代に、コンピュータにできないことは何かと人は考える。芸術は該当するかもしれないが、誰もが才能を持つわけではない。

ネット、分散、拡散、検索、ハッキング、フェイクニュース、AI。
現在との違いは、端末が固定電話で、インタフェースが音声のみでなされること。
だがそれがPCやスマホになったとして、人とマシンと情報とデータの関わりは本質的には変わらない。
いやスマートスピーカーが見据える未来は声の網か?

それに増してぼくは、星さんがところどころに差し込む、文明へのまなざしに引かれました。
例えば、こうです。
生きるため人類は殺しではなく秘密を選んだ。
弱肉強食ではなく工夫を選んだ。
これが文明の始まりではないか。
火や道具より秘密のほうが大発明だった。
つまり、まず情報ありき。

こうも言います。
火や蒸気はかすかな密度でエネルギーは微々たるものだが、高密度で質量の高いエネルギーは情報だ。
石油も電力をそこからエネルギーを生むエネルギーはそれを使う知識という情報だ。
それを増殖し発信するのがコンピュータでありメディアだ。

エネルギーすなわち情報が人間の手に負えなくなるほど高密度になり、爆発する現象が起きて無に至る。
だがその先は想像の範囲外だ。
(その議論を察知したコンピュータ・ネットワークが、当人の記憶を抹消したため。)

電話さえ満足に使えなかった工業社会に描かれた、ネットとAI、第三次と第四次の産業革命。
そこは楽園でもなく、地獄でもないけれど、そこはかとなく楽しくて、そこはかとなく不安。
これは平成に漂った空気であり、小説から50年後を見事に展望しています。
令和はどう進むのか。
改めて空想が欲しい。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2019年11月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。