なぜ「人」は知りながらも悩むのか:COP25と環境問題

2019年12月13日 11:30

人工知能(AI)の未来をボーッとして考えていた時、「AIに聞かなくても、人間は本当は知っているのだな」と漠然とだが、かなり確信をもって思わされた。それでは何をわれわれは「知っている」のだろうか。

具体的な時事問題から考えてみた。スペインの首都マドリードで国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)が開催中だ。マドリード入りしたスウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさん(16)は11日、関連イベントで演説した。

9月の国連気候行動サミットでの演説とは違い、世界指導者への批判のトーンを抑え、人類が連帯して取り組まなければならないとアピールした。世代闘争を思わせた国連総会時の演説より、当方は好感がもてた。

ところで、地球温暖化が人間の経済活動に起因している場合、その対策は明確だ。ただし、地球の軸変動や宇宙からの影響が主因とすれば、対策はかなり限られてくる。人類は知恵をかき集めて考えざるを得ないが、抜本的な解決は期待できないだろう。

COP25に合わせたマドリードの街頭デモ(flickr

ここで考えたいテーマは、人類が現在直面している「貧富の格差」や「飢餓」、「紛争解決」では人類はその対策を「知っている」ということだ。人類は基本的には誰かから言われなくても「知っている」。地球の温暖化が人類の産業化の結果とすれば、どうすれば問題を解決できるかを「知っている」。ワイルドな資本主義社会で生じている「貧富の格差」の解決方法もマルクス・エンゲルスを墓場から呼び起こさなくても、私たちは本来、「知っている」。

問題は、「知っている」がそれを実行に移すことができない、という矛盾状況にあることだ。「知らない」のならば、「知る」ために努力をしなければならないが、わたしたちは「知っている」のだ。「知っている」ことが実行できないために、問題解決はできず、私たちを取り巻く状況は改善せず、悩み始めるのだ。

例えば、「貧富の格差」の解決は多くを持っている者や裕福な国が持っていない者、国に与えることだ。シドニー出身の哲学者、ペーター・シンガー氏の効率的利他主義的な発想だ。貧しく、飢餓に苦しむ国があれば、世界は救援物資を送ればいい。実際、そのような活動は国連や非政府機関を中心に実行されているが、それを全世界的レベルで持続的に実行すればいいだけだ。本来、難しいことではない(「利口ならば人は利他的になる」2015年8月9日参考)。

最大の問題は、繰り返すが、「知っている」のにそれを実行できない、という矛盾を解決できないことだ。聖パウロもその一人だった。彼は、イエスの福音を知り、喜びながら生きている一方、別の自分にその言動を翻弄されている姿に気が付き、嘆いたのだ。

宗教はこの「知っている」が、それを実行できない人間の矛盾を解決する道を説いてきた。人間の矛盾状況を仏教では「業」(カルマ)、キリスト教では「原罪」と呼び、そこからの解放がない限り、人間は「知っている」がそれを実行できない矛盾状況に留まるというわけだ。

だから、修道者は断食し、喜捨し、「知っている」ことを実行させない矛盾(煩悩)を克服(解脱)するために専心してきた。仏教では「捨てる」(断捨離)ことを、キリスト教では「与える」ことを訴え、矛盾を克服するように諭してきた。

マドリードで長時間、協議が行われているが、どうすればいいかは会議に参加した人々は本来、知っている。CO2の排出が地球温暖化の主因とすれば、それを抑える一方、CO2の排出を抑える環境にやさしい方法を考えなければならない。

難しいのは経済成長を優先する工業国家が抵抗するだけではない。個々の人間も環境にやさしい生き方を模索していかなければならないことだ。テーマは深刻だが、答えはシンプルだ。しかし、実行の段階になるとやはり難しい問題が出てきて、コンセンサスが出てこなくなる。

ウィーン市庁舎前広場のクリスマス市場風景(2019年12月12日、撮影)

それでは、私たちは何を「知っている」のか。何が善であり、悪かを「知っている」のだ。「モーセの十戒」ではないが、人を殺すこと、騙すこと、姦淫することは悪だ。逆に、人を助け、喜ばすことは善だ。世界の宗教の教えはその表現こそ異なるが、そのエッセンスは共通している。

その「知っている」ことを実践させないのは、キリスト教では「人間に原罪があるからだ」と説明し、「悪魔」が人間を牛耳っているという。ただし、「悪魔」の実在性については、悪魔には好都合だが、神の存在と同じく、意見が分かれている。

いずれにしても、わたしたちは生来、何が善で、何が悪かを「知っている」。通常、それを「良心」と呼ぶ。その良心が様々な偏見、思い込み、エゴなどで曇ってきたために、「知っている」ことを「知らない」と考えてしまうことが出てくる。

私たちは「知っている」のだ。選択に苦しむ時、判断できない時、素直に「良心」に問いかけるべきだ。「良心」は本来、最高の教師だからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年12月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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