岸田官房長官にでもして菅氏は横滑りが賢明だ

八幡 和郎

夕刊フジに年末なので政局の展望を書いて欲しいということだったので、安倍政権のこれからとるべきみちについて所感を書いたのが、「菅長官交代、改造で心機一転を」という記事になって昨日、掲載された。

もちろん、タイトルは編集部が付けたものだが、それなりの反応もあるので、少しその趣旨を敷衍して記事では文字数の制限もあって書けなかった部分も含めて紹介しておきたい。

先日、日本版「ニューズ・ウィーク」の電子版に、コラムニストで元CIA諜報員のグレン・カールさんが記事を載せていた。

安倍首相の成績表;景気刺激策、対米対中外交、防衛力強化。もしかすると史上最高の首相」というものだ。

臨時国会閉会で記者会見する安倍首相(官邸サイトより:編集部)

もっとも、「野心的な目標が十分達成されたとは言えないが」と書いてあって、手放しの礼賛ではない。しかし、それは仕方ないというのだ。なにしろ、たとえば、米国の歴代大統領のなかでメイ大統領というと、ワシントン、リンカーン、ウィルソンF.D.ルーズベルトと言った戦争を起こした大統領ばかりが並ぶ。これにクリントン大統領が震え上がるような危機がなかったがゆえに、史上最高の大統領といわれないことを嘆いたというエピソードが紹介されている。

しかし、安倍首相は、「日本の抱える根本問題をはっきり認識して」、それに対して、無理のない範囲で成果を上げてきたと肯定的に評価していた。客観的には、たしかな観察だと思うが、ただ、今のようなリスクをひたすら避けるやり方では物足りない感は拭えない。

私も『月刊hanada』2月号で「桂太郎と安倍晋三」という記事で、これまで最長の在任期間だった桂首相と比べて、外交は同じように素晴らしいが、国内改革では憲法改正に悪影響がないよう気にする余り、少し安全運転すぎると書いた。

というのは、経済政策や教育改革、あるいは、先端技術の成果を社会で採り入れること等についてみると、野党やマスコミが反対すると簡単に諦めすぎだと思う。

その結果、IT化などで中国の後塵を拝しているのは明らかだ。習近平の中国のほうが安倍晋三の日本より未来社会へ近づいているのは否定できないのだ。

たとえば、入試改革でも少々の批判は覚悟で前に進むべきだった。ちょっとした批判で延期してしまったのだが、たとえば、日本人の英語力は新しい民間試験導入がされておれば、飛躍的に高まって経済成長にもおいおいに貢献していたと思う。

新しい仕組みは常にある程度の混乱を伴うし、従来の分かりやすいだけが取り柄の試験は例え公平でも日本の教育をひどく傷つけているのだ。

政府インターネットテレビより編集部引用

一方、「桜を見る会」の騒動では、国民が苛立っているのは、「モリカケ」で資料はない、分からないで通したのと同じことを繰り返していることだ。どうせ野党もマスコミも資料を公開したら無茶苦茶な曲解をして不愉快なことになるのは分かっているが、モリカケに比べても「どうせろくなこと言われるのだったら廃棄しておこう」というオーラが強すぎる。

カジノ疑惑でも同じ手でしのごとしている。しかし、モリカケのときは、制度の移行期にあって保存しておくべきものも破棄したとかもいえたが、何度も使うと最初から確信犯で残してないと国民は見るようになる。

小田原の北条氏は武田や上杉の攻撃にひたすら城に籠もる作戦で二度成功した。しかし、豊臣秀吉には通じなかった。敵も学習するのだ。逃げている印象がある防御重視の姿勢を少し修正した方が良い。

そうなると、ひとつの考え方はイメージとしてのリニューアルだ。菅官房長官には、そろそろ、別の仕事をしてもらうのも一案なのではないか。

後任は、たとえば、ほかにも候補はいるだろうが、岸田文雄政調会長あたりでどうだ。人を変えれば、無理なく路線は変えられる。

岸田氏公式インスタグラムより編集部引用

後継候補ナンバーワンといわれながらパンチが感じられない岸田氏も、毎日のように望月衣塑子さんなどの厳しい質問に対峙することで一皮むけ支持率を上げるきっかけになる。望月記者の質問はまったく愚劣だし、それを以前に批判したこともあるが、菅長官の木で鼻を括ったような物言いにも国民は飽きてきたところがあると思う。

また、菅長官自身が責任者だったような問題が多くなりすぎて、歯切れが悪くなる。こうしたときは、スポークスマンを変えてしまった方が楽だと思う。

また、官僚人事についても、甘くしてはいけないというのには大賛成だが、長期にわたって官房長官に人事権を握られては、霞が関の閉塞感も相当に大きくなって、活気が亡くなっているのも事実であって、ガス抜きもあったほうがよい。

私の交代論は、将来の総裁候補としての菅官房長官にとってもマイナスでないと思う。宰相候補と言われるが、総理の女房役で泥を被る立場の官房長官から直接に総理というのは、ピンチヒッターででもなければいかがかと思う。

先のニューズウィークでも酷評していたように、安倍首相が第1次内閣でもうひとつだったのは、官房長官しか閣僚経験がなかったからということもある。もちろん、菅氏は総務相は経験しているとはいえ、別のタイプの重要ポスト、できることな経済産業相のような対外交渉もするような仕事をやってみて成功してこそ宰相候補になれるのではないか

ちなみに、菅氏は小此木通商産業相のときの政務秘書官である。もちろん、二階幹事長も安倍内閣の最後まで幹事長ということがいいわけでもあるまい。安倍首相が最高の宰相であるのと同じように、菅氏が最高の官房長官だからとか、二階氏が最高の幹事長だからといってトロイカ体制でずっと一緒がいいとは思わない。

八幡 和郎
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授