獣神サンダー・ライガーが教えてくれたこと

2020年01月05日 14:00

人生で後悔していることといえば、10代のときに新日本プロレスとジャニーズ事務所を諦めたことだ。受けて不合格だったのではなく、諦めてしまった。前者は体格の問題、後者は当時は歌と踊りが苦手で。

大学受験においては、東大、京大から逃げたわけではなく。東大的なものが苦手で、京大的天才とは自分は違うと思い、一橋大学に進んだ。ただ、知性、理性だけでなく、闘争本能や、華も私の強みであることは間違いなく。それを発揮できそうな、新日本プロレス、ジャニーズ事務所を諦めた自分は本当にかっこ悪い。「負けた」ことよりも「逃げた」ことの方が人生の中では苦い体験となる。

Wikipediaより編集部引用

後悔がより深くなったのは「体が小さい」とか「歌や踊りが苦手」という私が逃げた理由を、努力により乗り越えた人たちが多数いたことだ。獣神サンダー・ライガーもその一人だ。身長170センチで一度、新日本プロレスの入団テストに落ちるが、メキシコで修行し、入団を許可された。このあたりの話は諸説あるが、身長の壁を乗り越えたのは事実だ。いつの間にか、あらゆる点で新日本プロレスらしさを体現したレスラーとなった。

彼を尊敬するのは、前述したとおりの、壁を破ったということだけでなく、制約を楽しんだという点もあげられる。『獣神ライガー』というアニメとのタイアップで、ライガーに変身。しかし、番組が終了したあとも、彼はライガーであり続けた。いまや、「え、ライガーってアニメがあったの?」という人も多いことだろう。全身タイツで、マスク着用(しかも、大きい)という条件のもと、彼は闘いぬいた。

そして、彼はシーンをつくった人物でもある。日本のジュニアヘビー級をつくった功労者の一人であることは間違いない。そして、この日本のジュニアヘビー級の闘いは、いまや世界にも影響を与えている。オールスター戦の実現、国内外の優秀な才能のフックアップなど彼の功績は大きい。

そのライガーが引退する。その第一弾が昨日、満員(超満員ではなかったが、この10年くらいでは最高レベルに入っていた)の東京ドームで行われた。ドームで始まり、ドームで終わるライガー。ジュニアヘビー級の歴史を飾ったレジェンドたちが参戦した豪華な試合だった。率直に、ややオールドスクールな試合にも見えたが、彼らの試合がなければ今のジュニアはないわけで。それぞれのプロ意識に満ちていた。

その後も、白熱の試合が続いたし、より高度な攻防もあった。しかし、光り輝く引退試合だった。第1試合で引退試合を行うというのも潔い。

この日のベストバウトは、個人的にはウィル・オスプレイ対高橋ヒロムのIWGPジュニアヘビー級選手権試合だ。怪我から復帰していきなり王座に挑戦した高橋。世界屈指の空中線であり、ジュニアならではの肉弾戦でもあった。この試合が存在するのも、ライガーたちが積み重ねてきたものによる部分は大きいだろう。

自分自身、新日本プロレスに飛び込み、彼らと練習をし、デビューしなかったことを後悔しているが、ライガーに教えてもらったことを胸に、今日からまた生きようと思う。ありがとう。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年1月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。

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常見 陽平
千葉商科大学国際教養学部専任講師

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