新聞社の1月1日の紙面には社として強く主張したいことが特集なり社説として掲載されます。それこそかつてはこの日の社説をテーマに入学試験や入社試験の内容が組まれることもありました。そんな中、目を引いたのが日経の「逆境の資本主義 さびつく成長の公式 競争・革新 新たな挑戦」です。今まで歩んできたやり方が行き詰まり、社会が分断し、向かうところを巡り、苦悩しているという趣旨の記事を掲げています。
逆境というのは「不運で、思うようにならない境遇」という意味です。我々は不運でしょうか?思うようにならないとはどんなことを夢見ているのでしょうか?もう一つは「逆」という意味はかつては「順」であったということです。かつてと今、何が変わったのでしょうか?
私はこれは人の欲求度の高まり以外の何物でもないと考えています。進化の過程ともいえるかもしれません。少なくとも「順」が加速度をつけたとは思っていますが、「逆」にはなっていないはずです。資本主義は更に進化しており、その中で過去の常識感が崩れることは確かにあります。問題はすべての人々がこの進化についてこられないという問題であります。このギャップを埋めることが現代社会でもっとフォーカスしなくてはいけないと考えています。
秋元司議員が逮捕され、更に数名の議員がもしかすると捕まるかもしれません。年初早々安倍首相にとっては頭痛の種だと思いますが、なぜ、百万円程度の賄賂で議員という地位を棒に振らねばならないのでしょうか?
日本の議員の平均年収は27.4万ドル(含む手当)で世界主要国では3位。一般賃金が高いアメリカでも17.4万ドル、英国においては10.2万ドルです。英国がEU離脱の議論の際、英国議会の中継をご覧になった方もいると思いますが、まるで満員電車の座席にぎゅう詰めで座って与野党が対峙し熱く議論するスタイルは名誉職であり、エリート意識ではありません。
人々が社会の進化についていけないのは欲望と現実のギャップであります。秋元議員は欲望が強すぎたし、社会の不満を訴える人は現実に追いつけないわけです。
私は日本の社会においてその仕切り線が甘いことで「ずる」ができる隙間を与えたと考えています。例えば議員にしろ、会社員にしろ給与以外のプラスの部分が異様に多いのが日本です。英語でFrindge Benefitと称するのですが、これは雇用主と被雇用主の関係に「公的思慮」といえる格差をつけることで組織ぐるみの格差を助長しているのです。
例えば北米では通勤費の支給という発想はありません。通勤中の事故も労災の対象外です。あくまでも仕事場での関係しかありません。ボーナスの支給、これも公的思慮です。日本は歴史的に盆暮れの支出を見込んで給与を年間14回支給するという発想からスタートしたのです。しかも住宅ローンを組む人にとってはボーナス月に多額の返済を強いられるようになっており、社会の仕組み化しているのですが、そもそもを考えればこれもおかしいのであります。
私が生きてきた人生だけをとっても社会はめまぐるしく進化しました。そして我々の住む環境は大きく向上し、幸せ度は向上しています。医療もインフラも便利さも衣食住も恐ろしいほど改善しているのです。
一方で不遇だと感じる人々を救う社会は今後更に重視されてくるでしょう。日本が大きく変わったと思わせる一つの例は災害時のボランティアさんの活躍でしょうか?昔はこの発想はこれほどではありませんでした。「助け合い」は歳末などにお仕着せのように行われていたのが今では積極的で当たり前のようになっています。素晴らしいことです。
欧米では高額所得者が寄付を通じて社会還元していることがあります。日本はまだこの点が弱いと思っています。歴史的にも宗教的にも発想があまりないからでしょう。当局も税の取り立て屋と化しています。ここは変わらねばなりません。
これからの資本主義はテイクではなくギブの価値観が主流になるとみています。ギブは偏った資本をどう活用し、社会に還元するか、まさにマネーの効率化と分配の発想です。
これが私の考える次世代の資本主義です。決して逆境なんかではありません。今はちょっとした踊り場にいるだけです。人類は賢いのです。社会に次のステップが必ず浸透してくるでしょう。少なくとも私は今の社会に不満など一つもないし、もっとよくなると信じています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年1月5日の記事より転載させていただきました。