私は、2018年11月19日のゴーン氏逮捕の直後から検察捜査を批判し、昨年12月31日に同氏が保釈条件に違反してレバノンに出国したことが明らかになった後も、違法な出国自体は容認できないものの、ゴーン氏の事件は極めて特異な経過を辿ってきた特異な事件であり、一般的な刑事事件と同様に扱うべきではないと主張し、検察の捜査や保釈への対応・公判の長期化の見通し等の逃亡の背景となった様々な問題を指摘してきた。
ゴーン氏を直接取材し出版予定だった
その中で、私が、これまでは明らかにしてこなかったことがある。それは、昨年11月から12月にかけて、ゴーン氏に直接インタビューし、その内容を含む著書を4月に予定されていた公判までに出版する予定だったことだ。
私は、ゴーン氏の事件に関しても検察の捜査や対応を批判してきたが、それはあくまでもマスコミ報道で事件を把握したもので、それらの報道は、基本的に検察からのリーク・日産自動車からのリークが元になっていた。ゴーン氏自身の言い分や反論を本人から聞いた上で、私なりに、ゴーン氏の事件の本質を見極め、客観的に評価・論評した本を書こうと考えた。
ちょうど、昨年春から議員会館で「人質司法」の勉強会を主宰した知人の元参議院議員の夫人が在日フランス人の公的代表の立場にある関係だったことから、ゴーン氏の紹介を受けることができ、ゴーン氏にインタビューを申し入れたところ、応じてくれた。5回にわたり、計10時間以上インタビューし、事件のことやその背景と考えられる事情、ゴーン氏の考え方などについて詳しく話を聞いた。
出国直前までインタビュー
著書の出版は、大手経済書出版社から行う予定だった。ゴーン氏への質問の準備のために、かつては名経営者と高く評価されたものの、1年前の逮捕からは一転して「独裁」「私物化」と批判されてきたゴーン氏の経営手法や日産自動車の経営状況などについて、経済記者との議論も重ねた。私としては、ゴーン氏の事件とその背景に関する真相解明のためのインタビューが行えている手応えがあった。
最後のインタビューが12月27日の午後だった。この日は、最初の起訴・再逮捕・勾留延長請求却下・特別背任での再逮捕など、事件の節目ごとのゴーン氏の受け止めを聞いた。しかし、それまで、事件や日産のことについて雄弁に語ってくれていたのとは違い、若干、言葉数が少なかった。私としては、ゴーン氏が、日本の刑事司法手続に関して直接体験し、最も印象に残っていることだと思っていたので、意外だった。
12月31日の朝、「私は、今、レバノンにいる」というニュースを聞いた時には、何が起こっているのかわからなかった。その僅か4日前に、ゴーン氏は私の目の前にいた。日本で裁判を受けることを当然の前提に、事件のことや背景について話をしてくれていたゴーン氏がどうしてレバノンにいるのか。
しかし、ゴーン氏の不法出国が事実であることが、その後の報道で明らかになった。私には、12月27日の最後のインタビューの場面が脳裏に浮かんだ。その日のゴーン氏は、それまでより言葉少なだった。「国外逃亡」という、その直後のことで「心ここにあらず」だったのかもしれない。
私は、膨大な労力とコストをかけてインタビューをし、ゴーン氏の英語の話を日本語化し、何とか、4月公刊に間に合わせるべく、執筆も進めていた。私にとっての2020年は、東京五輪の年というよりは、日本で始まるゴーン氏の裁判に向けて、私なりに事件の真相・本質に迫り、私の論評を加えた著書を公刊することが最大のイベントとなるはずだった。
私のライフワークでもある検察改革・刑事司法改革に少しでもつなげることができるのではないかと思っていたし、ゴーン氏が私のインタビューに応じてくれたのも、それを期待したからだろうと思っていた。
1週間前、ゴーン氏が明かした出国理由
ところが、ゴーン氏の出国によって、そういう私の目論見はすべて白紙に戻り、出版企画も中止となった。
しかし、それから、私なりに、現実に起きていることを受け止めることにし、彼が、なぜ、日本での裁判を免れ、逃亡したのか、自分なりに考えて意見を述べていかなければならないと思った。
私にとって、インタビューのことをどう取り扱うかは難しい問題だった。最初の保釈の後、記者会見をしようとした途端に再逮捕されたこともあり、日本にいる間のゴーン氏は、公判が始まるまでは記者会見やマスコミ対応などは行わないという方針だった。私がインタビューを行っていることや、その内容も、著書が完成するまでは公にしない約束だった。
1月13日に、知人を通じて、レバノンにいるゴーン氏と連絡をとることができ、テレビ電話でインタビュー内容の取り扱いなどについて確認した。ゴーン氏は、インタビューの内容は私の方で自由に使うことを了承してくれた。また、その際、出国を決意した理由や、想定していた成功確率に関する私の質問にも答えくれた。
ゴーン氏の話では、2020年9月に特別背任の公判を開始すると言っていたのが、検察に言われて裁判所が突然意向を変え、2021年か2022年まで公判が開始されないことになったということだ。「迅速な公判」という刑事司法の基本原則が全く守られていないことに大きな失望を感じたことと、妻と息子と会えない保釈条件について何度も変更請求したが、結局、特別背任の裁判が始まる2021年か2022年まで会えないことになったことが、出国を決意した理由だという。
そして、その決意の際に考えていた「成功確率」については、「計画時には100%成功させるという計画を立てたが、計画を立てた段階で予想できない事態が最後の最後に起きることもあるので、それを考慮に入れると75%の成功率と思っていた。しかし、そのリスクをとる気持ちがあった」と答えた。
特別背任の公判開始が2021年~2022年だとすると、公判は、当然、通訳入りの証人尋問となり、その他にも訴訟書面の英訳の手間などに要する時間などを考えれば、3件の特別背任の公判は最低でも一件1年はかかる。そうなると、審理期間は、1審で5~6年、控訴審、上告審を含めると10年程度かかることになり、その間、ゴーン氏は「日本に抑留」されることになる。そして、少なくとも2~3年は妻、息子と会うこともできない。
そういう状況への絶望から、「25%」という少なくないリスクをとってまで、ゴーン氏は違法な出国を決断した。それによって、私にとっては大変残念なことに、同氏の日本での裁判の可能性は事実上、なくなった。
「未完」も、歴史的事件の本質に迫る手がかりに
先週、ゴーン氏のインタビューを行っていたことについて、いくつかのメディアの取材に答えた。小学館の週刊ポストは、昨年12月にゴーン氏と面会した際、日本での理解者として、東大田中亘教授とともに私の名前を挙げていたとして取材を求めてきた。
「ビデオニュース」の神保氏の取材には、宮台真司氏も交えてゴーン氏事件とレバノン逃亡について詳しく語っていたので、追加でビデオインタビューに応じた。そのほかにも刑事司法について多くの問題意識を共有する共同通信の編集委員や、自動車業界や日産自動車について豊富な取材経験を有する東洋経済の記者の取材にも答えた。
今後も、私のゴーン氏インタビューの趣旨を理解してくれるメディアの取材には答えていきたいと思う。
「未完」に終わってしまったが、私は、コンプライアンスの視点から企業の在り方を考える者として、そして刑事実務家として刑事司法と検察の在り方を考える者として、全力を挙げて、ゴーン氏のインタビューに取り組んできた。そこで、ゴーン氏が語ったこと、主張したことの中には、私が疑問に思った点、意見が異なる点も少なからずあった。
それらを、自分なりに整理し、これまでの私の事件に対する見方と照らし合わせていけば、日産自動車とゴーン氏をめぐる事件について本質に迫る手がかりが得られるように思う。
平成から令和へという時代の節目で起きた日産自動車・ゴーン氏事件は、日本の経済史にとっても、刑事司法の歴史にとっても、21世紀の重要な事象として後世に語り継がれるであろう。その歴史が、少しでも事件の本質を反映したものになるよう、今後も私の役割を果たしていきたいと思う。
郷原 信郎 弁護士、元検事
郷原総合コンプライアンス法律事務所