弁護士は成仏するどころか儲かるはずである

2020年02月25日 11:30

弁護士の世界で悪名高いものに、高橋宏志氏の成仏理論がある。原典は、雑誌「法学教室」の2006年4月号の「巻頭言」として公表された「成仏」という異様な表題の随想だが、筆者は、当時、東京大学教授であった高橋宏志氏である。

画像:123RF

2006年4月というのは、2004年4月に全国68校の法科大学院が開校し、2006年5月に最初の新司法試験が実施されるという、まさに、そのときであって、「成仏」は、「法律家が増え続けることになっているが、新人法律家の未来はどうなるであろうか」と書き出されていて、「暗い予想」として、「食べていけない新人法律家が一定数出ると予想するのである」としている。

そして、「成仏」核心部は、「人々の役に立つ仕事をしていれば、法律家も飢え死にすることはないであろう。飢え死にさえしなければ、人間、まずはそれでよいのではないか。その上に人々から感謝されることがあるのであれば、人間、喜んで成仏できるというものであろう」となっている。

要は、飢え死にさえしなければよかろうという主張が多くの弁護士の反発を招いたのだが、成仏理論の根本的な問題性は、「人々の役に立つ仕事をしていれば、法律家も飢え死にすることはない」という前提にあろう。この「飢え死にすることはない」という経済状態は、全体の論旨からして、かろうじて生計が成り立つ程度の所得しか得られないという意味に解するほかないが、この前提はおかしい。

経済原則からいえば、真に「人々の役に立つ仕事」をする限り、そこに社会的価値の創出があるわけだから、「飢え死にすることはない」どころか、実現した価値に応じた所得があってしかるべきである。それが経済の合理性である。

実は、弁護士は、英米法でいうフィデューシャリー、即ち専らに顧客のために働く高度な義務を負うものである。この義務のもとでは、自己の利益を鑑みることはできず、突き詰めれば無償で働かなくてはならないことになるが、さすがに、それでは業務としてなりたたないので、専らに顧客のために働くのに要する原価を基準に、合理的に算出された報酬を受け取ってよいものと理解されている。

つまり、このフィデューシャリーの合理的報酬の考えに従えば、「飢え死にすることはない」程度にとどまるのは、「人々の役に立つ仕事」をしていないからだ、あるいは、専らに顧客ために働く義務を尽くしていないからだということになるのである。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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