反安倍のためなら検察ファッショも許すのか:「#検察庁法改正案に抗議します」を解説

2020年05月12日 17:00

検察庁法改正に対する反対は、それ自体が本当に問題なのではなく、黒川氏が検事総長に就任するのを阻止することが直接の目的であろう。そして、検察官たちはそれをもって検察独立王国を守ろうとし、それ以外の人たちは、安倍政権打倒につなげたいと考えているだけだろう。

官邸サイトより

ただし、黒川弘務氏の定年延長は、現行法のもとで今年1月に一般法たる国家公務員法定年延長を特例として認める決定で決まっているし、新しい法律は2年後からしか適用されないからまったく関係がない。せいぜい、黒川氏の定年延長の異例さの印象を少し和らげるに過ぎない。

それでは、黒川氏の定年延長が不当なのかと言えば、私はそうは思わない。近年の検事総長は、おおむね2年で交代してきており、18年7月に検事総長になった稲田氏は交代期である。しかし、夏に国際会議があってそれに現検事総長として出席したいらしい。

左から黒川弘務検事長、稲田伸夫検事総長、林真琴検事長(検察庁サイトより)

それもあって、もう少しやらせてほしい。しかし、そうすると、後任の最有力候補である黒川東京高検検事長の誕生日が来て定年を過ぎてしまって、ライバルである林名古屋高検検事長にするしかなくなってしまう。

この状況で、政府としては国際会議のために居座りもいかがと思ったが、どうしてもというし、一方で、わずかの誕生日の差だけで順当な候補をはずすのもいかがと思うのは当然だ。

そこで妥協案として、黒川氏の定年延長で処理しようとしたわけだが、法律解釈については、法務省の幹部を占める検察官たちの考えた知恵であって、政治家だけでこんなこと無理に押し切るわけがない。稲田氏も了解していなかったとは考えにくい。

ところが、これを違法だとか横暴だと林氏に近い朝日新聞の記者がキャンペーンを張ったので、話がややこしくなっただけだ。

官庁幹部が肩たたきされたときに、やめたくないと駄々をこねることはよくある。政治家からであれ役所内部であれ、肩を叩かれたら法的には辞める必要なくとも辞めるというのは官僚のモラルとされている。

しかし、それでも居座ったらどうなるかといえば、目には目をということになって、肩を叩いた方も異例の法解釈やその居座り官僚と近い人を報復として左遷したり、ほかの人事をストップしたり、予算で締め上げたり、天下り後の人事で嫌がらせしたりする。

そんなものは、霞ヶ関でありがちなことだ。今回の場合については、稲田検事総長は、自分を国際会議まで居座らせてくれるなら黒川氏の定年延長をすることに特段、異議はなかったのだと思う。しかし、検察のなかで、稲田氏は辞任を拒否して黒川検事総長を阻止しろとかいう人が出てきたので身動きが取れなくなっているのだろう。

永田町から見た“不夜城”霞ヶ関方面(写真AC)

今回の法改正は、稲田・黒川交代問題を混乱させるだけで、いい知恵ではなかったと思う。朝日新聞などの反安倍のためならなんでもする勢力に難癖をつけるきっかけになったのは馬鹿げたことだ。

したがって、私は本来は稲田氏に交代をもっと強く求めるべきだったし、しぶるなら、黒川氏とは関係ないところで圧力をかけるべきだったと思う。方法はいくらでもあるのだ。黒川氏の定年延長は違法でもなんでもないが、きれいなやり方でない。

私はいうまでもないことだが、黒川氏に好意的ではまったくない。なにしろカルロス・ゴーン事件を企業のお家騒動の走狗に検察がなるなんてとんでもないことだ。また、日本の人質司法の最悪の例をみせて世界で日本国家の信用を落とした。

そういうことを糾弾しているのだから、その事件を扱った東京高検の黒川検事長を検事総長にしたいと思う動機がない。

ただ、政府が順当な人事である黒川氏が検事総長になるのが適当であると判断して、稲田氏に勇退を求めたが渋られたので、検察官僚と相談して上記のような処理をしたのは批判するべきことには当たらないと思う。

ガラパゴス司法の改革を阻む「#検察庁法改正案に抗議します」のひとたち

私が「#検察庁法改正案に抗議します」は絶対おかしいと思うのは、もし、彼らの主張が通って、検事総長の人事につき前任検事総長の選択にまかさなければならないという習慣が確立することは、法の支配の否定だからだ。

きゃりーぱみゅぱみゅさんもツイートして注目(ツイッターより)

そもそも、検事総長や検事長の任命は内閣にあるから、事務次官の任命と同じく大臣の自由裁量だ。ただ、あまり突拍子もない人事をすると批判もされるし、抵抗もあるだろうというだけである。それを完全否定してしまっては、検察庁は法の支配とか民主主義の外にある存在になってしまう。

普通には、法相は人事にも個別事件にもかかわらないが、検事総長などの人事を通じて間接的にコントロールし、指揮権の発動という伝家の宝刀ももっているということなのだからそれを否定はしてはいけないのである。

そもそも、現在の検察のあり方には疑問が多い。カルロス・ゴーン事件で国際的非難を浴びたように人質司法は日本の信用を落としており文明化すべきだ。厚生労働省局長の冤罪事件も問題だし、小沢一郎についての失態、ホリエモンと村上世彰、江副浩、ウィニー開発者、佐藤優、田中角栄、佐藤福島県知事などの事件を見ていると、マスコミで話題になるような人物を捕まえて正義の味方を気取りたいという功名心が勝っているように思うのは私だけではあるまい。

堀江貴文氏(Wikipediaより)

カルロス・ゴーン、ホリエモン、村上世彰、江副正、ウィニー開発者などについては、日本経済のあり方の変革の起爆剤となるような人物が現れると守旧派と組んで芽を潰しているようにしかみえない。

ヨーロッパなどでなら、逮捕されても、起訴されても、有罪になっても経済活動を止めたり、止めたりするようにはならないが日本では経済活動を止められてしまう。

そういう意味で、もし「#検察庁法改正案に抗議します」に集っている浅はかな悪者たちの言い分が通ったら、司法や検察の改革は二度とできなくなってしまうと思う。

日本弁護士会なども反対しているようだが、これは、本来なら検察と対立して改革を要求するべき彼らにとって自殺行為だと思う。というよりは、日本では各界で類似例はあるが、「裁判官・検事・弁護士」からなる司法マフィアが、実はつるんで一般人から甘い蜜を吸っているという実態を反映しているのかもしれない。

それから「司法の独立」のためにというのもおかしい。法務省も検察庁も司法権ではなく行政権の一部である。また、裁判官人事についても、民主国家における三権分立の建前からすれば最高裁判所の判事は内閣で選ぶという建前が空洞化しているのは、民主的でない。アメリカをみても分かる通り、最高裁判所判事は大統領が選び議会が承認することによってマフィア化させず、国民の意思を間接的に司法判断に及ぼすのが三権分立だ。憲法判断を民法や刑法の専門家が集まって下すなど漫画である。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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