不思議な国・日本でのコロナ禍

長谷川 良

「感謝」という言葉は政治用語ではないが、日本人は他の国に比べて新型コロナウイルスの感染者数、死者数が少ないことに感謝している様子はなく、安倍晋三政権に対して60%以上の国民が同政権下のコロナ対策に批判的だ、という時事通信の世論調査が報じられていた。

時事通信が実施した5月の世論調査によると、新型コロナウイルス感染症をめぐる政府の取り組みに関しては「評価しない」が60.0%を占め、「評価する」の37.4%を大きく上回った。

安倍政権の支持率が39%余りで、不支持率が高いのは他の問題の影響もあるだろう。緊急事態宣言の発令中、黒川弘務・東京高検検事長の賭け麻雀問題がメディアで報道され、同検事長が辞任に追いこまれたことを受け、首相への責任問題と絡んで支持率が低下した、と解釈出来る。

しかし、新型コロナ対策についての評価は別問題だと思うが、世論調査の結果を見る限り、そうではない。新型コロナ対策では首相自身が誇る「日本モデル」によって、先進諸国の中では死者数は極端に少ない。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長も先月25日、「日本は成功している」と評価したばかりだ。政権にとって大きな実績であり、国民も評価していると思ったが、世論調査の結果を見る限りではそうではなく、60%の国民が批判的だったというのだ。

nagi usano/flickr

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日本が新型コロナの感染者数、死者数が少ないことにようやく気が付いた欧米メディアは「なぜか?」を検証する記事を報じ出したが、決定的な解答は見つかっていない。外国メディアが日本の社会、文化、過去の感染病への対応などの歴史に疎いこともあって、その原因究明が難しいのは理解できるが、どうやら肝心の日本国民も「なぜわが国では感染者が少なく、死者数が少ないのか」を説明できないでいる。麻生太郎副総理・財務相は「日本人の民度の違いだ」と説明していたほどだ。

▲「日本人の民度の違い」と説明する麻生太郎副総理(首相官邸ホームページから)

▲「日本人の民度の違い」と説明する麻生太郎副総理(首相官邸ホームページから)

日本では憲法上の問題もあって欧州のような厳格なロックダウンは実施されなかった。その一方、安倍政権は2枚の布マスクだけではなく、一世帯当たり10万円の特別給付金支給まで実施しているが、60%の国民が「安倍政権のコロナ対策に批判的」というのだ。

規制措置実施中、新型コロナの感染に襲われた欧州で現政権が国民に対してマスクばかりか、支援金も供与した国は当方が知る限りない(例外、オーストリアの首都ウィーン市長は高齢者にタクシー券を、全市民に1人当たり25ユーロ、1世代50ユーロの飲食チケットを支給)。

40年余り欧州で住んできた当方の目からみたら、日本人は政府に対して欲求水準が余りにも高すぎるのではないかと思う。贈られてきた布マスクが小さい、という苦情すらあったという。「日本が恵まれていることを忘れてしまったのだろうか」とため息交じりに吐露せざるを得ない。

そこで新型コロナ感染の恐ろしさを世界に最初に発信したイタリアの国民の声を紹介する。イタリア国立統計研究所が先月25日に公表した調査結果によると、イタリア国民は3月9日から実施された政府のロックダウン措置に対し、91%が支持。あまり有益でない、全く有益ではなかったと回答した国民は9%に過ぎなかった。政府の厳格な規制措置に対してイタリア国民はほぼ全てが「必要」と考え、政府の政策を評価していたことになる。

陽気で外食が好き、家族と団欒することを好むイタリア国民が外出を禁止され、散歩すら制限されたにもかかわらず、国民は新型コロナの感染防止にはロックダウンが必要と感じていたことを意味する。新型コロナ感染で多くの国民が次々と亡くなり、病院は崩壊状況だった。別れの言葉さえも交わすことなく家人を失った国民の中には心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩む人が出てくるかもしれない。新型コロナはイタリア国民に忘れることの出来ない傷跡を残した。余りにも多くの感染者、死者が短期間に出てきたこともあって、さすがのイタリア人にとっても他の選択肢がなかったという事情もあったかもしれない。ちなみに、イタリアでの新型コロナ感染症による死者は6日現在、3万3774人と、世界で4番目に多い。全国でのロックダウン措置は3月9日から実施され、5月4日から段階的に緩和されてきた。

日本とイタリア両国国民の政権の新型コロナの取り組み方への評価が違うのは、新型コロナの感染状況が異なっていたからかもしれない。もし、日本でイタリアのように新型コロナ感染が猛威を振るっていたら、日本国民の考え方も変わっていたかもしれない。

繰り返しになるが、新型コロナの被害が他国と比較して少なかった事実に日本国民はもう少し感謝してもいいのではないか。政治の世界では実績が問われるとすれば、安倍政権の新型コロナへの取り組みに対して「感謝」しなくても、もう少し「評価」してもいいのではないか。

蛇足だが、日本では政府は常に国民から厳しい批判にさらされる。それが民主主義の成熟度を示すバロメーターと受け取られているのかもしれない。日本では政治の世界だけではなく、全ての分野で冷静な議論、検証が乏しく、空気によって動かされているケースが多い。新型コロナ問題でも不思議な国・日本はその実績を「日本人の民度の違い」と説明するのが精一杯で、他者、他国を納得させるだけの情報を発信できずにいる。少々、残念なことだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年6月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。