NHKが映らないテレビが変える社会常識

岡本 裕明

NHKが映らないフィルター「イラネッチケー」を設置した人がNHKとの受信料支払い確認裁判で勝利しました。これは過去、4回あった裁判で初の勝利となります。この方は筑波大学の掛谷英紀准教授が3000円ほどで作ったフィルターを装着したテレビを購入し、これをもとにNHKに受信料支払いの確認訴訟を起こしていたものです。

(NHK渋谷放送センター:編集部)

(NHK渋谷放送センター:編集部)

勿論、NHKはそのまま引き下がるとは思えず、控訴するのかもしれませんが、個人的にはNHKは裁判で勝つことばかりを考えるのではなく、NHKを受信料を払ってまで見たくないという人の選択の自由という点から現在の立ち位置を見直す方向に変えていかざるを得ないでしょう。これは時代の要請です。

国営放送として公平に国民に負担してもらう、これがNHKが受信料負担を求める理由です。国が国民に義務を課す場合、それが国と国民を結びつける絶対的で他が入り込めないような重要不可欠なインフラであればこのロジックは成り立つかもしれません。

しかし、例えば地震速報は今やあらゆる手段で国民に知らせる方法が確立されています。各種ニュースは放送のみならずネットやメール、アラート等で重要度に応じて、報じられていますし、国民が情報を集めるという観点からは何十年前ならいざ知らず、国営放送が国民向けになくてはいけないというその大義は終えつつあります。

国民に政府の意図をもって公平で政府として正しいと思われる品位ある情報を伝達するという役目を果たしたいというならばどうでしょうか?確かに国としてその情報伝達ルートを維持することは重要です。しかし、それは国にメリットがあるわけで国民ではありません。つまりここでいう受益者とは国であって国民ではないのです。国民からエキストラの料金を取るのはそもそも無理な発想です。どちらかというと海外向けに日本の立場を伝えるという外交的広報の意義の方が大きいわけでそれを国民の税金というのには無理があります。

そもそもNHKがエンタテイメントの番組、大河や紅白、朝ドラなどを多額のコストを使い、製作することそのものがいつの時代の話なのか、と思います。「国民的番組」という表現そのものが一体思想のような感じがして気持ちが悪いのです。

それら娯楽番組が国民に一様に愛されているなら結構ですが、ほとんど見ない人ばかり。それなのに何が何でも受信料を払え、というのも行けていないと考えています。

NHKの営業は受信料支払いリストとテレビアンテナをもとに建物の外面からチェックしているものと思われます。また新築のマンションやアパートは絶好の営業対象になります。しかし、今般敗訴したケースでみるとNHKが映らなくなるフィルターがついたテレビを持っているかどうかは家の中に入り、テレビを開けてみないとわからないのです。とすればNHKの営業員に「捜査権」があるわけではなし、これを戦うのはかなり厳しいのではないかと察します。

多分ですがNHKは必死に控訴対策を講じると思います。ただ仮に最高裁まで行ってNHKが負けるようであればNHKのビジネスモデルは完全に崩れ、大幅な見直しを求められるでしょう。

掛谷准教授が作ったフィルターは開発そのものはご本人がさほど難しいものではないと述べています。たしかかつてソニーがNHKを映らなく出来るアンドロイドTVをいったん発売したはずですが、あまり盛り上がりませんでした。そんな中で今回の訴訟はNHKに不払いを理由に訴えられたのではなく、確認訴訟という自ら戦争に打って出たところに戦いの面白さがあります。

不思議とこの報道、抑えられており、朝日と産経など一部に限られています。報道機関も国を慮っているのでしょうか?この先の行方が注目されます。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2020年6月29日の記事より転載させていただきました。