「Go Toキャンペーン」活用して都会から観光客を呼び込もう

前田 陽次郎

政府が7月22日から始める旅行推進策の「Go Toキャンペーン」に対して、賛否両論が出ている。

Kumaroku/写真AC

反対派は、ほぼ「都会から地方にウイルスを拡散させるな」という意見だ。しかし、その理由で事業を中止する必要はあるのだろうか。これは「新型コロナウイルス対策」がどこを目指すのか、ということと密接に関係している。

今の段階でわかっていることといえば、コロナ対策として「封じ込め」は無理がある、ということだ。ウイルスは絶滅させることはできない。私が知る限り、ウイルスがなくなると言っている専門家は1人もいない。では、なくならないという前提でどういう対策を取ればいいのか。

今の世の中、国境を永遠に閉ざすことは経済面からほぼ不可能なので、仮に国単位での封じ込めが成功したとしても、国境を開けばいつかはウイルスが入ってくる。1度は封じ込めに成功したと思われた韓国や香港、シンガポールでは、再流行が起こってしまった。

また、今でも封じ込め状態を続けているニュージーランドでは、国境を開くことができずに困っている。ニュージーランドは現在冬で、私も去年の今ごろはニュージーランドにスキーに行っていた。世界中からスキー客が集まっていたが、今年は海外からの観光客を入国させることができずに、現地のスキー関係業者も大変だろう。

ヨーロッパは集団免疫が達成されたのか、感染が収束に向かいEU域内での旅行は自由にできるようになった。日本からの観光客が自由に入れる国も増えている。

行動規制による感染拡大防止策は、あまり意味がないというのは世界中の事例を見るとわかる。かなり早期に厳しい行動規制を取れば効果はあるようだが、それでも永久に行動規制を続けないと感染拡大を止めることはできない。

アメリカではカリフォルニア州が早期に行動規制を取って感染拡大防止に成功し、ニューヨーク州は失敗したと言われていた。ところが今の状況を見ると、ニューヨークは新規感染が収束してきているが、カリフォルニアはまだ感染拡大が止まらず、行動規制を続けないといけない状況になっている。この現況を見て、カリフォルニアの行動規制が成功だったと言っていた人は、どう考えるのだろうか。

世界中を見ても、新型コロナ対策が成功したと言えるのはスウェーデンだけではないだろうか。スウェーデンも全く規制をしなかった訳ではない。市民生活の規制は最小限にして、重症化リスクの高い高齢者が罹患しないような対策を取った。

スウェーデンが失敗だったという人は、高齢者の死亡率が高いことを理由に挙げる。確かに、隔離したはずの高齢者施設で集団感染が起こったことは、スウェーデン政府も失敗として認めている。それでも国全体の人口あたり死亡者数はイギリスより低く、経済活動とのバランスを考えると、全体としてみれば成功したと言えるだろう。

では日本の地方はどうすればいいのか。「ウイルスを持ち込まない」では、永遠に地域を閉ざさないといけない。「ウイルスが持ち込まれることを前提にして、重症者・死亡者を出さない医療体制を作る」ことが、コロナ対策の目的にならないといけないのだ。

参考:新型コロナ陽性者が出る前提での観光推進を

そもそも日本のコロナ対策の目的も、最初は「重症者・死亡者を出さない医療体制を作る」ことだったはずだ。それが世論に押されて、「感染者を1人も出さない」に変わってしまった気がする。

これは2月24日発表の政府専門家会議の資料だ。「現時点」というのが「この1〜2週間が瀬戸際」と言った時点である。この図からすると、今は「重症化防止」の時期であり、感染拡大防止のタイミングではない。

そして注意すべき点は、今は何故か感染者が重症化しなくなっていることだ。

参考:なぜか、新型コロナで誰も重症化しなくなっているをデータで見る

「重症化しなくなっている」と判断するにはまだ早い、という意見もあるが、私はさすがにもう判断していいと思う。

では何故重症化しなくなったのか。ウイルスが変異して弱毒化しているのかもしれないし、あるいは夏場は人間の免疫力が高まるので、冬場なら重症化する人でも夏場に罹患すれば軽症で済むのかもしれない。

ここが重要である。仮に夏場の免疫力が要因で重症化しないのであれば、冬場より夏場にウイルスの流行が起こった方が、重症化する人を減らすことができるのだ。

地方が永遠に都会からの人を受け入れないつもりなら、「Go Toキャンペーン」に反対して閉鎖状態を作るのは構わないと思う。しかし、いつかは感染が広がって集団免疫が達成されないといけないのであれば、夏のうちにウイルスの流行が起こった方が、被害は少なく済むのだ。

みんと。/写真AC

私は長崎市に住む地方在住者として「Go Toキャンペーン」に乗る方がいいと考える。