「現場の声」はどこまで聞くべきか?アベノマスク批判から考える

高山 貴男

編集部撮影、官邸サイト

7月末に安倍政権は介護施設向けにマスクを8000万枚追加配布することを発表したが、これに対して一部マスコミやSNS上から強い批判があった。そのためだろうか。政府はマスクの追加配布を延期した。本当の理由はもちろんわからない。

この件については介護施設関係者による「本当にもったいない」という声が紹介されている記事もある。

“アベノマスク”さらに8000万枚配布は必要? 介護施設からは戸惑いの声「利用者100人以上いても20枚」(AbemaTimes)

この記事のようにアベノマスク批判として安倍政権による現場軽視がよく挙げられる。

筆者はマスクの追加配布は「現場の声」を尊重して判断すべきだというならば介護施設の「一部関係者」の声を聞くのではなく行政が責任をもって全介護施設に対しマスクの要不要を調査し、その集計結果を基礎に総合的に判断すべきだと考える。

「政府が現場の声を聞く」とはこういうことである。決して「一部関係者」の声を聞くことではない。「アベノマスクは税金の無駄だ」というならば尚更である。

しかし、不思議である。行政の予算執行に関心がある者はネット上のちょっとしたコメントを根拠に「税金の無駄」云々言うものだろうか。

話を戻そう。

おそらく全介護施設側にマスクの要不要の質問をするのは地方自治体だろう。もちろん介護施設側に行政による質問への回答義務はない。

コロナ有事の現下、介護施設の視点でみれば行政の質問は煩わしいだけかもしれない。

視点を行政に変えてみれば全介護施設に質問するわけだから、その事務コストは膨大である。

そしてこのコストは行政による他のコロナ対応業務にも影響を与え、行政全体としてのコロナ対応能力を低下させる危険がある。「現場の声」を集めようとして全体が不調になったら本末転倒である。

ならば無理して「現場の声」は聞かなくてよいのである

これはもちろん現場軽視に他ならず好ましくはないが、少なくとも「不要なマスクを配布する」程度の話ならば「現場の負担」にはならないはずである。

「アベノマスクは不要だ」という声は聞くが「アベノマスクは邪魔だ」とか「アベノマスクのせいで…」などという声はあまりに聞かないし、ましてや「アベノマスクで死者が出た」という声は聞いたことがない。

有事の際に「大きい犠牲(コロナ対応力の崩壊)を避けるために小さな犠牲(過剰なマスク)を受け入れる」ことは必要悪である。

政府によるマスク配布の議論で必要なのはこうした思考ではないだろうか。というより政府はこういう思考で動いているのではないだろうか。

同じような話は特別定額給付金の一律支給の際にもされたはずである。給付金は4月頃の話ではないか。

確かにコロナ対応では国の政府は現場を軽視しているが、あえて挑発的な言い方をすれば現場と国の政府は完全な意味での情報共有は不可能なのだから、両者の情報ギャップを前提としてbestではなくbetterを積み重ねていくことが重要なのではないか。

「事件は会議室で起きているじゃない!現場で起きているんだ!」が通じるのはあくまでドラマの世界だけである。