学術会議:なぜ共産党が学問の世界で強いのか

2020年10月11日 14:01

問題のきっかけとなった赤旗(10/1朝刊:井上哲士議員のツイッターより)

菅首相が日本学術会議の新委員候補6人の任命を見送った問題を「しんぶん赤旗」などが取り上げたときは、①この任命が法律違反でないかということと、②これが憲法で保障されている学問の自由の侵害でないかと言うことを追及していた。

たしかに、過去の慣例では、そうしてきたのかもしれない。中曽根時代の国会答弁でそういう運用をするつもりだとは言ってはいた。しかし、中曽根時代の答弁も運用方針なのか法解釈なのかというと、答弁自体が曖昧である。

法的な問題や学問の自由侵害ではない

政府側はもともと運用方針であって、内閣法制局がそういう解釈をしたり文書に残していたこともないと述べている。法律家として考えれば、国会が内閣の任命行為を裁量の余地がないように縛ってしまうというのは、三権分立の建前からしておかしいのである。

あるいは、候補者に不祥事が発覚したようなケースはどうするのだろうか。政府に選択の余地がなければ、任命を却下することはできないはずだが、そんなこともあるまい。

となると、運用方針の変更をいきなりやったということが好ましいかという問題であって法的な問題ではないように考えられる。まして、2016年の補充のとき、2017年の任命のときは政府の意見を反映させることを学術会議側も受け入れていたのであるから、いまさらだ。

次に学問の自由との関係で言えば、学術会議の委員になれないことが学問の自由を侵害するとはいえるはずがない。任命行為が学問の自由の侵害というのは、戦前に鳩山一郎文部相が、京都大学の滝川教授をその学説を理由に追放したような話であって、通常は定年まで安泰だった大学教授のポストを失わせることは、言論そのものを禁じなくても強く自由の侵害になるとみなされている。

ところが、学術会議の委員になるかどうかとはまるで関係ない。もちろん、過度に学説を気にして任命をしないというのが好ましくないこともあるという程度の話だ。

だから、この任命回避行為は、学術会議側が既得権を侵しており、よろしくないと抗議するのは勝手であるが、違法とか憲法違反とか学問自由を侵害するとか言う話にはなり得ないと思う。

それに対して、政府・与党側は、学術会議側が挑戦的な態度をとったことを奇貨として、学術会議のあり方を行革の対象として取り上げ、根本的な見直しの機会にするつもりらしく、ある意味で学術会議側にとってはやぶ蛇となりそうだ。

「左に甘い不均衡」を引きずってきた

日本学術会議(Wikipedia)

学術会議の現状には2つの問題がある。1つは、各分野の学会の集合体になって、彼らの「既得権益の守護神化」していることだ。もう1つは、軍事研究の禁止のように、「特定の政治勢力が国策に影響を与えるための道具」になっていることである。

日本学士院会員の任命や、科学研究費助成事業(科研費)の配分に直接関わっているというのは不正確だが、既存学者ムラで近接した関係にあることは間違いでない。

学術会議の後押しがないと、なかなか大きな研究費がもらえないといわれ、それを誰もまちがいなどといってこなかった。文科省も含めて、学術会議とかそのOB、関係者が研究費配分に力をもってそれが既得権化している実態はあるのである。

もうひとつの問題のほうは、学術会議に限らず、法律で専門家の判断を尊重するように書かれているさまざまな公的な機関において、左翼勢力、なかんずく日本共産党系の影響力が強いことが多いがこれをどう考えるべきかだ。

日本中に共産党の支持者がそんないるはずないが、組織的に集団行動が非常に上手な人たちだから、少人数で上手に乗っ取るとまではいえなくても、小政党にしては、特定の公的機関の運営などで支持勢力が主導権を取って、場合によっては、本来の組織の目的を歪めていることは多い。

学術会議にしても、日本の防衛政策などについて議論する場ではないはずだ。ところが、軍事研究の禁止とか言う政治運動の道具として使われているのが問題なのである。

アカデミズムにおいては、左派勢力、とくに共産党系が一般社会より強い。なぜ、強いかを語れば長い話になるが、学生運動をやり過ぎると民間に就職しにくいとか、学者の世界でそういう派閥に属すると有利ということもあると思う。

それから、戦後、政治などの世界では、公職追放によって保守系の人々が苛烈に広範囲に追放されたが、彼らは政界などでは復帰したが、学会やマスコミではそうでもない。また、レッドパージ的なこともあまりされなかった。つまり「右を切ってそれに比べて左には甘かった不均衡」を引きずっているのである。

「パン屋」に改革はできない

それはともかくとして、どう対処すればいいかといえば、学術会議は、「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させる」というのが法律で定められたのが目的で、政府機関としている理由だが、現状では、そういう期待に応えているとは言い難い。

それなら、法律を変えて学術会議のあり方を変えるのもひとつの方法だ。彼らの意見、なかんずく政治的な傾向の強い意見は聞かない、また、そういうことを言ってくれば、目的と違う活動をしているのは容認できないので、予算も出さないし法律も変えると方針を示しても何の問題もないはずだ。

どちらにせよ、日本の防衛のためには邪魔をし、中国への警戒が熱心でない団体をフェードアウトさせるのは政府の勝手である。

中国の手助けをしているのは誤解だとと弁解しているようだが、日本のアカデミズムが、世界の潮流と比して、中国などへの技術流出やその軍事利用、孔子学院にみられる工作機関への警戒心がゆるいのまで否定できないだろう。

それに対して、そういうことがまずいと言うことは認めつつ、改革は「パンはパン屋の言うとおりにつくらせておく」しかないという人もいる。だが、ホテルのパン部門に問題があるときに、改善策を任していては普通はダメだ。

「適度に」人事にも介入したり、予算で締め上げたり、存廃を議論する刺激が必要だ。出来の悪いパン部門を彼らが改心するまで辛抱強く待つなどとんでもないことでなんでそんなこというのか、不思議だ。

民営化すべきという人もいる。確かに、会費で運営するようにして、法律で特別に意見を尊重することもやめたら、目が覚めるかもしれない。もちろん、六本木の本部など売り払って国庫に入れて、学術会議は会費で借りられるビルを探させてもいいのである。

菅首相(官邸サイト)

政府はフェアに方針を明確化すべし

だが、私は放りだしたら良くなるとは思わない。

むしろ、政府として、科学技術研究者に期待する役割を高らかに宣言し、「守旧的セクショナリズムを克服する組織見直し」や「政治的動きの排除」を要求する。できなければ、予算配分や組織のあり方を根本的に見直すと、フェアに方針を明確化すべきだ。

こうしたなかで、「民営化」や、米国のように「人文科学系を外して、自然科学だけに絞る」という改革を断行してもいいと思う。

そもそも、学問の発展には、がんじがらめにせずに「自由の許容」することは絶対に必要だし、そこが学術会議の人たちの好きな中国とは違うところなのだが、政府がこういう方向で科学技術の発展を図るために政策を展開し、学問研究の方向付けをある程度して影響力を行使するのは、むしろ政治の義務ではないかと思う。「こういう研究はするな」と言わない、自由な研究をするインフラは破壊しなければいいことだ。

それは、どこの国でもやっていることだ。これまでの日本はそれが足りないから中国などの後塵を拝しているのだ。

また、公的な組織で、一部の政党が運営の主導権を巧妙にとって、本来の目的と違う動きをしているような場合には、それを放置せずに、政治利用する道を塞いだとしても何も批判されることではあるまい。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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