コロナ禍を生き抜くために:イエスの利他主義に学ぶ

2020年10月17日 11:30

いよいよ来月3日、米大統領選が実施される。新型コロナウイルスに感染していたトランプ大統領も戦場に復帰し、大勢の支持者の前でのトランプ節も復活してきた。外電によると、選挙集会でトランプ・ファンが、「大統領、あなたは世界で最も有名な人間です」と褒めると、トランプ氏は満更でもない顔をしながら、「それは違うよ。イエスは私よりもっともっと有名だよ。自分はその足元にも及ばない」と答えたという。

「米国ファースト」を標榜するトランプ大統領(ホワイトハウス公式サイトから)

トランプ氏らしいユーモアだが、米大統領選では「イエス」が直接的、間接的に引用されるケースが多い。有権者を鼓舞し、喜ばすためには「イエスの話」ほど最適なテーマはないからだ。米福音派教会信者であるトランプ氏も対抗候補者のローマ・カトリック教徒のバイデン前副大統領もその点はよく知っているはずだ。神から遠く離れた生活をしながら、神を忘れることが出来ない国民が多いのが米国社会だからだ。

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇はバチカンのサン・マルタ館の朝の礼拝時に、イエスの苦難の人生とその勝利を称えるミサを行った。教皇は礼拝では名こそ挙げなかったが、有罪判決を受けて独房に収容されてきた後、無罪判決を勝ち取ったジョージ・ぺル枢機卿のことを思い出しながら語ったのだろう。教皇にはペル枢機卿の歩みがイエスの歩みを想起させたからだ。

「ペテロの後継者」と言われるローマ教皇がイエスの話をしても当然だが、2000年前のイエスの話だけで終わっていれば、語る人も聴く人も余りエキサイティングになれないが、現在生きている社会で「イエスのような」生き方をしている人間がいれば、大きな信仰の証となるものだ。

キリスト教圏での話だが、それにしてもイエスの言動のリバイバルを感じる。新型コロナの感染拡大で外出自制、イベントやスポーツが中止されるなか、多くの人々は内省的になってきたからかもしれない。それとも、ワイルドな資本主義社会で本当の英雄、聖人を見出すことが難しくなったことから、2000年前の話とはいえ、人類の救い主として33年の生涯を歩んだイエスに人の生き方の基準を見出す人が増えてきたからもしれない。

人間は模範となる生き方、人間を探している。そして「自分もそのようになりたい」と考える。それは信仰とか宗教といったカテゴリーのテーマではなく、人間は生来、そのように生きるようになっているからではないか。世界には多くの英雄伝がある。彼らは様々な形で我々を勇気づけ、希望を与える。困難な時であれば一層、生き方を教授し、刺激してくれる義人、聖人が求められるわけだ。

それではわれわれはどのような人、生き方を模範としたいのだろうか。義人、聖人の共通点は何だろうか。他の為に生き、犠牲となってきた人間を義人と感じ、そのために生涯を歩んだ人を聖人と呼んできたのではないか。他者の為に犠牲となる人間に対し、やはり尊敬心が湧いてくるものだ。イエスは「汝の敵を愛せよ」と述べ、「人がその友のために自分の命を捨てること、これより大きな愛はない」と隣人愛を説いてきた。

ただし、イエスの言動は時には高尚すぎて違和感を感じる人も少なくない。だから「他者の為に生きることは自分の益にも繋がっている。双方がウインウインだ」と説明すれば、現代人の多くの人は理解できるだろう。哲学的に言えば、オーストラリアのメルボルン出身の哲学者、ピーター・シンガー氏の効率的な利他主義という内容だ(「利口ならば、人は利他的になる」2015年8月9日参考)。

マスクの着用とその効能について、様々な意見がある。マスクは基本的には感染を完全には防げないが、自身が咳したり、感染していた場合、相手にそれを伝染させないうえで少しは効果はある。すなわち、マスクは他者のために着用するが、他者が咳やくしゃみをした場合は当然自分を守ることにもなる。マスク反対、マスク懐疑派の人には、「相手のため、友人、知人のためにマスクを着けてほしい」といえば、着用するのではないか。誰もエゴイストと思われたくないからだ。

トランプ大統領は当初、「新型コロナを恐れることはない」としてマスクの着用を拒否していた。それを“男性的な対応”と考えてきたのだろうが、間違っている。マスクの着用と男性的とは根本的に異なった問題だ。米国は人口では世界の約4%だが、新型コロナによる死者数では世界の20%を占めている。トランプ氏には悪いが、明らかに、米国の新型コロナ対策は間違っていたわけだ。

新型コロナの感染は欧州で再び猛威を振るいだしてきた。第2のロックダウン(都市封鎖)を強いられる国も出てきた。この期間がいつまで続くか誰も分からない。国民経済は次第に厳しくなってきている。我々ができることは、手を洗い、外出を自粛し、社会的接触を制限し、距離を置くといった感染症対策の基本的規制を遵守していく以外、他の選択肢がない。

新型コロナ感染防止の規制を「自分の為」と思えば、「規制などどうでもいい。自分の健康は自分のものだ」といった自暴自棄な論理も湧いてくる。しかし、規制は自分のためではなく、自分が愛している家族、友人、知人のためだ、と考えれば、規制を遵守することに価値を見出し、それを実行するパワーが与えられる。新型コロナはイエスが語っていた「隣人の為に……」という内容を実践する機会を提供しているわけだ。人間は利己的遺伝子に操縦された存在ではなく、生来、利他的に生きる価値を知っている存在ではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2020年10月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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