「建国記念の日」に思う - 松本徹三

2009年02月11日 00:01

2月11日が「建国記念の日」として制定されたときには相当の議論がありました。

戦前はこの日を「紀元節」として盛大に祝い、明治憲法の発布もこの日を選んで行われたわけですが、そもそも何故2月11日なのかといえば、西暦720年に完成した日本最古の歴史書である「日本書紀」に記された神武天皇即位の日(元日)を、グレゴリオ暦に換算すると西暦紀元前660年の2月11日に当たるからという理由からでした。


日本で文字が常用されるようになったのは西暦600年前後であり、紀元前の話となると「各地での伝承をつなぎ合わせたもの」でしかありませんから、そのような曖昧なものを「建国を記念する日」のベースとすることが果たしてよいのかという議論は、「史学会」などを中心にその時にもありましたし、それ以前の問題として、社会党などの野党は「戦前の紀元節の復活は、あらゆる面で戦前の体制への復帰を企てる自民党の画策の一環である」として反発していました。(社会党は、新憲法が発布された5月3日を建国記念日とすることを提案、公明党は対日講和条約の発効日である4月28日にすべきと主張していました。)しかし、国民投票で47.4%が2月11日を支持したので、最終的にそのように決まったのです。

さて、「建国記念の日」制定の主旨としては、「建国を偲び、国を愛する心を養う」ということであることが明記されていますが、私は実はこのことには大賛成です。私は、現在小中学校などで、この主旨に基づいたどのような話が生徒達に対して語られているかは全く知りませんが、日本という国の生い立ちを理解しようとすれば、嫌でも古代史を勉強せざるを得ず、そうなると、漢から三国時代、南北朝時代を経て隋・唐の建国に至る中国の歴史と、高句麗、新羅、百済の三国が鼎立した朝鮮半島の歴史も勉強せざるを得ないからです。

そもそも、日本が国家としての体裁を整え始めたころの東アジアの状況を研究してきた学者達(例えば東北大学名誉教授の井上秀雄先生等)は、現在の中国東北地方にあった「扶余」という国から分離して生まれた「高句麗」が、漢族や鮮卑族と抗争を繰り返す一方で徐々に南下して、朝鮮半島の南部にいた韓民族を圧迫、更に、韓民族の中でも西部の馬韓(後の百済)と東部の辰韓(後の新羅)から圧迫を受けた弁韓(後の加羅)の諸部族が、稲作技術と鉄器を携えて海を渡って新天地の日本列島に渡り、その地で縄文式文化を築いていた原住民と融和、或いはこれを征服して、各地域に次第に王権のようなものを確立、この中で最終的に覇権を握ったのが大和朝廷だと説いておられます。つまり、これが、現時点で最も信憑性のある「日本建国の歴史」だといえます。

また、これはずっと後世の話ですが、北の「高句麗」と東の「新羅」からの圧迫に対抗するために、「百済」は海を隔てた大和朝廷の武力支援に大きな期待をかけ、仏教を初めとする中国の文物を贈り続けると共に、極めて迎合的な外交を行います。これは多くの日本人が知らないことだと思いますが、中国人がつけた「倭」というあまり美しくない国名に代わって、「日本」という美しい国名を使い出したのは、当の大和朝廷ではなく「百済」だと考えられています。この為に、大和朝廷は、飛鳥時代から奈良時代にかけてしばしば海を越えて出兵し、その都度多大な犠牲を払う結果となりました。

このように、古代に遡れば遡るほど、東アジアの諸民族間の交流と駆け引きは密接かつ複雑であり、若い人達がこのような歴史を通じて日本の国の成り立ちを学ぶことは、彼等の視野が大きく広がって、近隣諸国に対する偏見やわだかまりが次第になくなっていくことに資するでしょう。

戦前の教育は、歴史的な事実を殆ど無視し、場合によれば歪曲してまで、自国中心の「皇国史観」を推し進め、それによって愛国心を高揚しようとするものでした。いっぽう、現時点に目を移せば、日本の拡大主義の復活を恐れる中国と韓国が、事ある毎に日本での歴史教育のあり方に神経を尖らせ、内政干渉に近いような発言さえもしばしば行っています。共に、大変不幸なことだと言わざるを得ません。歴史の探求は政治ではなく、客観的な学問であるべきです。

日本人からすれば、過敏とまで思える韓国人の対日感情のわだかまりが、いつも気になるところですが、韓国人と中国人の間には、もっと大きな「どんよりとしたわだかまり」が潜んでいることも事実でしょう。近世における日本による朝鮮半島の植民地支配は、乱暴なものではありましたが、比較的短期間に終わりました。これに対し、中国の歴代の王朝は、長い間、朝鮮半島を実質的に直接、間接の支配下においていたわけです。

「高句麗」のこと一つをとっても、韓国人からすれば、「高句麗」は当然彼等の歴史の一部であって、だからこそ、「漢」と戦って「高句麗」を建国した「朱蒙」は、最近のTV番組で多くの韓国人にとっての「英雄」になったのですが、中国人から見れば、満州族の「高句麗」は、当然中国の歴史の一部です

中国の立場からは、現在の中国は、漢民族を中心とするものの、建前上は多民族国家であり、満州族も蒙古族もウィグル族もチベット族も、中国人の一部ということになります。しかし、これらの諸民族の中には、「自分達は漢民族に征服され、現在はその支配下に置かれているが、やがては開放されるべきだ」という考えを持つ人達も当然いるでしょう。

歴史観というものは、このように複雑なもので、国家間、民族間の感情的な対立を容易に誘発する「危険なもの」です。「建国記念の日」に当たって、このことにもう一度深く思いを致すことは、日本人が「アジアの諸民族の不可分な一部」として自らを位置づけ、その中での融和を常に心がけていく上で、必要、且つ有意義なことだと思います。

松本徹三
(ソフトバンクモバイル副社長 ‐ 但し、このブログは個人として投稿しており、勤務している会社の見解を代表するものではありません。)

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