記者クラブ開放問題の危うさ - 原淳二郎(ジャーナリスト)

2009年10月13日 23:09

鳩山政権になって中央官庁の記者クラブ開放問題が急浮上してきた。クラブに加盟している既存メディアと開放を要求する雑誌、ネットメディア、フリーランスジャーナリストとの対立に発展している。記者クラブ開放問題は古くて新しい問題である。1980年代日米経済摩擦が激化したころ、私は旧通産省記者クラブの幹事として開放問題に直面した。その時の経緯については私のブログに書いた。退職後、フリーランスとなってから直面したNTT記者クラブ問題についても書いた(2005年5月28日)。


なぜいつまでたっても記者クラブ問題は解決しないのか。問題提起する人は変わってもことの本質は何も変わっていない。解決できない大きな理由のひとつは、現場にいる優秀な記者ほどこの問題には関わりたくないと考えていることだ。記者クラブには常駐各社のキャップクラスから構成される幹事団とクラブ総会というのがある。幹事団は2,3社で持ち回りである。幹事が発表や会見、懇談会などの窓口をつとめる。幹事がノーといえば何事も動かない。幹事団だけで決められない問題が起きた時は総会が召集される。

幹事という仕事は、発表や会見の予約、調整などのわずらわしい仕事が毎日ある。本来の記者活動とは無縁である。だからだれも自ら進んでやる気がしない。できることなら、何事もなく幹事役の期間が過ぎてくれることを望む。できる記者ほどそう考える。記者クラブ開放問題も幹事にとって厄介な問題だ。できたら避けて幹事をやり過ごしたい。こうした記者クラブ幹事の怠慢、いややる気のなさがいつまでも解決しない要因だと考えてる。

現場の幹事にやる気を起こせ、解決せよといっても、ないものねだりに等しい。彼らの本来業務は取材。取材をほっておいて幹事業務に専念できるわけがない。まして開放問題は会見場のスペースの問題や、クラブのスペース配分、参加できるジャーナリストの資格も絡んでくる。社を代表する幹事とはいえ、一存で決める権限も与えられていない。現場の記者諸君の気持ちを代弁すると「ただでさえ忙しいのにクラブ問題になんか関わっていられるか」ということになる。

かつて郵政省とNTTの記者クラブ再編問題が起きた時、問題の所在を逐次会社に報告しながら対応した経験があるが、何も決めてくれない会社にいらだった記憶がある。会社には、記者クラブの自治に任せるという理屈があったが、財源や物理スペースの問題がからむと自治だといっていられなくなる。その時は「もうやってられないから、新聞協会で解決してくれ」と要請して下駄を預けた。ところが新聞協会も、現場の実態を知らないまま議論するから、本質的解決策を提示できない。記者クラブ開放問題については、現場も協会も当事者能力に欠けるといってもいい。

フリーランスや雑誌記者が開放を求めるのは理解できるが、だれにこの問題をぶつけていいのかたぶん分からないで困っているはずである。もうひとつやっかいなのは、オープン化とはどこまでの範囲で開放するのかがあいまいなまま放置されていることだ。外務省記者クラブ開放問題では、新聞協会、民放連、雑誌協会、インターネット報道協会、外国特派員協会の5団体が発行する媒体に定期的に記事等を提供するものに開放することになっている。私はフリーランスのジャーナリストを名乗っている。しかし、上記いずれの団体が発行する媒体に定期的に記事を執筆してはいない。自分のブログに書くのが主たる活動である。このようなブロガーは記者クラブ開放の対象になるのか、外務省に聞いてみたが、分からないという返事だった。

日本は肩書き社会である。私は大学教授の肩書きもあるが、あえてブロガーだと名乗って民間企業に取材を申し込んだことがある。ブロガーというだけで取材お断りである。実績などいっさい考慮されない。ブログのアドレスさえ聞かれなかった。日本には1000万を超えるブログがあるといわれる。ブロガーを数えたら何万人にのぼるか想像がつかない。その人たちに記者会見を開放したらどうなるか。

官庁の記者クラブ開放以前に民間企業の記者クラブ開放問題があった。いまはほとんどのクラブが開放されるか廃止されていると思うが、その結果はどうなったか。記者発表と称する会見ショーが取って代わった。多くの記者、カメラマン、リポーター、アナリストが押しかけ、中には宣伝広告業界の人たちまで混在した中で、開かれている。それはまるでイベント、ショーといってもいい。まじめな記者と発表者との間の真剣な質疑応答はなくなり、発表者に都合のいい情報だけが垂れ流される。

官邸や官庁の記者会見開放には反対ではないが、総理会見や大臣会見がショーになり下がる恐れが十分にある。このことを考えておく必要がある。会見に出席できる記者の資格審査などが始まったら、審査する側が記者クラブだろうと官庁だろうと、それこそ異常である。記者会見はジャーナリストにとっても取材される側にとっても真剣勝負の場である。それがショーになっていいはずがない。

権力は自分に都合のいいことを書いてくれるメディアは歓迎するが、都合の悪い記事を書くメディアは嫌う。かつて佐藤栄作首相が辞任会見で、「新聞記者は出て行け。テレビは前に」といって批判する記者を会見場から追い出したことがある。追い出したというより記者クラブが自ら会見を放棄したのだが、ジャーナリズムにはこうした権力に毅然と対峙する姿勢が必要である。

民主党といえども政権をとったら権力側である。民主党にすり寄って記者クラブ開放を求めるジャーナリズムはジャーナリズムといえるのか、疑問が残る。記者クラブ開放は所属するメンバーにとって何もメリットはない。だからといって開放に賛成するジャーナリストはたくさんいるはずだ。記者クラブの既得権を崩せ、権力との癒着だと批判することはたやすい。だがジャーナリズムが対立して喜ぶのはだれか。心ある記者クラブメンバーと新規参入ジャーナリストが協力してこの問題を解決してくれることを望む。開放一本やりでは何も進まないどころか、かえって民主主義を危うくする側面があることに想像をめぐらせてほしい。

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