フラットな法律 - 矢澤豊

矢澤 豊

先週土曜日、磯崎哲也氏が、氏のtwitterエントリーで、私のストライクゾーン真ん中高目のトピックに関して触れておられていたので、不面識の失礼も省みず、長々とお返事してしまいました。「英国法における信託とエクィティ法の発展」という、超マイナーな話題でしたが、その折に、以前から抱いていた「法律」に関する考えに、一つの啓示があったので、書き留めておきます。


イギリスの大学で法律を勉強し始めた1年生の1学期、「法学(Law)」という、いわばオリエンテーション的科目がありました。その一時限目のリーディング・リストにあった小論文が衝撃的だったのを今も覚えています。(筆者の名前は失念してしまいましたが。)

曰く、英米法において採用されているコモンロー法制度は、ヨーロッパにおける大陸法制度、つまり現在日本でも採用されている法典法制度に比して、数段優れた法制度である、という主旨でした。

イギリスの大学でイギリスの法律を学ぶにあたって、多少は我田引水、自画自賛的な話も聞かされるであろうと、一応覚悟はしていたのですが、こうも真っ正面から、立ち合いからの諸手突きで自己の正当性と優越性をぶつけてきたことには、少なからず面喰らいました。

しかし、かの小論文一読の後、今に至るまでその論に分があることを認めざるを得ません。

「大陸法」の起源はローマ法、すなわちユスティアヌス帝によって編纂された「ローマ法大全」にあると言われます。しかし、ヨーロッパにおけるその伝統は、西ローマ帝国の滅亡からヨーロッパ中世にいたる時代において、断絶しています。また「ローマ法大全」はルネッサンス期にヨーロッパで再発見されるのですが、それは主に古典研究の一環としてのアカデミアでの話であり、実際にローマ法が、生きた法制度として再デビューするのは、フランス革命とナポレオンによるナポレオン法典の成立を待たなければなりませんでした。

なぜフランスの革命政府が、学術研究の対象となっていたローマ法を、近世になって引っ張りだしてきたのか。

大陸ヨーロッパにおいて、アンシャンレジーム(旧体制)の下、国家は絶対君主の下に統一されていましたが、司法権力は領主権とともに各地に細分化されていました。ですから革命政府は絶対王権と地方領主としての貴族の支配制度を徹底的に否定し破壊した後、国家規模での司法制度を一から作り上げなければならなかったのです。さすがに全く新しいものをオリジナルに作り上げるわけにはいかず、ローマ時代の旧モデルを適宜アップデートして流用したというわけなのです。

ですから大陸法発展の歴史はローマ法典の原典解釈と、これを時代に合わせる為の修正作業ということになり、これを担ったのは法典研究のエキスパートとしての法学者であったといえます。

コモンロー制度を採用する英米法には、ローマ法のような歴史と伝統の断絶がありません。またコモンロー制度は、その当初より、イングランドという国家と同じレベルで存在していました。征服王ウィリアム1世以来、プランタジネット王朝創始者ヘンリー2世の司法改革を経て、コモンロー制度は綿々たる歴史と伝統、そしてその集大成とも言うべき膨大な判例と不成文の慣習法によってその基礎が形成されています。

したがって、コモンロー法制度におけるその発展の担い手は、アカデミアにあって、原典研究に長けた学者や、政策研究の一環として法制度を分析する人間ではなく、実際に法廷や係争に携わる法実務に精通した実務家であるといえます。

オーガニックな発展を遂げたコモンローにおいては往々にして実務が先行し、理論がこれを後追いするという宿命にあります。これは私がロンドンで法廷弁護士として修行していたときのウワサ話ですが、とある金融商品が市場で流通されるべきnegotiable instrument(証券)であるか否かという点で法律意見書を求められたヴェテラン弁護士が、膨大な弁護士費用をもらって作成した意見書にはただ一行、

「かかる金融商品が市場で流通しているのであれば、それはnegotiable instrument(証券)とみなされる。」

と書いてあったとか。

現代のように人類の経済活動が国家という枠組みを超えて発展している時代に、こうした実務重視の特性をもつコモンロー制度が、国際商取引において、準拠法として世界を席巻している事実には、ある一定の必然性があります。大陸法はその起源において、強制機関としての国家権力の枠組みを前提としています。 現代のグローバル社会において、こうした制定法主義的な限界が浮き彫りになっているのです。

大陸ヨーロッパの法学者たちもこうした現状に危機感を感じているようで、私が大学3年のときに法哲学の招待講師としてやってきたドイツのトイブナーという教授は、「オートポイエーシス(自己創出)的な法律」というテーマを熱く語っておられ、特に中世ヨーロッパにおける商慣習法(law merchant)と現代のEU法の関連に注目していました。また同じ時期に国際公法の講義をしていたロザリン・ヒギンズ教授(後に、小和田恒氏直前の国際司法裁判所所長)も、条約その他による制定法主義の国際法ではなく、国際社会において創出された規範意識に基づく国際法を論じていました。(もっとも授業についていくのが精いっぱいだった当時の私にとっては、いささか『豚に真珠』の観は否めませんでしたが...。)

ニューヨークタイムズの有名コラムニストの言葉を借りれば、どんどん「フラット」になっていくグローバル社会において、こうしたコモンローのような「自己創出」的法律は、人類の経済活動において、より重要な役割を担っていくでしょう。面識もなく、バックグラウンドを共有しない人々が、文字通り世界を股にかけて商売をする現場において、法律は「契約」や「市場プロトコル」として、価値観の共有を可能にする、コミュニケーション・システムの一部として重要な役割を担っていくのです。いわばグローバル・エコノミーのOSソフトであるといえるのではないでしょうか。