年金制度だけ存続していても--池尾和人

2009年10月25日 14:46

明日発売の『週刊東洋経済』10月31日号(定期購読者には、土曜日に届いている)が、「年金激震!」という特集をしている。ただし、その趣旨がもう一つ、よく分からない。もう少しはっきり言うと、厚生労働省の役人およびそのOBにだいぶ吹き込まれたのではないかという感じ。

明日、たまたま、日本経済の中長期的課題の1つとして公的年金制度についても講義する予定なので、その際に配布予定のレジュメの記述の一部を以下に引用する。「」が引用。それ以外は追加コメント。


「ただし、2004年に大きな年金制度改革が行われ、保険料水準の上限を設定し、それでまかなえる範囲に給付水準を調整するという仕組みが導入されたことから、日本の公的年金制度の持続可能性は格段に高められた。もっとも、結果としての給付水準の切り下げが大幅なものとなったときには、再検討せざるを得ない可能性も高い。」

確かに、かつては修正積み立て方式とかいっていたのを2004年改革で、完全な賦課方式にして積立金も取り崩していくことにしたのだから、定義的に制度は破綻しなくなったといえる。しかし、結果的にとても生活していかれないような低額の年金給付しかもらえなくなったら、一将功なりて万骨枯るで、公的年金制度だけ存続していても(年金破綻論は間違っているといっていても)しかたがない。制度を守ることが最終目的ではなく、老後の生活を守ることが目的なのだから。

こうした問題は、人口構成の推移と経済成長率の大小にかかっていて、年金「制度」をどういじろうとも、それによって解決できるものではない。この点の記事の指摘は正しい。労働生産性の持続的な向上を実現していくことを追求していく以外に活路はない。

念のために加えると、「もっとも、世代間の所得移転は、公的チャネルを通じてだけ行われているわけではない。とくに遺産の授受というチャネルを通じる移転は無視できない規模のものであり、公的年金制度の移転効果を相殺するものである可能性が高い。したがって、一部だけ(公的チャネル)をとりあげて不公平を云々するのは、必ずしも妥当ではない。」

「また、公的年金制度が存在しなくても、負担から逃れられるわけではない。公的年金の給付がなければ、親の世代は保有資産を取り崩すことになり、子の世代は資産を継承できなくなるという形で負担が生じる。」

この程度のことは、私は社会保障論が専門ではないし、日本経済論の講義だけれども経済学部で学生にちゃんと教えている。社会保障問題だって経済原則(フリーランチは存在しない)から自由ではありえないから、経済学的な検討が不可欠なことは言うまでもない。

[追記]あとで少し加筆訂正しました。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑