道理:日本人の法律観と経典主義という癌 - 矢澤豊

2009年10月26日 12:15

前回、ヨーロッパ大陸法はローマ法に基づくとはいっても、歴史の流れから観た場合、実のところはローマ法の「移植/焼き直し」といったほうが事実に近い、というお話しをしました。今回は、日本という国は法制度の「移植/焼き直し」を2回半してのけている国であるということを説明したいと思います。また現在の2回半目も、日本人の心に宿る「経典主義」という癌を克服しないかぎり、遅かれ早かれ破綻するであろう、ということを述べたいと思います。


日本が最初に異国から法制度を「移植/焼き直し」したのは、7世紀後半から8世紀の中頃までにわたる時期です。皆さんご案内のとおり、これは大化の改新(645年)以降、天皇家を中心とした中央集権国家の樹立を目指した時期にあたります。この間、天智天皇による近江令(668年?)、天武天皇の指示により制定された飛鳥浄御原令(689年)、そして藤原不比等がそのエネルギーと博識を注ぎ込んだ大宝律令(701年)と養老律令(757年)が、それぞれ国家近代化のプロジェクトとして次々と制定されました。

国家の制度、法制度としての律令制度が、もともと中国のものだったことは皆さんご存知でしょう。当時の日本の有識者たちは、「王土王民」「一君万民」といった中国の思想を、新生日本が目指すべき理想とすることで意見一致していました。しかし、つい数世代前まで氏姓制度に基づいた豪族連合だった日本人と日本の当時の事情に、中国の舶来法制度がそのまま馴染むはずはありません。「王土王民」の実現のため、戸籍が導入され、班田収授制度がスタートしましたが、上記したような数度にわたる律令の制定/改定の歴史は、中国の法制度を日本向けに修正する努力の現れでした。

しかし、朝廷の官僚たる廷臣たちによる条文の見直しや手直しが進めば進むほど、法制度の目指すところと日本の実情が乖離していったことは皮肉です。723年には墾田私有を認める三世一身法が発布され、その20年後の743年には、不比等のムコ殿である聖武天皇により、墾田永年私財法が制定されます。ようするに「王土王民」を目指す律令の条文の完成度が高まれば高まるほど、国の実情は荘園領主たる平安貴族の黄金期への助走を早めていたわけです。

この法律と実情の乖離の悲惨な様相は、「三善清行の意見封事十二箇条」(914年)が同時代の資料として詳しく描写しています。皇極天皇の時代(642~645年)、百済出兵に際して兵を募ったところ、二万人を提供したという伝説により「二万郷」と名付けられたことをその名の由来とするという備中・邇摩郷。この郷も270年後の延喜11年(911年)には戸籍上の住人はゼロになっていました。「一斑をもって全豹を推すべし」、法制度では「王土王民」を謳いながら、制度が依って立つべき善良な納税者たる公民は、権力者の租税回避システムである荘園制度の発展にとりこまれ、いなくなっていたのです。

こんな状態が鎌倉幕府による武士政権の樹立により改善されるまで、また200年以上も続いたのですから、いくら古代といっても日本人の気の長さ、改革忌避の性向に、今さらながらにあきれます。

こうした京都朝廷の実態と、その空虚な法制度のバカバカしさを、鎌倉武士たちに教えたのは、多分自身も太政官府の下級官吏から、鎌倉幕府の初代政所別当に「天下り(?)」した 大江広元(1148~1225年:戦国大名安芸毛利家の始祖)でしょう。後鳥羽上皇による反動クーデターであった承久の乱(1221年)の折、上皇に名指しで糾弾された北条義時および北条家と共に、広元が一貫して幕府側における主戦派であったことは、彼のこの信念の現れだと私は思います。

この承久の乱の際、鎌倉勢の総大将として上皇軍を蹴散らしたのが義時の長子であり、後の三代執権北条泰時。この泰時が中心となって貞永元年(1232年)に制定されたのが、武士政権により初めて制定された法律である「御成敗式目」です。

この御成敗式目の制定の意図に関して、泰時は六波羅探題として幕府の京都における「重し」を務めていた弟、重時に対し、手紙によって噛んで含めた懇切丁寧な説明をしていますが、これが非常に興味深い内容なのです。

泰時曰く、
(現代語訳)
「さてこの御成敗式目を作られたことは、何をよりどころにして書いたのかと、きっとそしり非難する人もあろうかと思う。たしかにこれというベきほどの典拠によったことはないが、ただ道理(武士社会での慣習・道徳)のさし示すことをしるしたのである。...」

「さてこの式目をつくられ候事は、なにを本説(ほんせつ)として被注載之由(ちゅうしのせらるるのよし)、人さだめて謗難(ぼうなん)を加ふる事候歟(ことにそうろうか)、ま事にさせる本文にすがりたる事候はねども、たゞどうりのおすところを被記(しるされ)候者也。...」

この社会の慣習(=常識)/道徳(=価値観)を「道理」という言葉で表現し、これを法源として新たな法制度の依って立つところに据えた北条泰時という存在、そして彼の当時において先取的な法哲学は、日本の法制史においてもっと注目されてもいいのではないでしょうか。この式目の制定により、日本人は法律というものを、漢文で書かれた特権知識人階級の専有物ととらえる考え方の根本的束縛から逃れることを得たのです。

式目は鎌倉、足利、戦国、そして江戸時代にいたるまで、優れた武士の「基本法」として機能し、特に戦国時代は、日本各地に割拠した戦国大名たちの家法の手本となりました。また江戸時代、武家諸法度にその「基本法」としての地位を譲ったものの、式目は日本人社会において「法の下の正義」を代表する存在でした。 例えば忠臣蔵で、幕臣たちが「喧嘩両成敗は御成敗式目以来の云々...」と将軍綱吉に諫言するくだりはその証左でしょう 。役者が演じる武家社会の世界でも、芝居を見物にやってきた一般大衆にとっても、「式目」の存在がいかに受け止められていたかが分かります。

しかし江戸時代における停滞は、式目の根底にあって、柔軟性に富み、「自己創出」的な可能性さえをも秘めた「道理」という法源を、「権現様以来の祖法固守」という名の動脈硬化状態に落としいれ 、最後には窒息死させてしまいました。

結果として明治維新政府は天智・天武以来の国家プロジェクトとして、舶来法制度の日本化パート2を押し進める羽目になりました。このプロセスに戦後の新憲法の制定を含めたものを、私は法制度の「移植/焼き直し」2回半と呼んでいるわけです。

上記に述べたように、1回目の「移植/焼き直し」も約100年で綻びが出始めましたが、2回目半の現在も維新後約150年、旧憲法制定120年、(六法中最古参の)民法制定後110余年を経た今、どうも動脈硬化に落ち入っているようです。

今さら私ごときが指摘するまでもありませんが、実際の世界情勢と日本が果たすべき役割を議論せずして、憲法の特定の条文の文言を固守することに賛成か反対かという空虚な「踏み絵」によって、「平和主義者」であるやなしやの判断基準とされている現状は、この最たる例でしょう。また最近このアゴラでも取り上げられた「内閣法制局」の存在も、動脈硬化症状の一例とみなされるべきではないでしょうか。刑事訴訟においては、国民の大多数が望まない裁判員制度を押し付けられ、民法では、それこそ律令時代の亡霊のごとき戸籍制度の撤廃にさえ難儀するといったグロテスクな状況です。

私はこの動脈硬化の原因をつきつめれば、江戸時代に醸成され、明治以降顕在化し、日本人の心に巣くった「経典主義」に至るのではないかと考えています。つまり御成敗式目以前の日本人にあった法律に対する先入観、法律を一部特権知識階級の専有物であるとみなす偏見が、今の日本人の心に甦っているのではないか、と思うのです。

「経典主義」とは、知性の仮面をかぶった「権威主義」のことであり、「律令制度」と同じく、中国産の概念です。中国では隋の文帝(541~604年)以来、清の光緒31年 (1905年)に廃止されるまで、大なり小なり科挙制度の下にその社会と文化が隷属させられていました。孔子の教えとしての儒教と、四書五経が学問の王座を占め、これらに関する知識の多少と、これらに軸足を置いた作文能力の有無が、各個人の知性に対する絶対の尺度となされていました。のみならず、社会におけるリーダーとしての人徳や、為政者の素質を計る手段とされていたのです。制度としての科挙は、中世時代の中国における特権貴族階級に対する対抗政策として一定の効果をあげました。しかし、近・現代においてはこれがいかにバカげた制度であったか、そしてこのようなシステムと、「子曰く、吾れ嘗(かつ)て終日食(く)らわず、終夜寝(い)ねず、以て思うも益なし。学ぶに如(し)かざるなり。」という実践軽視の価値観が、20世紀における中国の近代化においていかに足かせとなったか、論を待たないところでしょう。

(中国文学者にして、名エッセイストの高島俊男さんが、中国共産主義革命をして、四書五経をマルクス・レーニンにすりかえただけの経典主義の変形だった、と主張されているのは、けだし御高説だと思います。)

明治以降、現代の日本でも、難関とされる試験に合格した一部特権階級的「自称」知識人エリートたちが、法律と行政を彼らの専有物としてきました。そしてその現状を諒としてきたのは、責任回避を第一とし、長いものには巻かれろ主義を奉じた一般大衆です。 その結果が現在の閉塞感、行き詰まり感となっているのではないでしょうか。

これからの日本人は、武家政権の草創期における鎌倉武士のように、一個人として自分の知性と良識に自信を取り戻し、経典主義の束縛から逃れなければならないでしょう。 目前の政策の良否を論ずることも、もちろん重要なことではありますが、私は今の日本は、こうした根本的な思考の変換が必要とされている時に至っているのではないかという気がしてならないのです。

特に事情に通じた法曹人は、かつての大江広元同様、重要な役割を担っているといえるのではないでしょうか。もっとも法科大学制度導入に際してのお粗末な顛末や、「テレビドラマで行政書士が離婚相談に応じるのはケシカラン」などと弁護士会がNHKにねじ込んでいるような現状を聞き及ぶと、経典主義制度下の既得権益を保守することのみに汲々としているかのようで、いささか暗澹たる気持ちにさせられます。「法学部教授の本当の金星は、司法試験問題の予想を的中させること」などという話が、デマであることを祈るのみです。

以下に皆さんのご参考まで、泰時の書簡の抜粋(現代語訳と原文)を掲載し、この稿の終わりとさせていただきます。

貞永式目 唯浄裏書本(ゆいじょううらがきぼん) 

「さてこの御成敗式目を作られたことは、何をよりどころにして書いたのかと、きっとそしり非難する人もあろうかと思う。たしかにこれというベきほどの典拠によったことはないが、ただ道理(武士社会での慣習・道徳)のさし示すことをしるしたのである。このようにあらかじめ定めておかないと、あるいはことの正しいか誤っているかを次にして、その人の強いか弱いかによって判決を下したり、あるいは前に裁決したことを忘れて改めて問題にしたりすることがおこったりしよう。こんなわけだから、あらかじめ訴訟の裁決のあり方を定めて、人の身分の高い低いを問題にすることく、公平に裁判することのできるように、こまかいことを記録しておくのである。この式目は、律令の説くところと違っている点が少しあるが、例えば、律令格式は、漢字を知っている者のために書かれているので、ほかならぬ漢字を見ているようなものである。かなばかりを知っている者の為には、漢字に向った時は、目が見えなくなったようになるので、この式目は、ただかなを知っている者が世の中に多いこともあって、ひろく人の納得しやすいように定めたもので、武家の人々の便宜になるように定めただけのことである。これによって、朝廷の御裁断や律令の規定が少しも変更されるものではない。およそ律令の条文は立派にできているが、武家や民間でそれを知っている者は百人千人の中で一人二人もいないだろう。そこで、人々の理解していないところに、にわかに法律の立場で理非を考え、法律を司る役人が自分の判断で、律令のあれこれの法令を適用するので、その判決は同じでなく人は皆迷惑すると聞いている。これによって、文字の読めないものもあらかじめ考えることができ、裁定のあり方もいろいろ変わることのないように、この式目がつくられたのである。京都の人々の中で、非難する者があったら、この趣旨を心得て問答しなさい。」
貞永元 (1232)年
9月11日 
武蔵守在
駿河守殿

「さてこの式目をつくられ候事は、なにを本説(ほんせつ)として被注載之由 (ちゅうしのせらるるのよし)、人さだめて謗難(ぼうなん)を加ふる事候歟(ことにそうろうか)、ま事にさせる本文にすがりたる事候はねども、たゞどうりのおすところを被記(しるされ)候者也。かやうに兼日(けんじつ)に定め候はずして、或はことの理非をつぎにして、其人のつよきよはぎにより、或(あるい は)御裁許ふりたる事をわすらかしておこしたて候。かくのごとく候ゆへに、かねて御成敗の躰(てい)を定めて、人の高下(こうげ)を論ぜず、偏頗(へん ぱ)なく裁定せられ候はんために、子細(しさい)記録しをかれ候者也。この状は法令(ほうりょう(律令))のおしへに違するところなど少々候へども、たとへば、律令格式は、まな(真名)をしりて候物のために、やがて漢字を見候がごとし。かなばかりをしれる物のためには、まなにむかび候時は人の目をしいたるがごとくにて候へば、この式目は、只かなをしれる物の世間におぼく候ごとく、あまねく人に心えやすからせんために、武家の人への計らひのためばかりに候。これによりて京都の御沙汰、律令のおきて聊(いささか)も改まるべきにあらず候也。凡法令のおしへめでたく候なれども、武家のならひ、民間の法、それをうかゞひしりたる物は百千が中に、一両もありがたく候歟。仍諸人しらず候処に、俄に法意をもて、理非を勘(かんがえ)候時に、法令の官人心にまかせて軽重の文どもを、ひきかむがへ候なる間、其勘録一同ならず候故に、人皆迷惑と云々、これによりて文盲(もんもう)の輩(ともがら)もかねて思惟し、御成敗も変々ならず候はんために、この式目を注置(ちゅうしおかれ)れ候者也。京都人々の中に謗難を加事(くわうること)候はゞ、此趣を御心得候て御問答あるべく候。恐々謹言(きょうきょうきんげん)」
九月十一日
武蔵守在
駿河守殿

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