大学生は勉強しなくていいのか

2009年11月06日 12:52

日本の(とくに文系の)大学生があまり勉強しないというのは、いまに始まったことではない。恥ずかしながら、私自身も、大学生の頃は決して勉強していたとはいえない。しかし、先輩も、そのまた先輩も、それ以前の先輩も、たいして勉強しないでもやって来られたからといって、いまの学生が同じように勉強しないでやっていけるのだろうか。この問いに対する答えは、たぶん否(NO)である。

現在、雇用をめぐって、少なくとも次の4つの構造的で不可逆な環境変化が起こっている(起こってしまった)。


(1)日本経済の期待成長率の低下
企業規模が年々大きくなっていくと期待できるわけではないので、長期雇用を保障したり、年功賃金制を維持することが必ずしも経済合理的ではなくなってきている。

(2)グローバル化
グローバル化には、格差を拡大する側面と格差を縮小する側面とがあり、全体的には中立的であるとされる。ただし、日本の場合には、中国をはじめとした近隣諸国の産業化に伴い、それらの諸国との間で「要素価格均等化」の圧力を強く受けるようになっている。

(3)情報技術革新の進展
広範囲にわたる情報処理がコンピュータに委ねられるようになり、ホワイト・カラーの「中抜き」現象が起こっている。比較的時間をかけて技能を積み上げていけるような職種が減少している。他方で、高度な判断力や専門的な知識を持った人材に対する需要は高まっている。

(4)ワーク・ライフ・バランス
労働力人口中での女性や高齢者の割合が高まり、それぞれの家族形態やライフスタイルに応じた多様な働き方の形態が求められるようになってきている。

このうちの「要素価格均等化」について補足説明をすると、労働力そのものを海外から受け入れなくても、自国での労働集約的な製品の生産を止めて、労働集約的な製品は海外から輸入するようにすれば、間接的に労働力を輸入したのと同等の効果が生じる。同じことは、土地についてもいえ、土地そのものは輸入できなくても、農産物は海外から輸入することにすれば、自国の農地を他の用途に転用できることになる。したがって、貿易が活発に行われると、それだけで両国の間で賃金や地代の水準のさや寄せが起こることになる。これを経済学では「要素価格均等化」といっている。

(2)のグローバル化の結果として、こうした「要素価格均等化」のメカニズムが容赦なく作用するようになっており、日本の労働者の賃金には結果的に引き下げ圧力が強くかかっている。そもそも「同一労働、同一賃金」が公平であるとすれば、日本人だからというだけで、同一労働をしているにもかかわらず他の東アジア諸国の労働者よりも高い賃金を得るというのは妥当とはいえないことになる。人的資本としての生産性の高さがあってはじめて、高賃金は正当化される。

また、(3)の情報技術革新の進展は2極化をもたらす基本的な原因になっており、かつて文系の大学卒がやっていたような「そこそこの仕事」がなくなっている。単なる情報処理をやるだけなら、PCの支援が得られる現状では、大学卒の労働者は過大能力であり、「評価」や「判断」の必要な職務をまかせるには過小能力だという状況になっている。こうした状況を反映して、米国では高卒と大学卒の賃金差が縮小し、大学卒と大学院卒の賃金差が拡大する傾向がはっきりと出てきているという。

こうした環境変化に伴って、従来型の日本的人材養成システムは、もはや時代遅れなものになっている可能性が高い。すなわち、企業は地頭(じあたま)主義で、大学には選抜機能しか期待しない。それゆえ、大学の役割は入試だけで基本的に終わり、在学中、学生はほとんど勉強しない。そして企業に入ってから社内で鍛える、ということでは、今後要求されるような人的資本としての生産性の高さは達成されないと懸念せざるを得ない。

実際、従来型の日本的人材養成システムから生み出される人材は、企業特殊的な「ジェネラリスト」で、汎用的な専門能力は決して高くない場合が大半である。それゆえ、所属する企業が成長しない限り、十分に報われることはない。しかし、もはや(1)のように日本経済の期待成長率は低いのである。したがって、より外部教育機関(例えば、専門職大学院)を活用した人材養成と、そうして養成された人材に適合的な労働環境の提供を図っていくべきだということになる。

ところが、現実の日本は、他の先進国と比較したら顕著に、アジア諸国の中でも相対的に低学歴国になってしまっている。要するに、もっぱら学卒止まりで、大学院生の比率が格段に低い(この点については、元文部科学省の大森不二雄氏による日本経済新聞10月23日付け「経済教室」の記事を参照されたい)。その上で、大学生があまり勉強していないということで、どのような将来が期待できるのであろうか。

たぶん、5~15年後くらいには、20~40歳代の日本人は、同じ年代の中国人や韓国人、他の東アジアの人々と全く同じ土俵の上で競争しなければならなくなると思った方がよい。そのとき、相手は当然のように修士号程度の学位はもち、流暢に英語も話すだろう。そのときになって、「大学生のときにもっと勉強しておけばよかった」と後悔しても取り返しはつかない。われわれの世代も、同じような後悔をよくするけれども、いまの学生以下の世代においては、身をもって悔いることになりかねない。

学生諸君、いまから勉強しておいた方がいいよ。老婆心ながら、そう思う。

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