雇用の流動化はトップ層からはじまっている - 直野典彦

2009年11月13日 10:58

日本社会の本質的な問題について、新たな議論の場を提供しようとする試みに、賛同し、また期待しています。日本の雇用についての愚見をお伝えしたく、筆をとりました。

私は、東京で小さなソフトウェア会社をやっています。社会全体を広く見渡した制度設計を担う方や、その後ろ盾となるメディアやアカデミックポジションとはいわば対局にある、いち私企業の収益最大化が私の責任です。ただ他の皆様の「鳥の目」だけではなく、私たち実務者の「虫の目」も多少のお役に立つのではないかと思い、勇気を振り絞って投稿させていただいている次第です。


私は今の会社をはじめる前は、10年ほど米国のスタートアップ企業(在職中に上場)で働いていました。よく言われるとおりで、米国では雇用の流動性が高いために、必要とするスキルを持った人の採用が容易です。他地域のことは知りませんが、少なくとも私のいたシリコンバレーでは、世界のどこに出しても通用するトップレベルの人材を、私が勤めていたような小さな会社が採用することに、特に困難を感じたことはありませんでした。米国で働き始めた頃は、小企業ならではの小回りを持ちながら、かつ世界中から集まった精鋭たちと仕事ができることに興奮した記憶があります。

一方日本では、硬直的な雇用制度および慣習が、優秀者を衰退産業や、有能とは言い難い経営者の元に囲い込む元凶になっており、これが社会全体の生産性向上を阻んでいます。転職市場が整ってきた現在でも、そして識者が雇用流動化の必要性を声をからして叫んだとしても、転職はリスクの高いものと、ほとんどの人は考えているはずです。このため、小さな企業が優秀な人材を獲得することは一般に極めて困難です。ましてや、トップレベルの人材を採用することなど、たとえ大企業をはるかに上回る待遇をもってしても、無理でした。

ところが今、私たちの小さな会社はでこのような「日本の常識」と正反対の状況を目にしています。世間で言うところのよい学校を出て高い学位を持ち、IT業界のピラミッド構造の頂点に位置する企業に勤める、さらにその中のエース級の技術者が、自らの意志で一流企業を辞め、私たちのような小さな会社に入ってきます。日本では多くの人が「一流企業を辞める人はそれなりの理由がある」と考えていると思いますが、私たちの見ている光景は「一流企業を辞める人はその中の一流の人」なのです。実はその理由が、拙稿でお伝えしたい点です。

今私たちと一緒に働いている転職組が前職を辞した理由は、会社が傾いたからでもなく、会社の将来に見切りをつけたわけでもありません。また、彼らが私たちの会社を選んだ理由は、私たちの会社の給料が高いからでも、なんとかヒルズを夢見ているからでもありません。彼らが前職を辞した最大の、そしてほぼ唯一といってもよい共通の理由は、IT業界のピラミッドの頂点にあってさえ、彼らの知的欲求を満たせる機会や、ソフトウェア技術者本来の醍醐味である、世界中の人に広く使われる技術や製品を自らの手で生み出すことのできる可能性が、将来にわたってほぼないと判断したからに他なりません。そして、私たちの会社を選んだ理由は、自らの手でイノベーションを実現することに対する渇望を、この場であれば満たせるかもしれないと感じたからであり、広く世界で通用する製品やサービスを作れる可能性を見いだしたからです。最近私たちの会社に加わった技術者は、アメリカの会社と私たちの会社を転職先の最終候補として、迷った末私たちの会社に入りました。トップレベルの技術者にとって、どの国で働くかなど、大した意味を持たないのです。

読者の皆様の多くは、彼らの行動を、合理性を欠くものだと思うかもしれません。実際に自分の家族がこのような行動を起こそうとすると反対するのではないでしょうか。ただ、合理的でないか、といわれると必ずしもそうではなくて、彼らのようなレベルの技術者は、好不況に関係なく好条件の仕事はあるし、万一日本経済が壊滅するようなことがあっても、アメリカでもアジアでも行けばどうにでもなるという確信はあるので、より先端に近い場所で腕を磨くために、そして自分の市場価値を高める場を求めて動くというのが合理的だというのは、おそらく間違っていないと思われます。

少なくともイノベーションを主導する層について言えば、そしておそらく社会全体にとっても、労働市場の硬直化が日本経済にとっての諸悪の根源です。いかに流動性を高めてゆくかが最重要課題です。雇用流動化の言論を大きな流れにしなければならない。私はこの考えに全面的に賛成ですし、何か自分に寄与できることがないかと考えてきました。ただ一方で、言論の限界も感じています。

その理由は、硬直化した雇用制度を含め、今の日本社会で起こっている諸問題は、人々が各々の生息する狭い領域に限定された世界観の中でのミクロスコーピックな経済的合理性を追求している結果の総和でしかないと思っているからです。「あなたのやっていることは、こういう理由で間違っているのだ」と指摘することは大変重要なことですが、一方それで朽ち果てつつある既存システム内で局所最適化にしのぎを削っている組織や人を、より広い視野に基づいた全体最適化に導くことができるかというと、なかなか難しい。そもそも我々人間は、自らの世界観の外側にあるものは理解できず、理解できない事象を含む最適化は論理的に不可能です。たとえば、多くの人が世論を雇用規制強化の方向に誘導するのは、別に事態を悪くしようという意図を持っているわけではなく、彼らの世界観に照らした局所最適化を目指している結果に過ぎません。

しかし、私たちには、変化の胎動が聞こえています。自らの知的欲求に突き動かされた、トップ層の若者達のとる自然発生的な行動の集積によって、日本でも、終身雇用の枠組みが崩れているという実感がひしひしとある。トップ層が流動化すれば、好むと好まざるとにかかわらず、全体が流動化に向かいます。

イノベーションの源泉は、つまるところ「個人の」自然な知的欲求であって、抽象化、一般化して議論するほど、その本質から遠ざかってゆくというのが、イノベーションを求められる現場の感覚に近い。イノベーションを起こす汎用的方法論など存在しません。自然な欲求である以上、制度や権威によって育成することなどできないと同時に、制度や権威によって押しとどめられることもまたないのです。

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