「地域主権」の話はどこへ?

前田 拓生

最近は事業の仕分け作業や国会運営等で忙しいのでしょうが、「地域主権」「道州制」についての話が頓挫しているような気がします。この点は国家戦略的に重要な分野であり、しかも長期的な視野で考える必要があることから、少なくとも、広く議論をするくらいの行動は取るべきではないでしょうか。


政府民主党の議論を、マスコミ等を通じて、聞いている限りでは「これ」というようなものが感じられません。

私が思い浮かべる「地域主権」というのは、中央が「これで行く」と決めて行うシステムではなく、地域コミュニティの状態に即して、それぞれの地域コミュニティが独自に必要だと思う対策を行っていくというものです。

そのような中で地域コミュニティがそれぞれ単独で生き抜くためには、地域コミュニティ自身が“域外”交易を積極化させる必要がありますし、そうすることが地域のそれぞれに埋没している資源の有効活用につながるのだと思います。また、その「域外」という場所が「日本国内」である必要はなく、海外でも良いわけであり、地域ブランドを持って「グローバルに戦っていく」ということでも良いと思います。

グローバル化を是認すれば「ローカル」が消滅しまうように感じられるかもしれません。

実際、ローカルなマーケット(証券取引所など)においては「取引ルール」や手数料などのソフトな面がグローバルな競争によって、事実上、「統一される」ことになります。そのような意味ではグローバル・マーケットとして「1つの市場(または寡占的な複数の市場)」になっていくのであれば、国内(ローカル)マーケット自体の存在意義はなくなる可能性があります。

しかし、資金にしてもモノにしても「流れる」ということは、そこに何らかの「差異(違い)」があるからです。 つまり、グローバルなカネやモノを自国(ローカル)に呼び込もうとする時には、ローカルとしての何らかの「(プラスの)差異」が必要なのです。

グローバル・スタンダードというのは、少なくも現時点では、単にアメリカナイズされたものであり、決して「世界の標準」ということではありません。ただ、「ドル」という事実上の世界通貨が、その取引の基準にしているので、「通貨」として「ドル」を認める国(ローカル)にとっては、アメリカナイズされているとはいえ、現状の事実上の「グローバル・スタンダード」を受け入れ、ソフト面での整備をすることが必要になってきます。

しかし「だから」といって、すべてにおいてアメリカナイズされてしまった「ローカル」は、それ自体に魅力はなく、衰退化することになるでしょう。グローバルな流れがあるからこそ、「ローカル」としての魅力(つまり、これが国家的または民族的等のアイデンティティだったりします)を出していかなければ、今後、世界的な経済競争には勝てないことになります。

米国は「世界通貨」を武器に、事実上のグローバル・スタンダードを作り上げ、これを国家戦略としてきました。現在、それが崩れ、厳しい状態になっていますが、米国としては“できれば”、今後もこの路線を突き進みたいと考えていると思われます。しかし一方でユーロが力を付けてきているので、今後は2大通貨の新たな段階に進んでいくのでしょう。とはいえ、いずれにしてもそのような中にあって、各国のアイデンティティは否応なくクローズアップされ、強調されることになると考えています。

以上から、グローバル化が進展すればするほど、「ローカル」の重要性が高まるのであり、「ローカル」としての優位性が資金移動のもっとも大きな要因になってくると思われます。そのため、「経済」という意味で「カネだけの動き」「収益性」だけを考えるのではなく、「ローカル(つまり、各国・各地域)」そのものを正面から考察することが必要になってきているのではないでしょうか。

このようにグローバル経済においても対等に戦えるだけのブランド力を持った地域を育てるには、現在の日本の中央集権体制を潰すことが何よりも必要になってきます。なぜなら、中央集権的な体制の下では、そこで制定される政策のほとんどが、国民全体の最大公約数的なものになるため、それぞれの地域で本当に必要とされる法律や税制にならないからであり、一方で、不必要な制約が課せられるといった問題が起こってしまうからです。

「その地」で必要な法律等は、「その地」だけで適用すればいいのであり、財政的な手当てにおいても「その地」で工夫すればいいのです。このような絶対的な権限を「道」「州」といった地域に持たせ、それぞれ独自に運営をしていってこそ「地域主権」になるわけです。

このように「道」「州」といった地域は、現在ある「都道府県をまとめた連合体」というようなイメージではなく、ある一定の面積と人口を持ち、地域性を活かせる行政単位にすることが何よりも重要になってきます。 つまり、「道州制にする」ということは、現状の「金太郎飴的な制度(どの地域でも同じ制度)」ではなく、「道」「州」が独自の制度を、その地域に合わせて作り上げるということなのです。ですから、「日本」という国は「金融制度」「安全保障」「外交」などと言ったものに注力するだけでよく、金融政策を除く経済政策についての多くの部分を「道」「州」が独自に行うようになるということなのです。そういう意味で「道」「州」は、完全に自主独立でなければならず、当該地域の発展は、「道」「州」がそれぞれ責任を持って担っていくことになるのです。

ここで「道」「州」を中心とする制度の方が、中央集権よりも優れているのは、制度そのものの制定を実行主体である「道」「州」といった地域に委ねているからといえます。自分たちの必要に応じて、いろいろな施策を行えるわけですから、速効性もあり、効率も高いわけです。

そうはいっても、自主独立となるとそれだけ厳しいわけであり、地域そのものがグローバル社会のプレイヤーとして戦っていかなければならないことになります。つまり、ある意味では「地域国家」「道州制」の方が、箸の上げ下ろしまで中央で決めている現行制度よりも厳しいともいえるわけですから、地域経済の発展という部分についての考え方をしっかり示してほしいと思います。