「吉田ドクトリン」の呪縛 - 池田信夫

2009年12月15日 00:08

沖縄の基地問題をめぐる鳩山内閣の迷走をみていると、矛盾だらけの日本の国防政策の実態をあらためて見せつけられ、うんざりします。この背景には、鳩山氏の祖父もからんだ複雑な戦後史があります。


戦後、最初の総選挙で自由党が第一党になり、その党首だった鳩山一郎が首相になることは確実と思われていましたが、GHQは鳩山を(些細な理由で)公職から追放し、吉田茂が首相になりました。このとき「右派」の鳩山が首相になっていれば、平和憲法も安保条約もなかったかもしれないが、戦前から親米派だった吉田は、GHQの意向にそって軍を解体し、軍備を放棄する憲法をつくりました。

ここまではよかったのですが、朝鮮戦争以後、冷戦が本格化すると、アメリカの対日政策は180度変わり、日本に再軍備を要求してきました。しかし吉田は憲法を盾にとって再軍備を拒否し、その妥協の結果としてできたのが安保条約でした。アメリカは日本を冷戦の橋頭堡として使いたいが、日本が再軍備を拒否したため、やむなくアメリカがその軍備を肩代わりして日本が基地を提供する変則的な軍事同盟をむすんだわけです。

この「吉田ドクトリン」には批判も多く、のちに鳩山一郎は再軍備をとなえましたが、安保体制ができてからではもう遅かった。結果的には、この吉田のいかにも日本的な機会主義によって、日本はアメリカの軍事力にただ乗りし、高度成長を遂げたわけです。たしかにそのコストを押しつけられた沖縄県民は不満でしょうが、基地がいやなら引っ越せばいいだけのことです。地元の市長選挙で安全保障政策を決めるなんて、本末転倒もはなはだしい。

吉田ドクトリンについては、これまでもっぱら軍事費を節約する「軽武装」路線として論じられてきましたが、最近になって当時の公文書からいろいろなことがわかってきました。中でも驚くのは、マッカーサーが吉田に対して服部卓四郎を参謀総長として日本軍を本格的に再建するよう求めていたことです。ノモンハン事件やガダルカナルで日本軍を壊滅させた史上最悪の愚将が「新日本軍」のトップになっていたら、今ごろ日本はどうなっていたかわからない。吉田が激怒したのは当然です。

つまり吉田ドクトリンは、日本が軍と完全に手を切るための「冷却期間」を置く政策でもあったわけです。今では想像できないでしょうが、戦後しばらくは軍関係者の力は強く、服部は「旧軍復活案」なるものを書き、吉田を暗殺して鳩山を首相にするクーデタの計画まで立てました。吉田自身は日本が本当に独立したら自前の軍備が必要だと考えていましたが、服部のような陸軍の亡霊が生きているうちは許さない、という彼の判断は正しかったといえるでしょう。

しかし幸か不幸か、その暫定的な妥協が60年以上も続いてしまいました。これは吉田も鳩山一郎も望んだ結果ではなく、本来は日本が「自衛軍」をもって外国の基地を撤去するのが当然です。しかしそれには憲法を改正して、吉田ドクトリンにもとづく曖昧な日米関係を清算するグランドデザインが必要です。それもなしに、連立政権のお家の事情で国防政策を考える鳩山首相には、祖父もあきれているでしょう。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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