団塊の世代は逃げ切れるか - 池田信夫

2010年01月20日 12:27

きのう週刊東洋経済の企画でホリエモンと対談したとき、彼が「団塊の世代は自分が死ぬまで国債バブルはもつと思っているんだろうけど、みんな長生きするからそれは錯覚だ」といっていた。団塊の世代(62歳前後)の平均余命はあと23年(男性20年、女性26年)だが、彼らは高い年金と手厚い老人福祉の恩恵を受けて逃げ切れるだろうか?


IMFの予測によれば、このままいくと日本の政府債務は2014年にはGDPの234%になり、個人金融資産をほとんど食いつぶす。「国債は1000兆円まで大丈夫」といっている榊原英資氏でさえ、国内で消化できなくなると危ないといっているので、実はタイムリミットはそう遠くない。破綻を防ぐにはプライマリーバランスの赤字を少なくとも半減させる必要があるが、民主党はマニフェストで「民主党政権の間は消費税を上げない」と約束している。

つまり民主党政権が続くと、ほとんど増税しないまま2014年を迎えることになるわけだ。これはかなり危険である。政府債務がファイナンスできなくなると、日銀が引き受けてインフレが起こり、債券相場が崩れて円安になり、それによってさらにインフレになる・・・というスパイラルに入るおそれがある。

さらに大きな問題は、受益と負担のバランスの不公平がきわめて大きくなることだ。図のように、60代の生涯の受益-負担は5700万円の受益超過だが、20代は1300万円の負担超過と、7000万円もの差がついている(経済財政白書)。しかしこの大きな不公平を、ほとんどの人が実感していない。負担が増税という形で目に見えないで、国債という間接的な形で増えるからだ。これを財政錯覚とよぶ。


こうした世代間の負担の差は、その裏づけとなる資産があれば問題ではない。現在世代が一人あたり7000万円以上の公共インフラを将来世代に残すなら、この負担の差は正当化される。しかし社会保険は現在世代が消費してしまい、税負担の大部分も経常経費をまかなう赤字国債で、建設国債によってインフラとして残るのも無駄なハコモノだ。公共投資で重要なのは、その規模ではなく投資の価値なのである。

今週の月曜の日経新聞の「経済教室」に、大竹文雄氏の行動財政学の紹介が出ている。これは国民を合理的主体と考えないで、見えにくい負担を負担と感じない心理を計算に入れて制度設計を考えるものだ。国債はいずれ税で償還するしかないので、納税者が合理的なら、鳩山内閣が44兆円の国債を発行するとき、将来の増税を織り込んで貯蓄を増やすはずだ(中立命題)。しかし現実には、そういうことは起こらない。国民も政治家も財政錯覚に陥っているときは、将来世代にツケを回すバラマキ福祉は合理的なのだ。

しかしそれは問題を永遠に先送りできる場合の話だ。最初にのべたように日本政府のバランスシートから考えると、国債を国内で消化できなくなる事態は、早ければあと5年ぐらいで来るだろう。ハイパーインフレにはならないとしても、70年代に起こったような年率20%以上のインフレが数年にわたって続くぐらいのことは十分考えられる。それによって最大の打撃を受けるのは、年金や金融資産の実質額が激減する団塊の世代だが、これによって世代間の不公平は「解決」するだろう。団塊の世代は、逃げ切れないのである。

追記:正確な「平均余命」に修正した。

池田 信夫
アゴラ研究所所長 青山学院大学非常勤講師 学術博士(慶應義塾大学)

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