農業の未来《その2》 -樋口耕太郎

2010年01月25日 05:59

「世界を豊かにするのは、大量生産ではなくて、大衆による生産である」
マハトマ・ガンジー

資本主義以前の日本では、農業が地政学、政治・経済学、社会学的に極めて大きな影響を有していたため、当時の経済学者でも、政治家でも、事業家でも、農業という産業の現場と本質と性質を良く理解していました。日本の代表的な度量衡の各単位がお米を基準に発展してきたことはとても象徴的です。


度量衡
面積の単位である1反(≒10アール)=300坪は、(太閤検地の時代の農業生産水準で)大人一人の1年分の食糧、すなわち1石を生産する田んぼに相当する面積です。1石は、一人1食1合(180cc)のお米を食するとして、1日3食×365日=1,095合≒1,000合(=100升=10斗=1 石)=180リットル=2.5俵≒150kg、のお米の生産量を示します。幕末のインフレ期までは、1石のお米がおよそ1両で取引されていましたので、江戸時代の通貨は「お米本位制度」であるとも言え、お米が通貨として通用していたことは自然なことだったのでしょう。ちなみに、1升瓶は1.8リットル、1斗樽は18リットル、1俵は4斗、10反=3,000坪=1町(≒1ヘクタール)です。現在の農業技術では、1反あたり8~10俵、すなわち、1俵=60kgとして、 480kg~600kgのお米を収穫することが標準的に可能ですので、16世紀の安土桃山時代から400年かけて、単位あたりの農業(お米)生産は約3~4倍になったと推測できます。

度量衡に示されているように、米俵2.5俵が一人1年分の食糧だとすると、私の出身地岩手県南部藩10万石(後に20万石)は、毎年25万俵のお米を収穫し、10万人の人口を養うことができる行政単位ということになります。石高数は人口の単位であると同時に、大名が養える家来の人数(家族を含む)すなわち軍事力の単位でもありました。現代の日本でも100万人都市は大都会ですが、幕末日本の人口が3,000万人といわれる中、江戸幕府時代の外様大名最大の加賀(金沢)100万石、第二位の薩摩90万石、あるいは豊臣家の5大老時代にピークを迎えた会津上杉家の120万石がいかに大きな藩であったかが想像できます。このように、資本主義以前の日本社会は、稲作農業を社会の基本として、政治、経済、金融、軍事、社会の一切が一体となっていました。江戸時代の「士農工商」とは、単なる身分制度ではなく、農業および自然の生態系と一体化した日本社会構造の根源的な理念でもあったと思います*(1)

「農業」の生産性

日本の農村が機械・農薬・化学肥料で「近代化」する前、1960年頃までの農業は、生態系とバランスの取れた循環的な農業が中心でした。当時の栽培方式では、ひとりが1反耕作するために要していた時間は173時間*(2)。年間1,000時間労働を前提とすると、単純計算では6反弱が耕作可能ということになりますが、機械や薬品を使わない生身の労働であることを勘案すると、現実には3反~5反程度が限度でしょうか。1食1合、1日3食、1年365日に食するお米を約1,000合とすると、1反あたり7俵(≒2,800合)のお米が生産されれば2.8人分の食糧になり、4反では11.2人を養うことができます。すなわち、大型機械・大量の農薬・化学肥料へ依存せず、食糧輸入もそれ程なされていなかったこの時代、大掴みに、4反耕作する農家の働き手一人で11人強の人口を支える姿が、持続的な社会の生産・消費バランスでした*(3)。・・・仮に、太陽エネルギーを食物に転換する産業を「農業」と呼ぶ場合、これが恐らく「農業」の生産性によって立つ社会構造の基本イメージであるともいえるでしょう。

「食糧生産業」
1960年以降、日本は高度経済成長期に向かい、当時の豊富な農村の労働力を、第二次・第三次産業へ充当する必要が生じます。そのために、石油エネルギーを大量に消費することによって、・・・すなわち、農業を機械化・化学化・工業化することで・・・ 農民の労働時間を短縮し、一人あたり耕作面積を飛躍的に高め、少数の農民が大量生産を行う「近代的」な農業へと変化してきた訳です。大型機械・農薬・化学肥料に依拠した現代の慣行農業(稲作)は、一人が1反耕作するための年間労働時間が、2000年には僅か34時間*(2) にまで短縮、1960年の水準と比較すると5分の1の労働時間、可能耕作面積は5倍になりました。上記と同様に年間1,000時間労働を前提とすると、おおよそ30反(3ha)耕作できる計算です。1反あたり収量を9俵(≒3,600合)とすると3.6人の人口が養えます。すなわち、一人が30反(3ヘクタール)を耕作できる慣行稲作では、単純計算で農家一人あたり108人の人口を支えることが可能で、現代社会の就農人口も大掴みにそのような比率になっています*(3)。以後、日本の農業は石油(とそれを購入するための外貨)なしには成立たなくなり、太陽エネルギーを食物に転換する「農業」は、石油エネルギーを食物に転換する、いわば「食糧生産業」へと急速に変質して行きますが、その見返りとして飛躍的な「生産性」を手にしました。1961年に成立した農業基本法で意図された通り、これによって農村で不要になった次男・三男以下の労働人口が大量に都市部へ移住し、日本の高度成長を支え、都市集中が進み、現代社会の基本構造が作られました。

資本主義の「発展」と歩みを共にした、「農業の工業化」の本質は、自然と社会の中でバランスしていた日本の農業を、生態系から切り取り、工業的なフレームワークで再構築する作業だったといえるでしょう。農業は自然の生態系のみならず、その他の社会から切り離され*(4)、国民の殆どにとって社会における農業の意味を知る必要性が消滅してしまいました。現代社会では、農業がどのような産業であり、どのような性質を持つものかをそれ程理解しなくとも、農業従事者または直接の関係者でない限り生活に支障が生じる人は殆どいないと思います。

ここでどうしても気になる問題は、石油エネルギーに依拠し、薬品付けで、環境を痛め続けている現代の工業的な慣行農業が持続可能かどうか、そしてその農業生産方式に完全に依拠している我々の社会に死角はないのかという点です。あくまで仮定の話ですが、サブプライムの次の“Black Swan”が、現在の農業生産方式に持続性がないことであったとしたら、そして、その限界がそれ程遠くではないとしたら、あるいは、例えば、遠からず世界の基軸通貨であるドルの価値が大きく崩れること、などをきっかけとして、食糧自給を前提とした地域ブロック経済が世界中で著しく重要性を高めるとしたら・・・。我々にとって、農業と農業生産の本質、そしてその性質が社会に与える影響を深く理解する必要が急速に生じることにはならないでしょうか。そのような社会環境の変化が生じた場合、・・・沖縄で言えば、沖縄振興特別措置法、本土からの補助金、基地問題、本土観光客を中心とした観光収入・・・など、現在多くの人が熱中している議論の大半は殆ど意味を失い、食糧や物資などの基本的な資源を確保することが何よりも重要にならないでしょうか。現代農業の生産方式を支える社会・経済の前提が大きく変化すれば、1960年以降加速してきた、上記のような「農業の工業化」のプロセスが「逆転」せざるを得ません。現在の農業生産量を維持するためには、これも単純計算で、農民一人に対して10人の援農者が必要となり、必然的に第二次、第三次産業から労働力が提供される以外の選択肢は存在せず、・・・すなわち、農業とその他の産業が今までとは異なった価値観で「融合」するという社会変容が、急激に生じるかも知れません。

キューバ!
・・・こんなシナリオは到底ありえないことだと感じられるかも知れませんが、似た事例は歴史に溢れています。例えば、誰が1989年のベルリンの壁、そしてソ連崩壊を想像したでしょうか。あたかも、現在の沖縄が日本財政の健全さを信じているほどの感覚で、或いは日本経済が、グローバル金融経済の継続を前提としている感覚で、当時の世界中の社会主義国はソ連の存続と発展を信じていたに違いありません。沖縄と地政学的にも、風土的にも、経済的にも類似点の多いキューバは、1980年代まではそのような典型的な国家のひとつでした。理想国家建設を目指す清廉な指導者と役人からなる革命政府(キューバの刑法では、同じ犯罪を犯しても、役人などの公僕には2倍の罪が課せられるそうです)。保育園から大学までの無料の教育、虫歯の治療から心臓移植まで一銭もかからない福祉制度。カストロは発展途上国の中では飛びぬけた高度福祉国家、平等社会を築き上げたといえるでしょう。

しかしながら、当時のキューバ経済の実態は自立からは程遠く、アメリカの喉元に存在するという、冷戦時代の地政学的優位性を梃子に、共産圏と極めて有利な貿易関係を取り結び、莫大な海外援助を受け続けることができたという裏事情があります(沖縄とよく似ていませんか?)。ソ連は政治的な思惑もあってキューバ産の砂糖を世界価格の5倍以上の価格で購入し、石油も廉価で提供し続けました。外貨獲得用に再輸出できたほどの優遇価格です。キューバはどの発展途上国と比べても格段に有利な貿易協定が結ばれていたため、石鹸、トイレットペーパーといった日常生活物資から、石油、農業機械、自動車、テレビなどの電化製品に至るまで殆ど全てを海外から輸入していました。そしてその輸入元の84%はソ連でした。木材98%、各種原材料86%、機械類80%、化学製品 57%、食糧も総カロリーベースで57%(自給率43%)、脂肪・タンパクでは80%以上、豆類99%、食用油・ラード94%、穀類79%を海外(主にソ連)に頼っていました。「物資に不足があれば、ソ連に電報を一本打ちさえすれば、問題は直ぐに解決した」という状態であったようです。

キューバは基本的に農業国なのですが、社会主義経済圏で砂糖やタバコなどの換金作物を生産する役割を果すために、輸出向けの、まるでプランテーションのような単一栽培・大規模農園形態を採用していました。国営農場の平均規模は、畜産25,000ヘクタール、サトウキビ13,000ヘクタール、柑橘類 10,000ヘクタール、一般作物4,000ヘクタールというように、日本はもちろん、世界的にも想像を絶する規模で運用されていました。資本主義圏と比較しても当時の世界の先端を行くこれほどの大規模農業は、大型機械と大量の化学肥料・農薬なしには成立ちません。しかしながら、この「近代農業」を支える農業資材もことごとく輸入に頼っていました。農薬98%、化学肥料94%、家畜飼料97%をはじめ、種子からトラクターとその燃料に至るまでソ連圏が供給していました。産出された農産物の大半を受け入れていたのもやはり社会主義圏で、コントロールされた価格で大量の「出口」が保証されていたのです。 1989年には牧草地を除く農地の60%にサトウキビが作付けされ、砂糖とその加工品が外貨収入の75%を占めていました。

キューバの指導者の凄いところは、これだけの富を目の前にしながら、私利私欲に依って生きなかったところで、以上のような経済的な繁栄を享受しながら、その利益を平等に遍く国民に還元し、格差を作らなかったことでしょう。食糧、衣料、生活必需品は誰もが常に廉価で入手でき、教育も医療も世界的に高度でありながら基本的に無料でした。国際的に貢献する強い意識を持つリーダーシップによって、人口1,100万人に過ぎないキューバは国際舞台でも世界的に活躍します。一流の医療制度を運営し、常時2,000人もの医師がアフリカを初めとする国々で活動し、一時期はキューバ一国でWHOを上回る数の技術者や医師を派遣していました。

そのキューバが! 1989年のベルリンの壁、次いでソ連の崩壊を経験することになります*(5)。輸入額は80%減少し、農業生産を支えていた農薬や化学肥料の生産資材が失われたことで砂糖生産が激減し、その輸出量が80%以上下落したうえに、ソ連の買い支えを失った砂糖価格は暴落し、外貨獲得の75%をサトウキビの輸出に頼ってきたキューバは、外貨を全く獲得することができなくなります。国内経済は 1991年に25%、1992年に14%低下、1989年をピークに、1993年までにGDPは実に48%縮小し、僅か3年足らずのうちに経済規模が半分になります(現実の実体経済の落ち込みは60%以上だったのではないかという推定もあります)。外貨不足でエネルギーが輸入できなくなり、動力不足で 80%の工場が閉鎖され、失業率は40%に及びました。1日の半分以上は停電していました。しかし、それにも増して最も深刻だったのが食糧不足で、 1991年の必要量に対して、米はゼロ、豆は50%、植物油は16%、ラード7%、コンデンスミルク11%、バター47%、缶詰肉18%、粉ミルク22%しか確保できない状態でした。食糧輸入が半減したと同時に、食糧生産に欠かせない農薬、化学肥料、トラクター燃料などの生産資材の大半を失ったため、あれほど近代的かつ大規模な既存農地が全く機能せず、1994年までに農業生産は45%落ち込みます。冷蔵貯蔵、配送などの流通システムもその殆どを石油に依存していたため、人口の80%が居住していた都市部では交通輸送手段が麻痺し、都市へ食糧を輸送したくてもその手段がなくなります。農村でいくらか残っていた収穫物も、消費者に届く前に畑で腐ったのです。国民のカロリー摂取量は40%落ち込み、国民全体の平均で9キロ体重が減少し、深刻な医療、健康、衛生上の問題が蔓延します。

次世代社会の青写真
・・・以上は、これからの社会がこうなると占っているわけでも、この予測が正しいとも、まして日本がキューバになるという意味でもありません。私が個人的に、このような社会の変化を将来の変数の一つとして捉えているということに過ぎません。この予想が実現するかどうかということもさることながら、より重要な点は、このような社会変動が仮に生じた場合、我々に何ができるかということでしょう。その実現性は別にして、少なくとも我々の社会は、外貨または石油エネルギーがなければ、食糧の60%(輸入分)と、農業生産の90%を失う可能性があるということです。この事態においては、農業の労働力が恐らく90%不足するため、その他の産業から充当しなければなりません。・・・なにも手を打たなければ、例えば工場や会社を閉鎖して労働者が農業をする必要が生じ、労働力の大半が農業に従事するそれこそ現在のキューバのような農業国になり、やがて超低物価社会として安定するでしょう。しかし、この場合、内向きの生活は「豊かさ」を回復するかも知れませんが、国内労働で貯めたお金で海外旅行、などということは夢のまた夢となり、現代の国際社会からは完全に切り離されることになります。これを防ぐためのひとつの選択肢は、(i)第二次・第三次産業の生産性を飛躍的に高め、(ii)その剰余利益を、特に「時間的な」労働分配に充当し、(iii)第二次産業・第三次産業に従事しながら、負担と抵抗なく援農ができる労働環境を生み出し、(iv)その剰余利益を配当として収奪しない、新たな価値観を持つ資本が整備されること、となるでしょう。結果として、次世代社会に生じるかも知れない農業生産の質的変容は、我々の社会において根源的なパラダイムシフト*(6) を要求する可能性があるのです。

*『農業の未来』を合わせてご参照下さい。

*(1) 「士農工商」は江戸時代の身分制度として知られていますが、この制度の本質は、人間と社会と自然を持続的にバランスするための社会設計にあったのではないかと思うときがあります。お金を追わずに道と倫理の精神によって社会の舵取りを行う武士、持続可能な農業を支える農民、ものづくりの職人、流通と金融を司る商人。これは私の仮説に過ぎませんが、江戸時代が長期間に亘って社会を安定的に維持することができたのは、自然の生態系と人間社会を一致させる構造(すなわち「士農工商」)にあったのではないかと思います。これに対して、現代社会は、金融-製造業-農業-倫理、の順に優先されているように見えます。我々が100年近く追求してきた資本主義社会は、ちょうど「士農工商」と反対の社会的価値観によって運営されているように思えるのは、私だけでしょうか。

*(2) 大野和興著『日本の農業を考える』2004年、岩波ジュニア新書49p。

*(3) 日本の農業就業人口は、1960年の1,312万人(対人口比で30%)から2000年に299万人(同じく5%)に激減しています。農林水産省の定義では、農業就業人口とは農業に従事した「世帯員」の数を言いますので、実際の耕作者(お父さん?)と非生産者の比率は、ここでの計算、それぞれ1:11、1:108におおよそ一致すると考えて差し支えないと思います。

*(4) 「農業の工業化」の本質は、自然の中でバランスしていた日本の農業を生態系から切り取り、工業的なフレームワークで再構築する作業であり、(i)自然の生態系、土壌の豊かさ、農産物の安全とおいしさを経済的な生産性と引き換え、(ii)日本の農業の経済生産性の飛躍的な向上から生まれる富を、重化学工業を中心とする国内の経済成長と、食糧輸入を通じて海外生産者と穀物メジャーに移転する、という二つの重大な効果を生み出すことになります。単純に表現すると、世界的にも稀な豊かさを持つ日本の農業資源を、重化学工業とアメリカに移転する壮大な構造変革が農業基本法の本質だったのだと思います。

*(5) 舵取りを誤れば大量の餓死者を出しかねない危機的状況の中で、ハバナ市民が選択したのは、「首都を耕す」という非常手段でした。そして飢死者も出さずにハバナは完全有機での野菜自給を達成しました。なぜ、わずか10年という短期間でこれほどの変革を成し遂げることができたのか。 続きはぜひ、吉田太郎著『200万都市が有機野菜で自給できるわけ』-都市農業大国キューバ・リポート-などを参照下さい。本稿のキューバに関するデータは本書を参照しています。吉田太郎さんのその他の著作も魅力的なものが多くお勧めです。キューバにとってのソ連は、沖縄にとっての日本の姿に重なりますが、同時に、日本にとってのアメリカという二重構造になっています。過去 60年以上に亘ってアメリカが牽引してきたドルを基軸通貨とするグローバル経済の傘が仮に消失した場合、我々の社会に、世界経済に、一体何が起こり得るのか、そして、沖縄と日本の将来の舵取りに関して有意義なインスピレーションを得ることができるのではないかと思います。

*(6) 仮に、このような社会の構造変化が生じた場合、社会における、生産性、労働、金融の3つ分野にパラダイムシフトが生じる可能性があります。そのイメージを掴むことが次世代社会を描き、有益な戦略を構築するための合理的なプロセスになるかも知れません。その詳細は本稿の範囲を超えますので、別の稿にてまとめたいと思います。

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