ベンチャービジネスの現場からみた、シリコンバレーと日本の違い-直野典彦

直野 典彦

以前、「雇用の流動化はトップ層から始まっている」という投稿をさせていただきました。大手企業のトップ層の技術者が、私の勤めるような小さな会社に入社してくる状況を目の当たりにして、イノベーションを主導すべきトップ層の人材流動化という構造変化の予兆ではないか、というお話しをさせていただきました。随分と時間が経ってしまいましたが、この投稿に対する知人から、あるいはコメント欄で頂いたフィードバックに答える形で、私が言いたかったことをもう少し掘り下げてみたいと思います。


頂いたフィードバックの多くは「あなたの勤める小さな会社にトップ層の若者が集まっているというが、たとえそうであってもそれは特殊な事例に過ぎず、とても日本社会の構造的変化の予兆とはいえないのでは」というものでした。この疑問は二つに分解できます。第一は、私たちの会社で見ているトップ層の流動化が特殊事情なのか、それとも一般的傾向なのかという点、そして第二が、私たちが会社で見ていることは構造的変化の予兆なのか否かという点です。私の考えは、第一の点については「たぶん特殊事情と思う」、そして第二の点についてはやはり「構造変化の予兆だろう」というものです。

まず、第一の点ですが、私はベンチャー企業に勤める、いち実務家なので、私たちの見ていることが日本全体の一般的傾向であるかを確かめることができません。多くの方からこのようなフィードバックを頂くということは、私たちの会社に特殊な事情と考えるべきなのでしょう。ただ私の主張は、第一の点の答えにかかわらず、第二の点、つまり私たちの会社で見ているトップ層の流動化は、やはり日本のベンチャービジネスにおける構造変化の予兆だ、というものなのです。このことを、シリコンバレーと日本のベンチャー企業の比較を使って考えてみたいと思います。

日米双方で働いた経験に照らすと、人材という観点で見た場合、シリコンバレーと日本が同じ点と異なる点があると感じています。同じ点は人材の質の分布、異なる点は人材の流動性です。

私は10年ほどシリコンバレーのベンチャー企業(在職中に上場)に勤め、また日本法人の責任者も兼務しておりました。日本では、どうもシリコンバレーという言葉がブランド化している節があり、「シリコンバレーにいるのは皆優秀な人ばかり」という感覚を持っている人が多いように感じます。「○○大学出身なんですか、すごい!」みたいなものでしょうか。

しかし、私が勤めていた会社の従業員や日米両方での採用面接、日米の取引先の技術者を比較してみれば「シリコンバレーの人は皆優秀」という考えには違和感を覚えます。「どちらにも、優秀な人も、そうでない人もいる」というのが本当のところではないでしょうか。たとえば日本とシリコンバレーが45人の村だったとして、色の濃さで何らかの能力を表すと図1のようになります。fig1-1優秀な人は少なく、そうでない人が多いという分布になっているのは、世界中どこでも大差はない。この感覚は、いわゆる外資系に勤めたことのある方ならおわかり頂けると思います。「うちの○○人社員は皆優秀、日本人社員は皆そうでもない」というような話しは、あまり聞いたことがありません。

一方でシリコンバレーと日本で決定的に異なるのは人材の流動性です。シリコンバレーでは、日本に比べると人々はかなり頻繁に会社を移ります。かの地では、「この会社も5年だからそろそろ転職しないと、経歴書に箔が付かないよ」みたいな言葉を時々耳にします。この人材流動性が、シリコンバレーのベンチャー企業の強みであることは間違いありません。しかし、図1に示すように人材の分布に大差がないのであれば、流動性が高いだけでは、日米のベンチャー企業のパフォーマンスの圧倒的な差は説明がつきません。私には、ベンチャー企業のパフォーマンスを決めている、もう一つ別の違いがあるように思えるのです。

日本のベンチャー企業では一般に、創業者が必ず社長となり、様々な局面で個人保証に応じることで家族の人生までも会社の成否に賭けることになります。そして流動性が低いために、チームのメンバーは、創業者とたまたま関わり合いのある人に限定されます。ちょうど図2のような状況です。創業者は、たとえばどんなに優れた技術者であっても、経営者として必ずしも色が濃いとは限りません。また創業者とたまたまfig2-1関わり合いのある人たちも色の濃い人とは限りません。つまり数少ない色の濃い人が様々なベンチャー企業に分散する構造になっています。日本のベンチャーキャピタルでは総じて、少額を数多くのベンチャー企業に投資してリスク分散を図る傾向が顕著であることも、この構造を支えています。良くも悪くも、日本のベンチャー企業のレベルは均一なのです。

一方シリコンバレーでは、創業者が必ず社長になるとは限りません。創業者も適材適所で得意分野を担当する、チームメンバーのひとりという考え方が普通です。「これ!」という創業間もない会社には、ベンチャーキャピタルが経営者として一流の実績のある人を連れてきて社長とする場合が多い。Googleも、そして私が以前勤めていた会社もスタンフォード大学の学生/教員が創業者ですが、創業まもなく(おそらく億円単位の報酬を得ていたであろう)大企業で実績のあるトップマネジメントをスカウトして社長に据えて、ここからチーム作りがスタートしました。このようなことは日本では起こりません。あくまで、手を挙げた人が社長です。

シリコンバレーにおいても、全体の人材の質の分布は日本と大差ないので、大半のベンチャー企業は日本のそれと変わりありません。私は、今の会社を始める前に、一年ほどシリコンバレーの大手ベンチャーキャピタルに居候していた時期がありますが、今だから白状しますが、投資案件として上がってきた企業の中に「すごい」とうならせるものは皆無でした。しかし、シリコンバレーでは図3のC社のように、「ごくまれに」色の濃い人が凝縮した、トップ層が集うベンチャー企業が生まれることがあります。図2と図3で、色ごとの丸の数は同じであることに注意してください。fig3-1こういう限られたベンチャー企業にはトップクラスのベンチャーキャピタルが多額の投資をし、さらにその中で幸運を手にした「ごく一部が」世界のゲームのルールを変えてしまうような「すごい」企業となるわけです。これを支えるのが人材の流動性であることは間違いありませんが、流動性に加えて大きな不均一性がシリコンバレーの特徴であると感じます。

このことが、日米のベンチャー企業のパフォーマンスを決める大きな原因なのではないか、と私は思っているわけです。実のところ、世界中から秀才を引きつける教育を有する米国の方が優秀者の比率は高いと思いますし、ベンチャー企業に流れ込む資金の絶対量も日本よりはるかに大きいという点で、人材の質に関する分布や平均が同じというのは言い過ぎなのもよくわかっています。しかし、日米のベンチャー企業のパフォーマンスの圧倒的な差は、優秀者や資金の絶対量だけでは説明が付かないのも事実でしょう。これまでの日本のベンチャー企業のありかたが変わらずに、起業の数だけが増えても大きな状況の変化はないと思うのです。

さて、冒頭の議論にもどりましょう。第一の点、すなわち私たちにトップ層の技術者が流動化しているように見えることが、日本で一般化できるかという問題ですが、おそらく答えは「ノー」でしょう。しかし、一流企業の優秀者が特定のベンチャー企業に集積するという「特殊な」状況が、図3のような技術革新駆動型のベンチャー企業が生まれるための必要条件のひとつであるとするならば、私たちの会社で見ていることは、特殊であからこそ、日本における構造的変革の予兆だといえると考えます。

最後に、冒頭でトップ層の流動化は一般的傾向かという第一の点について「明確なノー」ではなく、「たぶん特殊事情と思う」と、いまひとつ歯切れが悪かった理由を説明させてください。前回投稿させていただいてからこれまでの間でも、やはり若い世代のトップ層は変わってきているのでは、と感じさせるできごとが時々起きているからです。たとえば私たちの会社では、今の所人材を募集しておらず、ひとつのサービスを除いてビジネスについてはほとんど公表していません。にもかかわらず、2人の若者から「技術とビジネスモデルについて将来性を感じるので入社したい」という飛び込みのコンタクトをいただきました。二人とも高い学位を持ち、トップのIT企業に勤めているおそらくエース級です。うち1人は、海外のビジネススクールに私費で通っており、おそらく一千万円以上はかけているのではないいでしょうか。私たちの会社のことはさておき、彼らのキャリア形成についての明確なビジョンと真剣さを、私が若い頃とひき比べると、心から恥ずかしく思います。

というわけで、こういう経験が重なると、あくまで主観なのですが「そうは言っても若い世代では何かが変わりつつあるという期待くらいは持ってよいのでは?」と感じることもあり、これが第一の点について、冒頭でお茶を濁した理由であります。