選択的夫婦別姓の未来 ―中川信博

2010年03月09日 11:31

選択的夫婦別姓法案を含む民法の改正法案の概要が法務省から提案されたという報道や議員のブログなどで取り上げられ、行き着くところ戸籍制度の廃止に向けた議論が始まろうとしているわけなのだが、私は当然この法案に反対の立場である。


先般日本女性の会主催の選択的夫婦別姓法案へ反対についての竹田恒泰氏の勉強会へ出席した。冒頭、会の副会長である自民党の現職、前職の各女性議員からの報告があった。高市議員からの報告では、閣法で提案された場合は党議拘束により、衆参両院で4日間程度の審議で通過する可能性が高いが、現在亀井大臣が反対の立場であるので閣法での提案は困難なようだ。よって議員立法になるが議員立法でも党内の議論状況などを考えると法案通過の可能性は高い。法案には夫婦別姓に関するものばかりではなく、非嫡出子の相続差別解消なども併せて提案される。これらはまさしく「子供は社会が育てる」という民主党左派の主張を実現させる法案であるといえる。

法案の推進者―主に女性―は結婚と離婚によっておこる変更と子供の親権などの手続きをあげるが、一様に自らの都合を優先して子供の安寧と成長を真剣に考えた議論が欠如しているように思う。なにか子供は自分の所有物で―正確にはとなるが―への所属を根本に考える戸籍制度下では自由な所有権(親権)の移動が困難なために廃止したいというような議論もある。

閣内で推進を主張する福島少子化担当大臣はこのようにいっている。

私は、子供が18歳になったら『家族解散式』というのをやろうと思っていて、それ以降は、パートナーと子供ともスープのさめない距離に住んで、名実共に個人単位で暮らしていきたいなと思っている。家族だって、ひとつの定義にすぎない。家族も個人のネットワークなんだ。

すこし極端な言い方であることを承知ですれば、子供には権利などなくあるのは親の義務だけであるといいたい。子供の権利条約の批准をめぐっての議論でもこの選択的夫婦別姓の議論をめぐっても顔を出す、子供にも各種の自由があるというような主張には私は組しない。親と子の関係がルソー主義的に平等であるなどという議論はフェミニストの責任放棄の自己愛でしかないと思う。

自然界では生まれた子孫を敵から守る最小限ユニットが家族である。特に母親はその子孫の生存のために自らの命を犠牲にすることがある。母親はそれらを学んだわけではなく遺伝情報として持っている。であるから自然界ではほぼ固体差なく同様な行動をとる。

しかし人類文明はこのDNAに記録された本能を捨て去ることが近代的だとして啓蒙してきたのである。選択的夫婦別姓制度の導入や究極戸籍制度の廃止が日本社会に与える影響は計り知れない。中国や韓国の別姓制度はシナ男系主義というの男子継承を前提とした女性を一族と認めない夫婦別姓の伝統であるが、それらを混同している議論も目立つ。

私は日本の戸籍制度というのは家の一員として子孫を残し、よって共同体への貢献をする一種のセレモニー制度として維持されてきたと考えている。そしてその家は子孫を外敵から守る最終ユニットであり、社会に対し夫婦力を合わせて子孫を外敵から守り、共同体の一員に責任もって育てる社会的手続きではないかと思う。

民主党左派のフェミニストやルソー主義者は子供を家族から取り上げ、結婚制度に縛られることなく女性が子供を産めるようにして、生まれた子供は社会が税で育てる仕組みをつくろうとしている。戸籍制度がなくなり家族制度が崩壊した結果―スエーデンの例がある。西川前衆議院議員は一周遅れの制度といっていた―、生存の危機にさらされるのは子供自身だ。

ルソーが主張し実践したような、目を合わせた女性と本能におもむくまま関係を持ち、生まれた子供を次々と捨てる様な社会では人類は絶滅するであろう。なぜなら無条件に守ってくれる家族がないからである。

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