意味のなかった大阪市長選挙は23%台という史上最低の投票率で対抗馬らしき相手がない中、橋下徹氏が再び、市長の座に就くことになりました。橋下氏は投票率が1%でも0.5%でも勝ちは勝ち、という趣旨の発言をしていましたがそれはいかにも弁護士出身らしい論理を振りかざした味気のない橋下色で満ち溢れていると言えましょう。
なぜ、大阪市民がここまでそっぽを向いたか、それに橋下氏も松井氏も答えていません。私は個人的には維新がダメになったとは思っていません。党の方針は論理的であり、一定の支持は得られることは間違いありません。ですが、その顔役となる橋下氏そのものの人気が剥げ落ちた、いや、むしろ、嫌われつつあるということを強く認識しなくてはいけないでしょう。
氏が高い人気をもって大阪で活躍できたのはそれまでと異なる手法で悪を退治していったからであります。勧善懲悪は日本人は大好きでそれを格好よいヒーロー的な目線で捉えていました。日本人は個性を出さないことを一つの美徳とする傾向がありますが、その中で目立ち、かつ、格好良い行動をすればそれは広く受け入れられるものの長くは続かないというのも日本の特徴であります。しかも人気のバロメーターが高くなればなるほど下がるときも激しくなる傾向があり、橋下氏は残念ながらそのパタン通りの展開となってしまったのです。
今回の選挙を見ても有力候補がない中での戦いとなれば彼が真の意味で信任されたかどうかは彼が5割以上の投票率を確保できるかどうかということだったはずです。つまり、半分以下ならば橋下氏不信任という市民の声だったとも言え、橋下氏は大金をかけて市長選に挑んだわけですから投票率が自分への信任だと自分への縛りを当然つけるべきでした。しかし、1%でも当選と言ってしまったところにはもはや唖然とする以外のどんな言葉を帰せばよいのでしょうか?
橋下氏がもしも創立者として維新の会を更に発展させたいのならば橋下氏は現職を降りるべきです。大阪市議会のもめ事も橋下氏不信から来ています。
大阪都構想については悪くはないと思っています。橋下氏の無駄な支出を止め、財政を健全化させるという発想は正しい方向にあります。一方、自民を含めた他の党は橋下氏に同意しないという一種の子供の喧嘩の様相となっています。このままでは今までの敵対関係は何ら変わることはないでしょう。そういう意味では橋下氏が大阪都構想を進めたいのか、橋下徹の存在をアピールしたいのか、という点で間違った選択肢をしているような気がします。私なら早くバトンを次に人に託す準備をするでしょう。
人間の華ある時など時間的には知れています。多分、5年ぐらいでしょう。それまでの努力の成果が一気に開花するのですが、花は咲かせると多大なるエネルギーを使います。咲き乱れる花ほどその命ははかないのです。ましてや異色のやり方で注目を集めた以上、そのカラーが何年も続くかといえばそんなことありません。例えば日産のカルロス・ゴーン氏は稀にみる経営能力を持った人物ですが、最近では正直、その力が大きく衰えてしまいました。自動車業界の中では負け組になりつつあるのは同社がゴーン体制の殻を破れないからであります。なぜ殻を破れないかといえば彼を守る人がいるからです。そして、トップは踊るからなのです。
自分の力量は自分で判断し、力が落ちる前にバトンを渡すことが政党にも企業にも必要です。そういう意味では橋下氏がしがみつくその姿は私には憐れという感すら思えてしまうのです。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年3月24日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。