最近マスコミの人と話すと、よく出てくるのは「新聞がワイドショー化した」という話題だ。森友学園や加計学園は中身のない話で、今週出てきた防衛省の日報も河野太郎氏によるとフェイクニュースだ。ロッキード事件やリクルート事件とは比較にならないが、扱いはそのとき並みである。
さらに不可解なのは、ワイドショーに登場するコメンテーターが極左化することだ。古賀茂明氏は現役のときは、保守的な感じだった。岸井成格氏や金平茂紀氏も会社の幹部だったときは、よくも悪くも常識的なことしか言わない人という印象だっが、フリーになると「アベは危険だ」と主張し始めた。
これは昔の極左暴力主義ではなく、社会党の「非武装中立」のような日本独特のガラパゴス平和主義で、25年ぐらい前に終わったはずだった。それが今ごろよみがえったのは、なぜだろうか。決定的な原因はわからないが、彼らの動機はいくつか考えられる。
第一はマーケティングだ。テレビの主要な視聴者である老人は、ちょっと前までは戦争の記憶があり、特に戦争から生還した世代には「押しつけ憲法」に対する反感が強かったが、そういう世代はいなくなり、団塊の世代が主要な客になった。彼らは子供のころ「平和憲法」の教育を受けたので、ガラパゴス平和主義になじみやすい。
第二は業界のバイアスだ。マスコミに入る学生は超エリートではなく、役所に入れる法学部や銀行に入れる経済学部には、マスコミ志望は少ない(私のころ東大経済学部からNHKに入る学生は、2年に1人ぐらいだった)。多いのは普通の会社に就職できない文学部卒で、法学部エリートに対する左翼的ルサンチマンがある。現場を離れると、正直になるのかもしれない。
第三は社内政治の変化だ。どこの社でも社会部は左翼で、政治部がそれを「抑える」マッチポンプで仕事をしている。NHKでは「原稿を書く記者より抑える記者が出世する」といわれ、その筆頭が海老沢会長だった。この構図は今でも変わらないと思うが、客層が違う。社会ネタは一般大衆(老人や専業主婦)向けで、政治・経済ネタはビジネスマン(公務員や大企業)向けだ。
数字(視聴率)が取れるのは圧倒的に社会ネタだから、視聴率競争が激しくなると社会部の発言力が大きくなる。もともと民放の業績評価は数字しかないが、新聞も部数が落ちてくると政治・経済ネタより社会ネタを大きく扱う文学部バイアスが強まる。おまけにマスコミの就職偏差値が落ちて、下請けのプロダクションには漢字も書けないディレクターが多い。
こんな空騒ぎを続けていると、物事の決まらない国で、ますます決まらない傾向が強まるが、日米同盟があれば何も起こらない。米軍がいる限り中国も北朝鮮も手を出さない――そういうただ乗りの心理がマスコミにあると思う。これは戦後ずっと続いてきた「裏の国体」で、それなりに正しいが、いつまで読者をだまし続けることができるのだろうか。