日韓両国の融和を阻んでいる歴史認識の大きな隔たりは、歴史的事実そのものより、両国間に現存する偏見(色眼鏡)の存在が大きな障害となっている以上、この偏見を無くさずに「歴史共同研究」を進めてもさしたる成果は期待出来ません。
偏見の持つ破壊力のすさまじさは、イスラエル・アラブ紛争、アイルランド紛争などテロの激化を誘発した憎しみの関係にも表れています。平穏な米加関係に比べ、一触即発の緊張が続く米墨関係も、経済問題以上に偏見の存在が緊張の要因となっています。
差別反対を標榜する左翼的傾向に染まっていた高校時代の私自身も、朝鮮人学校との交流会で握手した後で手を洗うなど、恥ずかしい偏見の持ち主でした。もっと恐ろしい事は、私のこの強い偏見が当時の日本では少数派ではなく、寧ろ主流派であった事です。
「偏見」「差別」の卑劣さは、自分が差別されて初めて解るものです。私の場合も、スウエーデンとアメリカで受けた2回の被差別者体験がきっかけで、「こびりついたガム」より取り難い偏見を、やっと引き剥がす事が出来ました。
韓国併合から100年の節目に当たる今年、NHK番組「日本の、これから」で、日韓の若者がお互いの国をどう考えているのか、日韓はどんな関係を築いていくべきかに就いて、両国の若者を招いて語り合わせました。
この番組の中で、大学で歴史を専攻したと言う日本の若者が「韓国併合は、已む無くやったもので、その後は日韓両国民は同じ国民として戦争を戦い抜いた仲間ではないか」と発言すると、「表現の自由」を重んじる発言をする事が多い崔洋一監督が「36年間に亘る植民地支配がそれによって肯定されると言う考え方の人は、基本的に歴史を語る資格がない」と強い口調でその若者を恫喝する発言をして、同席の京都大学準教授に諌められたり、岡本行夫氏から「1910年から45年までの日本の対韓政策の誤りは、反省しなければならない」と、この青年の認識不足を補う場面もありました。
韓国をそれほど意識しない教育を受けた日本の若者が、個々別々の「歴史認識」発言をしたのに対し、「遠交近攻」的な愛国教育(?)の影響を受けたと思われる韓国の若者の発言が、判で押した様に画一的であった事も印象に残りました。然し、この番組を通じて、日韓両国の若者の間の偏見が驚くほど小さい事を知った事は大きな収穫でした。
30年近く前に、友人から「倭乱」と言う本を贈られました。この本は、「文」を重んじる韓国と「武」を重んじる日本を韓国の見方で比較した歴史文化に関する2部作で、私は大いに触発された事を覚えています。
韓国が12年前になって、やっと日本文化の段階的な開放を始めた事でも判る通り、韓国政府は、「倭乱」に示された自国文化への自信を失い、言われなき対日劣等感にさいなまされた時代が永すぎました。日本文化を開放した成果が、韓国の若者が自国文化への誇りを取り戻し、対日偏見を無くすと言う形で結実することを願うや切です。
日韓関係の正常化は、若者を中心として、ファッションや映画、アニメ、ドラマ、小説など様々な分野での文化交流が広まり、週末に気軽にお互いの国を旅行するなど両国民のわだかまりを無くす機会を増やす事が重要だと思います。TVがベルリンの壁を破壊した様に、両国民の交流が日韓の「心の壁」を取り除くと期待するのはナイーブ過ぎるでしょうか?
韓国独立を祝う「光復節」記念式典で演説した李明博大統領は「歴史を忘れず、ともに新しい未来を開こう」と呼び掛け、同時期に東京都内で開かれた「愛国者の集い」を主催した右翼団体一水会の鈴木邦男顧問は「自国を愛することが他国の排斥につながってはならない。そのためにも愛国者が直接交流することが大切だ」と述べました。
日韓両国の対立は、事ある毎に「竹島」問題などを持ち出して両国の対立を煽る「愛国者」と称する人々の態度にも大きく影響されて来ました。これを機会に、日本の「愛国者」と韓国の「愛国者」が直接交流する機会を作って欲しいものです。
歴史認識などをめぐり「きちんと謝罪する必要がある」とか「いつまで謝り続けるのか」という論議が盛んですが、謝罪は相手にその誠意が通じて初めて意味があるもので、「謝罪の必要性」について日本の国民的合意が出来ていない今日、この論議はは凡そナンセンスです。
一方、韓国でもこの問題でコンセンサスが出来ているとも思えません。李大統領は「克服すべき課題はまだ残っている」と述べましたが、具体的な説明はありませんでした。1965年条約に問題があるのであれば、合意した過程を踏まえて、具体的問題を指摘して再交渉を求めるべきで、この条約の意義を黙殺していては日本国民の納得を得るのは難しいでしょう。
この際、歴史をめぐる論争は機が熟すまで棚上げして、韓国の目覚しい経済、技術発展により歴史上初めて日韓両国が対等に協力できる環境と必要が生まれたこの時期に、日韓経済連携協定の締結交渉を本格化させるなど、両国民の交流の機会を更に増やし、未来志向で日韓の距離を縮める努力をする事が、日韓を友好的な近隣国にする近道だと考えます。