安倍晋三首相が、9月28日の臨時国会冒頭にも衆院を解散する方針を固めたと報じられている。国会審議で、森友問題、加計問題で厳しい追及を受けるのが必至であり、民進党に離党者が相次ぐなど混乱が続いている状況で、小池百合子東京都知事の側近らによる新党結成の動きや選挙準備が進まないうちに解散するのが得策と判断したとのことだ。
2014年11月の解散の際にも、ブログ【現時点での衆議院解散は憲法上重大な問題】で、以下のように指摘した。
①憲法45条が衆議院の任期は4年と定め、69条がその例外としての内閣不信任案可決に対抗する衆議院解散を認めているのであるから、解散は69条の場合に限定され、7条の国事行為としての衆議院解散は、単に、解散の手続を定めているだけというのが素直な解釈である。
②1952年の第2回目の衆議院解散が、初めて69条によらず天皇の国事行為を定めた7条によって行われ、解散の違憲性が争われた苫米地訴訟では、最高裁判所は、いわゆる「統治行為論」を採用して、違憲審査を回避した。
③先進諸外国では、内閣に無制約の解散権を認めている国はほとんどなく、日本と同じ議院内閣制のドイツでも、内閣による解散は、議会で不信任案が可決された場合に限られている。法制度上は内閣に自由な解散権が認められているイギリスにおいても、2011年に「議会任期固定法」が成立し、「下院の3分の2以上の多数の賛成」が必要とされ、首相による解散権の行使が制約されている(イギリスで今年4月にメイ首相が行った下院の解散は、首相の判断はほとんど全会一致(賛成522票、反対13票)で承認された。)。
④議院内閣制の下では、「内閣」は「議会(国会)」の信任によって存立しているのであるから、自らの信任の根拠である「議会」を、内閣不信任の意思を表明していないのに解散させるのは、自らの存在基盤を失わせる行為に等しい。
⑤69条の場合以外に、憲法7条に基づく衆議院解散が認められる理由とされたのは、重大な政治的課題が新たに生じた場合や、政府・与党が基本政策を根本的に変更しようとする場合など、民意を問う特別の必要がある場合があり得るということであり、内閣による無制限の解散が認められると解されてきたわけではない。
このような、現行憲法上の内閣の解散権の解釈と従来の運用からすると、安倍首相が、「臨時国会冒頭解散」を行うことは、憲法が内閣に認めている解散権を大きく逸脱したものと言わざるを得ない。
それに加え、安倍首相は、通常国会閉会時に、加計学園問題で「丁寧に説明する」と約束したにもかかわらず、憲法53条の「衆参いずれかの4分の1以上の議員から臨時国会召集の要求があれば内閣はその召集を決定しなければならない」との規定に基づく野党の臨時国会の召集要求を無視し、8月3日に内閣を改造し、第3次安倍内閣を発足させた。これも、憲法の趣旨に著しく反するものである。
その内閣改造では、「仕事人内閣」と称して、河野太郎氏の外相、野田聖子氏の総務大臣など、自民党内では安倍首相には批判的とも思える議員を起用したことで、内閣支持率は何とか回復基調に転じたのである。それらの閣僚に、ほとんど「仕事」をさせることもなく、北朝鮮が核実験やミサイル発射を繰り返して軍事的緊張が高まっている時期に、敢えて衆議院解散・総選挙を行って「政治的空白」を生じさせるというのである。
安倍首相は、「集団的自衛権」を認める安全保障関連法を強引な国会審議で成立させたが、まさに、北朝鮮情勢が緊迫化し、同法制に基づく自衛権行使の是非を議論すべき状況になる現実的危険が生じている中で、自衛隊派遣を承認する国会を無機能化させるというのは、「国民に対する裏切り」以外の何物でもない。
解散には「大義」が必要だと言われるが、今回、もし、解散が行われるとすれば、「大義」が存在しないどころか、国会での疑惑追及を回避し、野党側の選挙準備の遅れを衝いて国民の政治選択の機会を奪い、それによって、北朝鮮情勢緊迫化の下での政治的空白を生じさせるなど、まさに「不義のかたまり」というべき解散である。
政府は、北朝鮮のミサイル発射のたびに、日本の領空の遥か上空を通過することがわかっていても、早朝からJアラートを発動し、国民の警戒心を煽っているが、安倍首相が衆議院を解散して政治的空白を生じさせた場合、これに乗じて、北朝鮮が、領空ぎりぎりにミサイルを飛ばして、日本政府の対応を試すような事態も考えられないわけではない。
総選挙態勢に突入した政府・官邸が、果たして北朝鮮の巧みな戦術に適切に対応できるのであろうか。
国連の北朝鮮制裁決議等で外交努力を懸命に行っているはずの日本の安倍政権が、このような状況で、先進国では殆ど考えられない国会解散を行ったということになると、国際社会の日本政府を見る目も変わってきてしまうのではなかろうか。
一部では、麻生副総理が、安倍首相に、「解散は首相の専権」だと言って解散を勧めたことが早期解散の決断につながったなどと報じられているが、誤解してはならないのは、解散は「内閣」の権限であって、「首相の専権」ではないということだ。「憲法7条の天皇の国事行為による解散」が許されるとしても、その「助言と承認」を行うのは「内閣」であり、「内閣総理大臣」ではない。閣僚全員による「閣議決定」があって初めて、「国事行為としての解散」を天皇に助言・承認することが可能となる。
小泉純一郎首相が、突然の解散を表明した2005年の「郵政解散」においても、解散を決定する閣議で、島村宜伸農水相、麻生太郎総務相、中川昭一経産相、村上誠一郎行政改革担当相の4閣僚が解散に反対する意見を述べ、小泉首相が個別に説得をしたが、島村農水相だけは最後まで解散詔書に関する閣議決定文書への署名を拒否して辞表を提出。小泉首相は辞表を受理せず、島村農水相を罷免、首相自身が農水相を兼務して解散詔書を閣議決定した。この郵政解散には、「国民に郵政民営化の是非を問う」という「大義」はあり、閣議での対立も、郵政民営化の是非をめぐる「政治的意見の相違」だったので、最後まで抵抗した島村農水相の罷免による強行突破が可能だった。
今回、もし、安倍首相が臨時国会冒頭の解散を強行しようとした場合、閣僚全員が賛成するとは到底思えない。特に、安倍首相ともともと距離があった河野外相、野田総務相は、このまま解散ということになれば、安倍内閣支持率回復のための「客寄せパンダ」に使われただけで、大臣としての仕事をまともに行う前に使い捨てられることになる。ましてや、その解散には全く「大義」はない。少なくとも、この二人の閣僚は、解散詔書の閣議決定に賛成するとは思えないし、説得の余地もないはずだ。
もし、河野、野田両大臣が妥協して安倍首相に従い、違憲の疑いすらある、「大義」の全くない解散に、閣僚として賛成したとすれば、二人の「政治家としての将来」にも重大なマイナスになる。
安倍首相としては、反対を押し切って解散を閣議決定するには、郵政解散における島村農水相と同様に、「閣僚の罷免」しかない。しかし、農水相であれば、総選挙までの期間、総理大臣兼任というのも不可能ではないが、現在の緊迫化する北朝鮮情勢の下で、総理大臣が外相を兼任することはあり得ない。どう考えても、今回の解散は「無理筋」である。
もし、安倍首相が解散を強行すれば、“憲政史上最低・最悪の解散”を行った首相として歴史に名を残すことになるだろう。このような時期の解散でしか、政権を維持できないとすると、それ自体が安倍政権が完全に行き詰まっていることを示していると言えよう。
安倍首相が行うべきことは、解散の強行ではなく、潔く自らその職を辞することである。
編集部より:このブログは「郷原信郎が斬る」2017年9月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。