9月7日に海上保安庁の巡視船に中国漁船が衝突した。衝突は故意で悪質だということから海上保安庁は船長を公務執行妨害で逮捕した。それから中国政府の猛抗議がはじまる。尖閣諸島は中国領土であり、そこで日本の国内法が適用され逮捕されるなど言語道断だというのだ。その後、中国政府の圧力はどんどんエスカレートし、中国政府高官の日本への渡航中止、日本への旅行の自粛要請、レアアースの日本への輸出制限などの制裁が矢継ぎ早に実施された。結局、逮捕された船長は日本国政府の超法規的な処置により開放され、中国政府のチャーター機で返された。この船長は中国では英雄のごとくあつかわれたという。
この間、テレビや新聞、そしてインターネットを通しておびただしい数の情報が流され、様々な識者が意見を述べた。しかし筆者が特におどろき、そしてまたある種の戦慄を覚えたのは、筆者のツイッターのタイムラインを通して垣間見えた、人々の異様な興奮だった。普段は功利主義で冷静な人々が口々にナショナリズムを訴え、中国政府の横暴を罵倒し、日本国政府の弱腰の姿勢に義憤を爆発させていた。最近、筆者がツイッターからこれに似た雰囲気を感じたのはサッカーのワールドカップの時だ。誰もが日本代表の予想外の活躍に興奮し、相手チームを打ち負かすべく応援していた。タイムラインがいつもの何倍のスピードで流れていた。敵を打ち倒すべく日本代表に声援を送っていた。そして今回の尖閣諸島の事件で、筆者のタイムラインの中で日本人がみな同じように中国政府を罵り、日本国政府を激しく叱責していたのだ。すごい熱気だった。まるで自国のチームがワールドカップの決勝戦を戦っているみたいに。あの時、中国政府の行動がさらにエスカレートして国境線の曖昧な部分で銃撃戦にでもなって多くの死傷者が出るようなことがあったらどうなっていただろう。間違いなく多くの日本人が、そして中国人が「報復」することを支持したと思う。それも熱狂的に。
男の子はみんな戦争が大好き
筆者は子供の頃、段ボール箱や空き缶、新聞紙等を使っていろいろなものを作る遊びが好きだった。今思い出すとそこで友達と作っていたものはどれも戦争に関係するものばかりだった。段ボール箱で敵の攻撃から身を守るための小さな要塞を作り、新聞紙を丸めて棍棒を作り、竹ひごを使って弓矢を作った。それで近所の子供と戦争ごっこをした。当時人気のあったアニメも全て戦争がテーマだった。ドラゴンボール、北斗の拳、機動戦士ガンダム。どれも力と力がぶつかり合い、凄惨な殺し合いが行われるものばかりだ。
小学校の高学年になると筆者たちは拳銃に大きな興味を持つようになった。最初は駄菓子屋に売っていた銀玉鉄砲で遊んでいたのだけれど、仲間のひとりが成人しか買えない強力なエアガンを小学生に売ってくれるおもちゃ屋をみつけた。そして筆者たちはお小遣いを貯めてみなエアガンを買った。窓ガラスが簡単に割れるほどの強力なものだったし、分厚い少年ジャンプの半分ぐらいまで簡単に貫通した。そして筆者たちは公園にあつまり、銃撃戦をした。BB弾が当たると激痛が走り、かなりのケガをしたが、それでも何度も「銃撃戦ごっこ」は行われた。痛みよりもこの危険な遊びによる興奮の方がはるかに勝ったのだ。この馬鹿げた遊びが終わったのは不審に思った公園の近くの住人が警察に通報し、仲間のひとりが補導された時だった。しばらくしてそのおもちゃ屋のオーナーが逮捕されたというニュースが新聞に載った。今思えば誰ひとりとして大きなケガをせずにすんで本当に幸運だったと思う。
要するに男の子の遊びというのはどれも戦争に結びついたものばかりだということだ。おそらく我々の先祖は血縁者を中心とする部族単位で暮らしており、異なる部族同士の殺し合いは頻繁に行われていたのだ。そういう世界でいい武器を作る人が部族にいたり、普段から戦闘に備えて訓練をしている部族は生存確率が高まるだろう。このようにして子供がおもちゃの武器を作り戦争をまねるような遊びに熱中するという性質が遺伝子に刻み込まれていったのかもしれない。
人間に近い種族だといわれているチンパンジーのグループは実際にこういう生活をしており、群れからはぐれたオスが他のチンパンジーの群れにみつかると虐殺され、その肉は食われる。また別の群れを襲いメス以外を皆殺しにすることもよくあるという。また群れの内部での政治闘争も凄まじく、チンパンジーというのは人間の醜い部分を凝縮したようなサルなのである。
いうまでもなく人類の歴史はおびただしい数の戦争の連続だった。第2次世界大戦後は核兵器が現れたので大きな戦争はなくなった。巨大な破壊力を持つ核兵器を保有しあうことで、お互いに大きな抑止力が働いたのだ。こんなに長い間、平和が続くということは人類の歴史の中でとてもまれな出来事だったのかもしれない。しかし人類の血の中に流れている夥しい数の戦争の記憶は消えることはないだろう。我々は皆、ある時は仲間を見捨てて逃走したり、ある時は弱い相手を虐殺したりして生き残ってきたご先祖様の血を引いているのだから。ほとんどの人はそんなことは気にもとめないだろうけど。
幸せは相対的、希望は戦争
論座というかたい言論誌で赤木智弘が書いた「希望は戦争」という論文が社会に衝撃を与えた。
戦争は悲惨だ。しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。
若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か、赤木智弘
貧富の格差が社会に大きな不満を蓄積し、それが極端な形で爆発すると戦争が起こるのかもしれない。筆者は常にグローバル資本主義、そして自由市場経済を支持してきた。ヒト・モノ・カネが自由に行き交い世界全体が豊かになっていくからだ。このような世界経済の力強い成長こそが人類を幸せにすると今でも強く信じている。そしてその過程で格差が広がろうとも、底辺のものでさえ世界経済の拡大から恩恵を受け生活水準があがるからだ。そして現実の世界は実際にそのようになった。世界中に安価な食料が溢れかえり、今やアメリカの貧困層の大きな悩みは肥満だ。単調な労働、社会的に承認されない不満、そういったストレスをごまかすために簡単に手に入る快楽である高カロリーのジャンク・フードを食べ続けるのだ。現代では貧困層が肥満に悩むのは豊かなアメリカだけではない。貧困層が肥満になる現象は途上国にまで広がっている。
このグローバル資本主義の世界で競争に敗れたものたちに「それでもあなたはこんなに豊かになった世界のおかげで飢えることなく生きていけます。ジャンクフードを食べたいだけ食べれるぐらいのお金なら稼げますよね」といえばいいのだろうか。彼らはそれでもこの競争社会を本当に心から感謝することができるのだろうか。
実際のところお金よりもはるかに格差がつくものがある。それは人々の承認や尊敬、異性を獲得する能力だ。多くの人の時間が限られており、付き合える人数も限られているから、人々が承認したり尊敬したりできる全体の総量は限られたものになる。社会動物である人間は誰もが他人に承認されたいという強い欲求を持っている。しかし人が承認できる総量は概ね決まっているのである種のゼロサム・ゲームだ。多くの人から承認される人気者と、誰からも相手にされない落伍者が必然的に作り出される。
異性にしても同じだ。適齢期の女性が自由に男性を選べば、一部の男性に多くの女性の関心が集中する一方で、多くの男性があぶれることになる。精子はほぼ無限に作り出すことができ、女性の卵子が一ヶ月に一個しか作られない貴重な資源であることを考えれば、「原理的」にはわずかな数の男性でほとんどの女性を独占することが可能だ。このような自由恋愛のなかであぶれてしまった男性の不満は、社会を不安定化させる要因になるだろう。
人々の自由意志を尊重する近代国家では、経済的な富の再分配は可能でも、こういった人の承認や異性をめぐる結果の不平等を再分配する方法はない。日本のような豊かな国では誰も餓えていないことを考えると、昨今の格差問題の本質は、金銭的なものではなく、実は後者のことを指しているいるのではないかと筆者は思っている。多分誰も口に出してはいわないだろうけど。
つまり人間の幸福というのは他者との比較による相対的な部分が多く、グローバル資本主義の力で底辺の生活水準の絶対値が底上げされようと、人々の承認や恋人をみつけるという人間の欲望の根源的な部分では不可避的に大きな格差が生じ、構造的に多くの人々が不満をかかえることになる。「希望は戦争」と思っている人は意外と多いかもしれない。自分で自分を殺す人が年間3万人もいるこの国で、その大きな負のエネルギーの向かう方向が外国のひとつの国にたまたま集中してしまったら、どうなるのだろうか。
いつか来た道
経済学は自由貿易が双方にとって利益になると教える。自由貿易を推進することによって確実に全世界の人間の幸せの総量は増加する。しかし自由貿易によって外国の安い製品が入ってくると、自国の労働者が一時的に失業してしまうことがあり得る。確かに自由貿易によって全体の幸せは増加するが、一部の人が不幸になる可能性は依然として存在するのだ。こうした外国製品による失業者は誰の目にもよく見える一方で、自由貿易による恩恵は薄く広くいきわたるので簡単には理解出来ない。選挙に落ちればただの人の政治家にとって、自由貿易を制限する大きな理由があるのだ。保護主義だ。
金融危機以降は自国の特定産業を守るために多くの国が保護主義的な政策に傾いている。また通貨切り下げ合戦ともいえる形相を見せており、日本も6年ぶりに為替介入に踏み切った。こういった各国の政策は世界経済の収縮を助長し、かえって不況を長引かせることは火を見るより明らかだ。そして不況が長引けば長引くほど人々の不満は蓄積される。心ない政治家がその不満を意図的に外国に向けさせるかもしれない。また相手国にとって重要な天然資源の輸出を制限することによって貿易を外交の道具にしようとする動きもある。中国がレアアースの輸出規制に踏み切ったように。もしその報復として日本も何らかの貿易を規制したとしたら、まるで第2次世界大戦のきっかけになった「ブロック経済政策」のはじまりだ。
こうして日中関係が刺々しく対立している時、となりの北朝鮮では27歳の金ジョンウンが「王国」を引き継ぐという。彼はスイスに留学経験もあり戦争ゲームが好きなそうだ。
実は戦争というのはちょっとしたきっかけで思いのほか簡単にはじまってしまうのかもしれない。どうやったらこんな馬鹿なことをやめさせることができるのか、そしてグローバル資本主義、自由市場経済という人類に与えられた幸福のための最強の仕組み、それでいて政府の正しい保護を必要とするガラス細工のように脆い仕組みをどうやったら守れるのか、筆者は真剣に思い悩んでいる。
参考資料
あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源、フランス・ドゥヴァール
ルポ 貧困大国アメリカ、堤未果
セイヴィング キャピタリズム、ラグラム・ラジャン、ルイジ・ジンガレス
金ジョンウンは�眷小平になれるか、Newsweek
コメント
「昨今の格差問題の本質は、金銭的なものではなく、実は後者のことを指しているいるのではないかと筆者は思っている。」
「承認を求める闘争」ですね。同じことを東浩紀氏は「尊厳の再分配」と表現していました。私はこの表現が気に入っています。
宗教にも「人はパンのみで生きるにあらず」とあります。私は宗教の本質がこの言葉に表れていると思います。パンは文明を発達させることで万人に行き渡らせることで出来ます。しかし尊厳や承認は再分配不可能であり、万人が得ることは出来ません。それを「神による承認」を通じて擬似的に再分配する機構が宗教の本質でしょう。
20世紀は科学の世紀でした。科学を通じて食糧の増産が可能となり、医学薬学が発達しました。また政治システムが成熟し、19世紀までとは比較にならないくらい高い効率でエネルギーの再分配が可能になりました。それに対し、21世紀の最重要課題は「尊厳の再分配」の問題をどう解決するかになるでしょう。もちろんエネルギー資源の確保も重要ですが、「尊厳の再分配」の問題をどうにかしない限り、例え無限のエネルギー源を手に入れたとしても殺し合い・奪い合いは終わらないでしょう。
追記
民衆の「経済学」に対する評判が悪いのも上記の事柄に関係があるでしょう。経済学は飽くまで資源・エネルギー・労働力の分配について議論する学問であり、「尊厳の再分配」は無視しているからです。そう考えると、公共事業人気が根強いのも理解出来ます。公共事業というものは単なる金銭の再分配機構ではなく、労働を通じて社会に参加しているという「尊厳」を再分配する機構も兼ね備えているのだと思います。
2009年にUSAでいちばん売れたゲームソフトは
マリオではなく、Call of Duty: Modern Warfareというバリバリの戦争ゲームなんですよね、
戦争ごっこが好きなのは子供だけではないようです・・・
公務員や大企業の正社員は平和な世界で身分の安定性を維持するためには、それなりの負担をしなければならないと思います。そうしないと身分が不安定な人達が戦争による下克上に突っ走ることを防ぐことはできません。そこで私は短期的な収入額の多寡に基づく累進課税だけでなく、身分の安定性に対しても累進的な課税を行うことを提案したいと思います。さらに、その税収で身分が不安定な人たちを“自衛隊”に雇用するのです。その人たちが、ちゃんとした職を得ることで、もはや戦争という下克上を望まなくなるように思います。逆転の発想です。
藤沢さんの言われる通り、人間(特に男性)は生まれながらにして闘争本能を持っていますが、それを満足させるために、ギリシャの昔以来スポーツというものが考え出されたのだと思います。
現在の社会で、経済的に成功し、社会で尊敬を受けられる地位につける人はほんの僅かでしょうが、その代わり、多種多様のスポーツが多くの英雄を毎日作り出しており、音楽を始めとする、芸術、芸能の世界でも、文学や評論の世界でも、多くのサブカルチャーが広がっています。
価値観が多様化し、金銭で買える物の比率がその中で下がってくれば、経済的な成功はさして重要ではなくなり、かつての唯物史観がますます非現実的なものに見えてきます。
社会的な地位に関係なく、多くの人達が、それぞれの世界で「自分がその世界の中心に近いところにいる」と感じることができる様になれば、ジャンクフードに逃避する人も少なくなり、「持たざるものが戦争に向かう」というような極端なことにもならないでしょう。
戦争は戦力が優位な側にやる気がないと起きないです。戦争が偶発的に起きている例は少ないのではないでしょうか。多くが資源や領土などの侵略を目的としたものです。
日本は現在戦力で圧倒的に劣っているわけではないでしょう。今のところ米軍基地もありますし。この状況が続く限り戦争は起きないと思います。
格差は少ないほうがいいに決まっています。でも国民が不満のはけ口を求めて戦争を始めるというのは飛躍しすぎではないでしょうか。
戦争の本質は国の外交戦略で目的は自己保身や侵略です。独裁国家で自己保身の目途がたたないのに戦争を始めるるわけがない。今回のようなことは国がバラバラな証拠。
>男の子はみんな戦争が大好き
おっしゃることは全くその通りだと思うが、しかし、おびただしい戦争を行ったと同時に、人類は平和のためにどうすればいいか学習し実践してきた。
遠い昔、他の人の食料と女のために躊躇うことがなく、相手を殺す。その後は部族内での殺し合いをやめ、部族同士を殺し合える。その後は、お城同士、小国同士、民族同士。今は唯一国同士が愛国という名のもとで殺し合うことが許されていた。
さらに、別の方法も意図せず平和に貢献した。おっしゃった恐ろしい核兵器はその典型例で、経済のつながりも強いとはいえないが、一定の効果を発揮してきた。
もう一つは外交である。今回、日本政府の外交に関するお粗末さに呆れた。もし拘束延長せず船長を釈放すれば、レアアースの禁輸がなかったし、日本政府は日本の法律に従って処理したとは言える。一方、中国も我が国の圧力で釈放したと対内対外的に言えるだろう。もし中国漁船の違法行為を立証できれば、荒っぽいかもしれないが、55:45で日本の判定勝ちになっていたはずだった。戦争避けるための「外交」が全く機能してなかった今回の事件から学ぶべきものが、本能に任せて戦争本能を煽るより、一杯あったとおもう。
「毅然とした態度」聞こえはいいけど。男の子の皆さんに聞きたいが、自分の恋人と妻に「毅然とした態度」を取れるか。「外交」の基本はそれぐらい簡単だと思う。「毅然とした態度」をとり続けると、精子を残る資格がなくなることは私は思う。
もういっぺん、
植民地にしてやろうか。
そう思った
国民も多かったのでは?
戦争が始まる原因は単純なものです。
それは、「戦争を企画立案して実行する」ことで出世する人達がいるからです。自分が所属する集団の中で「上に上がりたい」という順位競争に駆り立てる遺伝子による個体の行動が集団による戦争へと繋がっていくのです。
> 戦争は悲惨だ。しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、
これは甘いと思うなぁ。
戦争の本当の悲惨さは、「自分が他人から人間扱いされない、自分が他人を人間扱いしない」という経験をすることだろ。
戦争になれば赤木智弘さんももっとも大事なものを失うはずだ。
「希望は戦争」を掲載した論座は大きな過ちを犯したことを自覚しているんだろうか?
人の感じる幸福感は、自身の持っている物の絶対量よりも寧ろ他人との差に大きく依存すると云う研究結果が出ています。その点では、例え戦争で更に自身の抱える大事な物を失う結果になったとしても、同じような境遇の人が増える事で、赤木氏の抱える絶望感は低減する可能性はあると思います(そんなものはルサンチマンに過ぎないと一笑するのは簡単ですが、それが相手側には全く伝わらない事こそが大きな問題だと思います)。
書かれている内容が正しかろうと間違っていようと、これだけの大きな反響を巻き起こした時点で論座は一定の成果を挙げたと言って良いのではないでしょうか。左派と呼ばれる人達が尽く的外れな反論を寄せるのも面白かったですし。
>戦争の本当の悲惨さは、「自分が他人から人間扱いされない、自分が他人を人間扱いしない」という経験をすることだろ。
そういった恐怖も破戒も、結局実体としての戦争が忘却させてしまう。
なぜ戦争が良くないのかというと、それが単なる破壊と殺戮であるだけ
でなく、生物(特に男)が原初的に渇望する「剥き出しの希望と正義」
であるからだろうと思うのです。
そもそも、一国だけで戦争は成り立ちません。
相手があっての戦争です。自国が武力行使を
企てなくても、外国が自国に対する武力行使を
行えば、応戦しない訳にも行きません。
願わざる戦争って事ですね。
いま、日本が自らの意思で武力行使を企て、
自らの意思で企てにより他国に武力行使する
事はまず考えられません。
では、日本が他国から侵略される危険は?
実際に武力侵攻を受ける可能性はかなり低い
と思います。が、他国が保有する武力は、
自国の防衛の為と同時に、
外国交渉で優位に立つためのツールと言う
側面があります。
自他の軍事バランスが崩れると、常に外交上の
圧力が一方通行で掛かり続け、圧力を受け続ける
側に大きなストレスが溜まり続けます。
武力衝突が起きない事が重要か、それとも
外交上の一方通行の放置が問題か。
脇道に逸れましたが、戦争は一国だけでは成り立たない。
日本が戦争に巻き込まれない為には、日本に
武力行使しようと企てさせる様な隙を見せない事。
そして同時に近隣諸国に武力衝突も辞さずと思い込ませる
ほどのストレスを与えない事。
因みに日本の隣国である特定アジア三国って、
特別ですから。思想的に日本を見下してますから。
潜在意識の中に、中華思想、小中華思想を蓄えてますから。
あなたが支持している資本主義が戦争を引き起こすのでは?
戦争はもっとも金が稼げるときでしょ。高価なものをどんどん無駄遣いするために借金をする。貸し手は相手がつぶれないし確実に返してくれるから、貸せるだけ貸す。
金の出所はあなたと同じ存在だよ。戦争防ぎたいなら資本家をすべて買収するのがいいよ。できればの話だけど。
現在は東アジア諸国で日本が戦って勝てる国などありません。
そういえば北朝鮮へ小泉、安倍が訪れはじめて拉致の事実を認めたが、あれはまさしく日本が宣戦布告をすべきだった。戦争の次元の話だ。それを成果を持って帰国したかのような報道や本人達に愕然とした。
戦争は、始めたいとおもったら『どんな些細な理由』でもはじめられるし、戦争を起こしたくない(少なくとも今は起こせない)と思えば『どんな大きなトラブル』であっても話し合い(武力行使ではない交渉)で解決しようする。たぶん、そんなものです。
それよりも重要なことは、政治家や軍人ではなく、普通の庶民/一般大衆が、『戦争によって生み出される物語を希求する』ことなのだと、僕は考えています。
私も、「希望は戦争」は、比喩であって、本心ではないと思っています。ただ、それを口にする人が、比喩だと気がついていないのが問題かなって。本当に望んでいるものは、藤沢さんのおっしゃる「承認や異性をめぐる結果の不平等」の解消なんでしょうね。でも、その不満がたまった人間が戦争を引き起こせるかと言うと、その状況を打破できない人である時点で、戦争を起こすほどの力は持っていないし、迷惑をかけないことを重要視する民族なので、己を破壊するという形で終わるのかなって思う。ただ、核家族化が進み、子供に対して、これまで引き継いできた日本人の気質を伝えることが難しくなっているので、破壊の矛先が外に向かうと言う事件は増えると思っています。
グローバル経済がもたらすものに関しては、藤沢さんの意見と異なる考えを持っています。それは、資本主義が暴走し、物の対価であるはずのお金が一人歩きし、現在は空気に価値を付加し取引している。そしてそれを補うために搾取や未来の先食いが起こっていると見ている点です。それに自由貿易が利用されているではないかと。本来通貨は物々取引の橋渡しなので、結果的に空気と生産物を交換していることになります。つまり生産者は搾取される必要があり、それをやらされるのが、「負け組み」とされる存在。ある意味これは自由経済と言う名の戦争で、搾取されるのは経済戦争での敗戦者(国)ではないかと。今の資本主義の経済発展は、不平等によって維持されているのではないかと見ています。
「全人類の70%は、一生のうち一度も満腹を味わったことがない」と聞きました。この数字の根拠はないので、鵜呑みにすることはできませんが、働いた対価に空気(数字を右から左へ動かしただけで生まれたお金)が支払われている人は確実にいます。
幸福論と、経済論は分けて考えないといけない。が、これを、経済的な勝ち組が、搾取する対象に対する言い訳につかってはいけないと思う。尊厳の不平等は、お互いが納得できる物々交換ができないことでも生まれる。搾取を作り出しているのが、一部の人間が押し付ける”今の”経済システムという見方はできないだろうか。グローバルで自由って、いい響きですが、対等な取引ができないルールの押し付けになっている場合、形を変えた殖民地政策になってしまうかも。
アメリカが金本位制を反故にした後も、米ドル中心に世界が動いている。この辺りから検証すると、今の世界的な不況の原因が見えてくるんじゃないかと思っています。ある意味、FX取引で言うところの「レバレッジ」を世界的に行っているように見えるんですよね・・・ そろそろロスカットが起こる国が出てくるんじゃないかな(^^;
種の保存としての生態と戦争の起源を一緒にするのは唐突過ぎませんか?
ただ尖閣諸島の軋轢で示されている、国内の(中国はああいう国ですから別にして…)反応には結構驚いています。
筆者の記述の通り、自民党始め野党党首の多くも、評論家も、そして新聞が、TVが、毅然とした強い姿勢を政府に求めました。インターネットでは更に極端な発言が踊っています。
何なんでしょう?国内はもとより世界中の閉塞感?
特に国内は、デフレの進行、空洞化、失業増、多数の自殺者、子供虐待、無縁社会の拡がり、富のみならず知識や意欲の格差などなど、と言っても開発途上国に較べたら精神性以外は恵まれた社会のはず。
己を省みず、他者にのみ責めを帰す独りよがりの現象の拡がり。
太平洋戦争の勃発した当時の国内の様子はどんなだったかと思い気になっています。(現在と世界的環境は較べようもありませんが…)
民衆の閉塞感に、政治やメディアの指導力の欠如が、我々を何時か来た道へ導きはしないかと恐れるこの頃です。
国境というものの無意味さを知る教育こそ求められるべきです。これは理想ではありません、当面する課題なのです。
戦争ね!! 私は聖書が専門ですが、聖書の中に見られる古代の戦争は国内問題が発生し、為政者の政権基盤がぐらついた時に、防衛という名目で対外的侵略戦争が起こされています。
そうして、まさか平和な時に隣国が攻め寄せるとは思いもしなかった繁栄する平和指向国家が呆気なく滅亡し、侵略した戦勝国は隣国の国土や技術に奴隷や宝物などの戦利品に狂喜し政権の安定と繁栄を獲得して、歴史を自国が正義であったと改竄記録しています。
例→ネブカデネザル大王治下のバビロンによるアッシリヤ占領と続くイスラエル占領等
その意味で、戦争は政権崩壊を防ぐという国内問題の手軽な解決法というのが基本では無いでしょうかね?
>男の子はみんな戦争が大好き
「戦争はケンカの延長」
「戦争とは国家総力戦の事」
「戦争はルール無用のガチバトル」
「勝ったものが何をしても許される」
と言う事ですよね。
まるで幼児の論理。ガンダムの影響ですかね。
こんな稚拙な戦争観がまかり通っている限り、9条は撤廃しない方がいいでしょう。